仕事柄毎日歩く。
今日も歩きくたびれた
そろそろランニングもしなければ…
と思ったりしてね(^^♪
巷ではもぅお節料理のシーズンに突入ですかね。
新聞チラシや各種情報源からドンドン伝わってきます。
ここで一考察…
お節は普通家族みんなでつつきながら食べる。
だが年始の客として他家を訪問する場合は、複雑な問題が発生する。
もてなし側は「どーぞどーぞ、どんどんやっちゃってください」などと言う。
そう言われて客は、ハイそうですか、とカズノコあたりをどんどんやっちゃうワケにはいかない。
他を思わんばかり、自己主張を抑え、しかし体面を損なわないように主張し、その場面に応じた迅速な対応に頭を悩まさなければならない。
突然ですが「一人用お節」というものがあります。
一人暮らしの老人用、おひとり様暮らしの女性用、正月に帰宅できない単身赴任のお父さん用として、もっぱらネットで販売されている。
ひとりで一人用のお節を食べる(…クリスマスも一人用ケーキで過ごす人多数あり?)
こういう場面はこれまであまり想像できなかったことだが、これからはますます増えていくのではないか。
一人用お節は全体を簡略化したものではなく、あくまでも本格的。
ただ蒲鉾を二枚、昆布巻きを二枚というふうに、数を減らしてあって二段重ね、三段重まである。
本格的であるから、このまま客に出してもおかしくないワケだ。
こうなってくると、お節をめぐる接客のゴタゴタから一切解放される。
一人用のお節を客の前に置く。
もう「どーぞどーぞ」もないし、「カズノコあたり」問題も発生しない。
考えてみると、これまでお節の形式はもともと無理があったのではないか。
きちんと並んでいる蒲鉾を一枚取ればそこに穴があく。
その穴が目立つ。
客はそう思うから取らないのに、主人は「取れ、取れ」と言う。
主人だって「取れ、取れ」と言わないで黙っているのはヘンだから言ってるワケで、言わずにすむなら言いたくないのだ。
そのうち元旦の朝の食事風景は次のようになる。
一家四人が囲んだ食卓に、一人用のお節がそれぞれの前に置いてある。
和風、中華風、洋風とそれぞれのお節が並んでね。
こうなってくるとお節というよりお弁当だね(*´∀`*)
本文とは全く関係ないし、どうでもいい話ですが。
某イベントでの焼き鳥の屋台
店主の熱意を感じたしだい…(^^♪
懸命な姿に感動。
話は突然飛躍します。
近頃尿意、便意とか感じるとアットいう間にその瞬間が訪れ、結構ヤバイ日が続いたりしてる…
これってなんでしょね?
我慢できないお年頃なのか、老化現象なのか?
それともアタクシの人生も終わりに近いのか?
そろそろ紙おむつか
まだやり残しがあるので、もう少し長生きしたいなぁ…
何て思うのでした。