はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

佐世保の高一生殺害事件に思うこと

2014年07月30日 | 気になったニュース
長崎県佐世保市で起きた、高一生女子が同級生を殺害した事件。少年法で保護され、その氏名は明かされていないが、マスメディアやネットでは、加害者に関する情報がその真偽はともかく、断片的に次から次へと流出している。

・県屈指の進学校の生徒で、駿台ハイレベル模試では全国6位?だった。
・芸術の分野でも才能を発揮し、県知事賞を受賞。
・直近の国体では父子で、ある競技に出場し、新聞でも取り上げられた。
・小学6年生の時に、同級生に「馬鹿にされた」と、
 給食に塩素系洗剤を混入させる騒ぎを5回(4回?)も起こした。
・中学時代には猫を殺し、解剖するなどの小動物虐待を繰り返した。
・中学時代から殺人願望があったと供述している。
・高校に入学後、不登校状態で、1学期は3日しか登校していない。
・供述によれば、被害者は中学からの友人で、
 特に二人の間に問題があったわけではなかった。
 当日加害者が被害者を加害者宅に誘い、殺害。
 動機は「猫の解剖を人間でも試したかった」

・父親は地元の名士で弁護士。昨年亡くなった母親(東大卒)も教育関係者だった。
・父親は母親の死後間もなく再婚。それが直接の原因かどうかは不明だが、
 4月からはマンションにひとり暮らし。
 (9月からの海外留学に備えて、と言うのはあくまでも表向きの理由で、
 母親の死後早々と再婚を決めた父親の寝込みを襲い、
 金属バットで殴るなどして、頭の骨や歯を折ったのことで、
 危険を感じた父親から遠ざけられたのが本当の理由か?)
 
・6月には加害者を診察した精神科医が彼女の異常な性向を危惧し、
 児童相談所に通報したが、匿名通報であった為、
 その時点では医師に対するアドバイスのみに留まり、
 児童相談所として具体的な措置は何も取らなかった(関係部署への報告もなし)
 事件後、改めて医師に照会し、通報該当者が今回の加害者であると判明。 

そのひとつひとつのパーツをつなぎ合わせると、加害者の輪郭が朧気ながら見えて来る。あくまでも流布する情報に基づくものだが、「裕福な家庭環境で育った多才な少女だが、倫理観に欠ける反社会的人格の持ち主である可能性も…」(←加害者少女は小学生から中学生の時にかけて「行為障害」と「性的サディズム」の二つの精神疾患を同時に発症し、母親の死をきっかけに、それが重症化した可能性も、との精神科医の指摘もある)

なまじIQが高いだけに、しかも両親が地元社会で影響力を行使できる立場であったが為に、小中学生の時に見せた病質が看過され、今回の事件に至ってしまったとは言えないのか?今回の事件の動機が、本当に彼女の供述の通りなのであれば、彼女は「快楽殺人者」である。

佐世保市では今から10年前に、やはり小学生による同級生殺害事件があり、その事件を踏まえて、これまで児童生徒に対し「命の尊さ」を訴える教育を地道に行って来た。それでもなお、今回の事件が起きてしまったことに、教育関係者は衝撃を受けていると言う。

しかし、今回の加害者のような人物は、「教育で矯正」できるようなタイプではないような気がする。教育より、薬物治療や入院隔離などの「医療措置で対処」するしかないタイプなのではないか?だから、佐世保市の道徳教育の方向性は、けっして間違ってはいないと思う。

「1度は人を殺してみたかった」だから、少年法が適用されるうちに、人を殺した(→医療少年院で何年か過ごした後、氏名を変えて社会復帰?)。IQが人並み外れて高いサイコパスなら、容易に考えそうなことだ。

そこまで冷徹でないにしても、母親の存在によって何とか踏みとどまっていられた加害者が、母親の死と、彼女の目には裏切りと映った父親の再婚をきっかけに、人として越えてはならない一線を越えてしまった、父親への復讐を目的とした、自らの破滅も辞さない"自爆テロ"のようにも見える。

しかし、捜査は始まったばかりで、事件の真相はまだ闇の中。私が書き連ねていることも、単なる憶測でしかない。

ただひとつ、現時点で確実に言えることは、彼女の残酷な供述によって、被害者の両親は「手塩にかけて大事に育てて来た愛するわが子を、理不尽な理由で殺された」と、さらなる苦しみを与えられた

「加害者少女には、愛情豊かに育てられた被害者少女への嫉妬もあったのでは?」との指摘もある。今回、不登校ぎみの友人を気遣った被害者少女の優しさが仇となったのであれば、被害者の両親には二重三重の衝撃である。今回のような事件が起きてしまうと、親は我が子を守る為に「誰にでも優しく」と諭すのは現実的に難しく、「付き合う人間を選べ」と教えるしかないのだろうか?

加害者に対してだけでなく、事件を防げなかった加害者周辺の大人達にも、心の底から憤りを感じる。事件が起きる前に出来ること(異常行動を繰り返す加害者に対する医療的措置)は、幾らでもあったのではないか? 加害者少女をマンションで一人暮らしさせたことは、その父親が取った最悪の選択だった気がしてならない。

今回の事件を自分に引き寄せて考えるならば、「我が子は、その子がたとえどんな子であっても、けっして見捨てたりせず、親として責任を持って育てること」「我が子が引き起こしたトラブルに関しては、我が子かわいさに庇うのではなく、心を鬼にして反省を促し、本人に責任を取らせること」「必要とあれば、恥も外聞もかなぐり捨てて、外部に助けを求めること」なのかなと思った。人ひとりを育てると言うことは、それだけ責任が重いと言うことなのだろう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« マダム・イン・ニューヨーク(... | トップ | 少子高齢化問題を巡る、おか... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。