はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

身辺雑記

2008年06月27日 | 日々のよしなしごと
■昨日は所用あって上野に赴いたのですが、昼食を食べにバンブーガーデンビルの土古里(トコリ)へ向かう途中、「井上雄彦 最後のマンガ展」開催中の上野の森美術館前に、12時半の時点でかなり長い行列ができているのを目撃しました。私が行った先週の金曜日(2時頃)は列も短く、ものの10分位で入場できたのに、昨日のあの長蛇の列では1時間以上待ちだったのではないかと推察します。評判が評判を呼んで、多くの人々を集めたのでしょうか?閉会も迫っていますからね。しかし押すな押すなの混雑では、細部を観察したり、じっくり見返すことも叶いますまい。あの列の中の果たして何人が、作品の世界観を満足の行くほど堪能できたのでしょうか?

「井上雄彦 最後のマンガ展」の感想


■先日、我が家を訪ねて来た小学校教師の友人曰く、秋葉原無差別殺傷事件を起こしたKは、やはり一番には親子関係に問題があったのではないかとのこと。Kのように周囲の人間と真の意味で信頼関係を結べない人間は、幼い頃から良好な人間関係の結び方を学んで来ておらず、その原因のひとつとして親が学力偏重主義で体裁ばかりを気にして、ひとりの人間としての在るべき姿を十分に子供に教育しなかったからではと分析しています。

友人が小3クラスを受け持って観察するに、親子関係のうまくいっていない家庭の子供は概して学校でトラブルを起こしがちで、親は親で子供の真実の姿を直視しようとしない傾向が強いらしい。ある厳しい家庭の子は性格の裏表が激しく、大人の前では良い子ぶる一方で、同じ年頃の子供達の前では態度も表情も一変して恐いくらいだそうです。友人が彼の問題点を率直に親に進言しても、親は「ウチの子は本当は良い子なんです。何かの間違いです(つまり相手が悪い)」と言って譲らない。我が子の非を認めようとしない。そこそこ成績は良いものだから、友人とのトラブルがあっても意に介さない様子だと言います。

既に周りの親も子供達も、その子の実像を見抜いていて、その子とは距離を置いているようです。”知らぬは親ばかりなり”で、子供は孤立を深めているのです。友人は親の考え方が変わらない限り、その子は将来Kのようになりはしないかと心配しています。親は我が子を信じることも大切だろうけれど、周囲の忠告に耳を貸すくらいの余裕(謙虚さ?)を持たないと、結局我が子を追い詰めることになるのでは?親自身が何らかの(心の?)問題を抱えている可能性も多分にあるけれども…一教師が、一生徒の家庭内の問題に対して、どこまで踏み込めるかは難しいところであります。しかも教師が責任を負うのはその子ひとりではなく、クラス全員の子供達に対してなのです。そのジレンマで友人は体調を崩しかけたらしい。私の口からは溜息ばかりが出ました。
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