はなこのアンテナ@無知の知

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多摩川河川敷中一男子生徒殺害死体遺棄事件について思うこと

2015年02月24日 | 気になったニュース
未然に防げたはずなのに、結果的に防げなかった、悔やまれる事件

 遺体発見現場は、数年前に散歩したこともある遊歩道の近くのようだ。散歩した限りでは、休日の昼下がりには、人々がジョギングや散歩やスポーツを楽しむ長閑な雰囲気の場所と言う印象だった。ただし、散歩当時、川縁に個人が勝手に造ったと思われる違法桟橋が散見されたことには違和感を持ったのを覚えている。その入り口ドアにはことごとく役所による「退去勧告」の紙が貼られていた。

 国内外を問わず、日中と夜間では様相が一変する場所がある。多摩川河口に近い事件現場付近も、そういう場所なのだろう。夜間は街灯も少なく暗くて人通りも絶えた場所。不良グループがたむろするには格好の場所となる。

 防犯カメラに映った犯人と思しき数人の姿。現場付近で発見された物的証拠の数々。ここ数ヶ月の被害者が置かれていた状況。警察は被害者の交遊関係から容疑者の洗い出しを行っているようだが、身柄拘束は時間の問題だろう。

 ネットには既にこの事件に関して、虚実入り交じっているであろう様々な情報が飛び交っている。

 一連の流れを見ると、長崎の事件と同様に、どこかで被害を未然に防げたのではないかと言う疑問が拭えない。

 誰もが見て分かるほどの大怪我を顔に負った時点で。
 あれほど熱心に取り組んでいた部活をやめると言いだした時点で。
 不登校が1月も続いた時点で。
 夜間徘徊をするようになった時点で。
 友人に「殺されるかもしれない」とSOSを出した時点で。

 被害者少年が置かれた過酷な状況から、少年を救い出すチャンスは何度もあったはずだ。親も学校も周囲の大人も、そして友人達も、彼を助けてあげられなかったことを心の底から悔いるべきだ。恥じるべきだ。私もこの社会を形成している大人のひとりとして、被害者に対して本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 さまざまな要因が重なっての今回の事件。大人の事情で未来ある子どもの命が犠牲になったとも言えると思う。

 ・被害者が川崎に移る前に一家で住んでいた島を知る地元の人の話によれば、物価も本土の1.5倍の島で、漁師として一家の生計を立てるのは容易ではなく、通常は定年退職後の趣味として漁に出て自家用の魚を調達する程度の人が殆どらしく、働き盛りが脱サラしてまで選ぶ仕事ではないらしい。それが事実なら、父親の「漁師になりたい」の一存で、結果的に7人家族の人生の歯車が狂ったとは言えないのだろうか?(少なくとも母親はそう思っているのではないか?神奈川から移住して来た身とは言え、両親の離婚によって泣く泣く7年間慣れ親しんだ島を離れ、恩師や友人達とも別れ、再上京したことが裏目に出て、本当に少年が気の毒だ)

 ・5人の子ども?を抱えたシングルマザーが元々縁もゆかりもない島で暮らす術はなく、実家を頼って上京したのは仕方ないとしても、祖父母もけっして経済的に余裕があるわけでもなく、中年で特殊技能や資格がない女性とあれば、仕事も選んではいられない。母親も母子家庭の家計を支えるのに必死で、仕事柄、夜勤で夜間も留守がちとなれば、ひとりひとりの子どもへの目配りも難しいのが実情だろう。貧すれば鈍するで、実質的にネグレクト状態になるのは十分あり得ることだ。

 昔は貧乏子沢山もけっして珍しいことではなく、ご近所同士の繋がりで、自分の子、他人の子関係なく子どもを守り育てる気風もあったが、今の社会は違うような気がする。私の家も貧しく、父親は病気や交通事故で入退院を繰り返し、母親は朝から晩まで働きづめで殆ど家におらず、子育ては放任に近かったが、周囲の人間関係に恵まれて、私や妹弟も誰ひとり道を踏み外さず、犯罪に巻き込まれることもなく済んだ。当時お世話になった方々には今でも本当に感謝している。

 果たして困窮し、孤立するこの母子家庭を、社会的セーフティネットで支えることはできなかったのだろうか?その意味で、今回の事件は「子どもの貧困」に関わる問題とも言える。 

 ・子どもを守り育てるのに、家庭や学校、地域、行政の連携は欠かせない。今回のケースでは、もっと早い時期に児童相談所や警察の出番があったはずだ。私には、被害者少年の周りにいた人間が、彼の置かれた緊迫した状況を軽視した結果が、今回の事件に繋がったように思えてならない。

 我が子を誰よりも守るべきは親の役目であるのは当然としても、被害者が「万引きを強要されて断ったら酷く殴られた。殺されるかも」と言った時に、友人がそのSOSを深刻に受け止めて、自分の親なり教師なりに相談することもできたのではないか?もし「まさか、本当に殺されるとは思わなかった」と言うのであれば、彼の置かれた状況が深刻と思えないほどの人権感覚の麻痺(=当該地域における、そうした状況の日常化)が疑われるし、困っている家庭や子どもに、ちょっとした目配りさえ出来ないほど、大人や子ども達に精神的な余裕のない状況(或いは他人への無関心?)こそが問題だと思う。

 遠い外国の話ならいざ知らず、自分の身近で起きている出来事である。もし自分が大人ならば「自分がよく知る子ども」、よく知らないにしても「同じコミュニティに住む子ども(もしかしたら我が子の同級生かもしれない)」、子どもなら「友達」の、"身"に起きている出来事である。その身を案じる優しさと、困っていれば手を差し伸べ、必要とあれば関係機関に働きかける勇気が、今、大人にも子どもにも必要なのではないか?(もちろん、自戒を込めての提言である。)

 言わずもがな、行政側にもやるべきことはある。児童相談所の人員増と権限強化を速やかに図るべきだ(米ドラマを見ていると、日本の児童相談所に当たる児童保護局の権限の大きさと職員の毅然とした仕事ぶりが羨ましい。それだけ米国では児童生徒を巡る問題がより深刻と言うことなのかもしれないが、小泉政権以降、格差社会を是認する方向に日本が進んでいる現状を鑑みれば、子どもを取り巻く環境も、残念ながら確実に米国社会の後追いをしていると言えるのではないか?)。警察も防犯対策にもっと注力すべきだろう。

 児童生徒を巡る問題が社会問題化している今、学校・児童相談所・警察を横断的に繋ぐ新たな組織も必要なのではないか?立法府も、一部悪童が「20歳未満なら何をやっても構わない」と自分達に都合良く解釈しているとしか思えない「少年法」の在り方について、今一度考えるべきではないか?たとえ少年犯罪であっても、犯罪手口の悪辣度によって更生の余地の有無を判断し、場合によっては成人並みの刑罰を与えることも検討してはどうなのか?

 子どもを守れない社会に、未来はないと思う。


 最後に、亡くなられたU君のご冥福を、心よりお祈り致します。本当に腹立たしく、悲しい事件です。


【2015.03.03 追記】

 結局、犯人は当初から噂されていた、被害者と交遊関係のあった不良グループのようだ。地元でも有名な不良グループらしく、この不良グループが被害者をしばしば殴打していたのを見咎めた別のグループが、主犯格少年の自宅まで乗り込んだ一週間後、報復行為として今回の事件を起こしたらしい。乗り込んだグループに対してでなく、「チクった」として被害者個人に攻撃が及んだことは、犯人達の「強い者には弱く、弱い者には強く出る」卑劣さと情けなさを端的に示している。

 別のグループが主犯格少年の自宅に押しかけた時に、彼の父親が警察に通報し、警察も介入する騒ぎになったらしいが、その時の警察の対応がもう少し徹底したものであったなら防げた事件だったのかもしれない。今となっては何を言っても結果論でしかないのが悲しい。

 現在の「少年法」は、戦後の混乱期に、生き延びる為に窃盗等の犯罪に走った戦災孤児らの更生を念頭に置いての法律だと聞く。当時と現在とでは少年を取り巻く状況が大きく変化している。豊かな社会における少年による凶悪犯罪、更生に重きを置いた「少年法」を自分本位に解釈しての不良少年らの凶行。そうした状況を踏まえての「少年法」の見直しは、早急に図られるべきだと思う。或いは、現行の「少年法」が未熟な少年の保護・更生を念頭に置くならば、保護者の責任はもっと重く問われるべきだ。被害者遺族の粘り強い取り組みで法律を変えた事例として、道路交通法の「危険運転致死罪」の適用がすぐさま思い浮かぶが、人が何人も死ななければ動こうとしない政府の対応の鈍さも腹立たしい。

 また、防犯対策として、青少年を取り巻く環境の在り方について、今一度、家庭、学校、地域コミュニティ、行政(児童相談所等)、警察が真剣に考え、連係して直面する問題に取り組まなければならないと思う。特に子を持つ親は、我が子としっかり向き合う必要があるのではないか?
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