Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

折り合いをつける

2008-01-15 | 医療・病気・いのち
若いうちは何でもはっきりしたがる傾向があるし
なんでも白黒つけられるものだと考えがちでもある
しかし生きていくうえでなかなか「絶対」と言えることは無く
多くの出来事や問題は相対的なものであるから
論理的思考がすべて正解にたどり着くわけでないということが
年齢とともに実感として納得できてくる

癌の治療においても
癌の根治という目的をいつまでも絶対視し
理詰めでそれのみを求めていると
患者さんにとってなかなかつらい状況になることもある
医療者は患者さんの全体を見て
その方の考えを聞いて
どのように治療を行っていくか
総合的に考えていく必要がある

末期がんの方に対し
どこまでも抗がん剤を使用する愚は
避ける必要がある
そしてどこかで癌と折り合いをつけるのが大切になる
無理な治療はどこまで行っても 「無理」 なのである

知人の親が調子が悪いとのことで病院で検査を受けた
診断は末期の肺がんで
予後1ヶ月の可能性が高い
との診断であった

本人の決断は
一切のがん治療は行わず
症状の緩和のみを行う
ということであった

その後症状の波はあったが
診断後1年を過ぎて他界された
その間子供の家に逗留したり
好きな野球観戦を実現したり
という風に最後のときを楽しみつつ
子供や孫との大切な時間を過ごした

恐らく予後1ヶ月といわれたときに
抗がん剤の投与などを行えば
苦しみの中を
もっと短い時間で駆け抜けたのではないかと思う

十分治療が有効であると思われる場合まで
癌と闘うな
などと無責任なことを言うつもりはないが
進行がんの治療では
どこかでギアチェンジが必要なときが来る

会おうと思えばすぐに

2008-01-14 | 想い・雑感
死神が
病人の足元にいるときは助かるが
枕元にいると何しても助からない(逆だったかな?)
ということを前提とした落語がある

死神とやらがいるのか居ないのかは知らないが
もう難しいだろうとう状況は
死の数だけやってくる

多発性の転移がある50代の患者さん
月単位の予後と思われ
死神が もしいるならば
足元から枕元へ移動しようかという時期

その方のお兄さんが来られて
80代の母親が遠方に居て
いま体調を崩しているのだが
すぐにでも連れてきて会わせるほうがよいか
とのご質問

元気な人でも明日のことはわからないし
どんな人でも今度があるかどうかはわからない
会えるときに 会おうと思ったときに
なるべくすぐあったほうがよい
というのは私自身 身にしみている
とは言えなかなかすぐにと言うのも難しい状況

お兄さんには
急変の可能性も0ではないけど
ここ数週間ということはないと思います
ご本人の体調とお母さんの体調をみて
より動ける
体調の良いほうが 
なるべく早く会いに行く
というのが良いでしょうね と伝えた

そのお兄さん自身も
週に3回の透析を受けている身
なかなか大変なことが重なってしまったものです

癌も きれちゃうことがある

2008-01-13 | 医療・病気・いのち
切れる

という言葉が新聞紙面を飾る頻度は少し落ちてきましたが
相変わらずどうしてこれくらいのことで…という理由で
人を傷つけたり 殺めたりする事件は後を絶ちませんね

押さえつけられ抑圧されていると
人はどこかで爆発するものかもしれませんが
現代では堪忍袋の緒が随分と弱く貧弱になってきているのかも知れません

癌細胞も押さえつけるときれることがあります
治療に対する反動で一気に反乱を起こしてしまうのです

手術を行った後に
手術前には全く検査で見つからなかった転移巣が
一気に花開くように月単位で出現することがあります
癌を怒らせたという感じです

また抗癌剤を使用して
非常に効果があった場合も
一旦効果がなくなると一気に癌が反攻にに転じ
体中に転移巣が現れてくることがあります

こうなってくると
いわゆる癌を直すための治療というのは不可能となり
患者さんの苦痛を少しでも少なくすることに
多くの力を注ぐことになります

ただ自分の置かれている状況を
どのように受け止めて行くかは
個々人により違うことですし
すべての人にとって初めての経験ですから
マニュアルなんて存在しませんよね

感情とすればそこの所もなんとかお手伝いしてあげたいと思うのですが
何とかできるなんて言うのは医療者の驕りであるように感じます

ターミナルケアの中で決まった方法が最後まで見つからないところ
それは人が死をどう受け止めるかというところなんだろうな
と思います

転失気(てんしき)

2008-01-13 | 医療・病気・いのち
「おならでてますか?」
こんなことを日常生活の中で問われれば
なんと失礼なやつだ
ということになりますが
消化器外科の病棟では普通の挨拶みたいなもの

おならが出れば
腸が活動しており
途中で詰まってもいないということが保証されたわけで
大いばりである

開腹手術の時には
腸が空気に触れるし
お腹の中はごそごそ触られるしで
術後しばらくは腸がびっくりして動かない
数日経ってようやくおならがぶーと出て
良かったねとなる

いろいろな原因で腸が途中で詰まってしまえば
その上流の腸に
消化液やガスが溜まってしまい
お腹がふくれ
おならはでない
いわゆる腸閉塞(糞詰まり)の状態

また腸の炎症や癌のために
腸と膀胱に交通ができてしまうと
腸の中のガスが膀胱に入り
おしっこと一緒にガスが出るという状態になることもある

おならがおしりの穴からでてくる
というのは大変有り難いことなのである

昔 昔の医学用語で
おならのことを転失気(てんしき)と言ったらしい
落語の中で
体調を崩した和尚が医者の往診を受け
「転失気はあるか」と聞かれ
転失気の意味が分からない和尚は
「生憎いまはございません」と答えるという場面がある
無いと言われ医者が調合したのは
大建中湯であろうか
ちなみにこの言葉
漢方医学の古典
「傷寒論」の中に出てくるらしい

遠隔転移

2008-01-12 | 医療・病気・いのち
癌治療を難しくしているのに転移がある
最初にできた癌(原発巣)から飛び火して
離れたところに病巣(転移巣)を作ってしまう

転移がない場合は
原発巣を何とかすれば
体から癌細胞を取り除けるので
手術などで取り除いてしまえば
それで治癒したことになる

転移があっても
原発巣近くのリンパ節だけにあるのなら
それを一緒に取り除くことにより治癒に導けるが
遠くに転移を起こすと治療は難しくなる

転移があるということは
本部(原発巣)から別動部隊が派遣され
他の場所で活動を開始していることになる
その別動部隊は一つとは限らない
つまり転移巣が一カ所とは限らないわけである

臨床的に転移巣が一定の領域に限局していると判断すれば
原発巣をきちっと取り除いた上で
転移巣も取り除く(切除する)という選択肢もあるが
多くの場合は
特に胃癌の場合は転移があれば多発しており
局所療法としての手術では治癒できない
メスの届かない状態になっている

こうなると
全身療法としての
抗癌剤療法や免疫療法に頼ることになるが
これらで治癒することは極めてまれである

自分が あるいは家族が癌になり
転移もあって手術できない状態に置かれたとき
つまり根治が難しく癌によって命を失う可能性が高くなったとき
どのようにしたら自分の気持ちをコントロールできるだろうか

闘病記を読むと
いろいろな心の変遷があるのがわかる
でも闘病記を書くほどのひとは
どこか客観的に自分を見ることができている人

その他多くの人はどうしているのだろうか

後期高齢者医療制度

2008-01-10 | 医療・病気・いのち
さてさて

健康寿命という言葉を前2回連続で出しました
その真意は

この4月から施行される
後期高齢者医療制度について
どう考えるかということです

法律の施行と言いながら
いまだに詳細が伝わってこず
また保険料の徴収を6ヶ月凍結
(これは選挙対策ともされていますが)
とごたごたしていますが

この制度が始まると
後期高齢者(75歳以上)は現在加入している健康保険を
脱退させられます
そして75歳以上の方だけの独立保険に組み入れられます

75歳というと
男性は健康寿命を越えており
女性もすぐそこ
全体とすれば
半分以上が健康を損なった人たちから
保険料を徴収し
その中だけで
医療にかかるお金を捻出しようというもののようです
子供などから扶養されている方の場合も
徴収されます
介護保険料も合わせると
後期高齢者のすべての方の年金から
毎月1万円くらいが天引きされるとの試算があります

また後期高齢者が体調を崩したとき
どこまでも医療を提供すれば
お金もかかりますから
一人当たりに支払われる金額には上限が決められます

保険料を滞納すれば
保険証を取り上げられるかもしれません

この制度も 
他の色々ある国民への痛みの強要と同様
行政改革の旗印の下
行われようとしていることです

こうなると後期高齢者に対して
十分な医療を提供しようとする医療機関ほど
経営が悪化します
これまでの医療費抑制政策で
経済的余力のある医療機関は少数であり
結局75歳以上の高齢者は
医療機関に十分はかかれないという状況になるのは
明らかでしょう

政府が音頭を取って
75歳以上の方には
十分な医療は提供できません
無い袖は振れません
はいごめんなさい
と言っている状態ですね

これまで以上に
ばら色の長寿を夢見ることが難しくなるこの法律
私はいつこんな法律が審議されたのか知りませんでした
話によると2年位前に国会を通過していたらしいのですが
いよいよ4月から施行という段階になって
知りました

みなさんどうします?

その期間は?

2008-01-10 | 想い・雑感
さてさて
平均寿命から健康寿命をひいた期間
というのはどのような時期なのでしょうか
字義通りに言えば
健康でない状態でいる期間になります

日本人の平均寿命が
他の国より5年から7年くらい長いにも関わらず
健康寿命はあまり変わらないという事実を見ると
健康でない時期が平均5年くらい続くということを意味します

外国の方は
日本人の比較的多くの人が願っているような
ピンピンころりの状態に近いといえるかも知れません
一方日本人の場合は
体は自然に弱ってきていよいよ着地というところに
医療の名のもとに
無理やり着地を引き伸ばすようなことが
行われている場合もあるのかもしれません

本当にご本人がやりたいことがあり
ぜひとも延命を望んでいるなら良いのですが
自分が望んでないのに
望んでいない状態のまま
生かされるというのは
何かつらく切ないような気がします

そこをどう考えるか
そのときになって考えるしかないかもしれませんが
あらかじめときどき考えてみるのは悪くないとおもいます

健康寿命

2008-01-09 | 想い・雑感
広告の中には
お年寄りが主人公のものも
少なからず見かける

共白髪という感じの
にこやかな笑顔を見せる老夫婦の写真が
その広告を飾る

80歳前後でも
旅行に行ったり
山に登ったり
スポーツをしたりと
まさにばら色の生活を
喧伝している

その年代より少し若い人々は
そこを目指し
そこに到達できると
夢を見ることとなる

しかし多くの人にとって
それは夢である

よく平均寿命が話題になる
近年日本はほぼ世界のトップを走り続けている
ところが健康寿命というのは
平均寿命ほど他の国々と変わらないというのが実情のようだ

健康寿命は
病気や怪我その他で日常生活に困難がある期間を
平均寿命から差し引いたもので
要するに何歳くらいまでピンピンしているかという指標だ

日本は男性71~2才 女性75~6才といったところで
他の国とせいぜい1、2年しか変わらないのである

となると80歳で旅行なんて
普通は考えられないのだ

やりたいことがあるのなら
せいぜい65才くらいまでにしてしまう心積もりをしておき
そこを越えたらもうけものという考えでいたほうが
心安らかな人生の最終コーナーを送れる様な気がする

定年になったら夫婦で旅行に行こうとか
70歳になったら好きなだけ絵を描こうだとか
もし今思い描いているのなら
そこまで待たずに
今 はじめたほうが
  実行に移したほうが
良いように思う

特に夢のみで倒れた人々が
病院に たくさん来られるのを見ていると

あなたの履歴は?

2008-01-08 | 想い・雑感
働き始めて14回引越しをしている
大学医局の指示で
あっち行け こっち行け
企業に勤めているわけではないので
大半は自腹での引越し

そのていどの回数でも
履歴書を求められると
すらすらと書くというわけにはいかない
今ではコンピューターに前回データが入っているので
なんでもないが
用紙を渡されて記入せよといわれたら
ちょっと戸惑う

政治家などでも
どこの大学を出たのか
卒業したのかしてないのか
一等書記官だったのか三等だったのか
などということすら忘れてしまうのだから
私がはっきりしなくても仕方が無い

私なんかよりずっと転勤の多い人は
なおさら大変だろうし
職業自体も変わった人などは
職を変えた月日まで求められても
難しい場合もあるだろう
うまく思い出したとしても
その事実を証明するものまで求められると
どうすることも cannot となる可能性がある
ましてコンピューターに入ってないとなると
どうしたらいいのやら

さてさて
年金の問題はどうなりますことやら
職歴だけでなく
払い込んだかどうかなんてわかりゃしない

そろそろわたしも問い合わせてみようかな

ステレオタイプの赤ひげ観

2008-01-07 | 想い・雑感
赤ひげへの幻想というのは根強いものがある
比較的多くの人が
赤ひげは私財を投げ打ち
お金のない人に無料で医療を施した
と思っている節がある

ところが正解は
医療にはどうしてもお金が必要だから
お上からお金を何とか搾り取って
養生所の資金に充てていたということだ
つまり医療に必要な予算を調達していたのだ

よく赤ひげ先生礼賛の様な文を見かけるが
予算折衝を現代の医者に求めても筋違い
医療に必要なお金を整備するのは
厚生労働省のお仕事のはずである

資金調達という意味での赤ひげの役割は
厚生労働省に求めるのが筋である

ところが

今や国民の健康にかなりの危害を加えるのが
厚生労働省であるとの様相を呈してきた

私たちの医療をよくしていくためには
国民と医療者の声を反映していくのが良いだろうし
その声を集約してシステムにしていくのが役人の仕事だろうに
省の利益のために行動しているとしか思えないような面がある
そして財務省の方向を見て活動しているとしか思えない節がある

国民の健康を第一に考える姿勢を見せて欲しいものである

もちろん患者さんを一生懸命診るのは
医者の役目
そこをいい加減にしてはいけない

自分を責めるのはやめよう

2008-01-06 | 想い・雑感
病を告げられると
自責の念に囚われる人がいる

どうしてこうなったのか
何がわるかったのか
自分があんなことをしたからなのか

どこまでも内に向き
自分を責め続ける

自分を取り巻くものから
自然から
国から
社会から
地域から
知人から
時には身内から
私たちはいろいろと責められる
自分自身までそれに加担する必要はない

自分を責めるのは止めよう
自分自身が
自分を守らないで
自分を好きにならないで
どうして心が落ち着くだろうか

自分を責めるのを止めると
自分を取り巻くものも
責めるのを止める

そして
今まで自分を責めていると思っていたものが
自分を守ってくれていることに
気付いたりもする

安心しよう
何か悪いことをしたから
倫理的に許されないことをしたから
病気になったわけではない
罰が当たったなんて考える必要はない

無茶な生活が
体を傷つけることはあるかも知れないが
聖人君子のような生活をしていても
人は病を得て死んでいく

自分を責めるのは
止めよう

塀の中も日本です

2008-01-05 | 想い・雑感
 日本国中どこに行っても、高齢者の割合が増えているのは同様であろう。刑務所も同じく、65歳以上の受刑者割合が増加しているという。そうなってくると、中には認知症の受刑者もいるようで、繰り返し窃盗をしても、本人が全く覚えていないし、そもそも会話が成立しないらしい。

 刑務所でも対応に困り、医療刑務所への受け入れを打診するも、治癒可能性のない患者受け入れはできないとのこと。

 さて、今後も、このような方が増えることはあっても減ることはないでしょう。後期高齢者が増えれば、認知症の方が増えるのは当然。体の機能が衰え、脳の機能も衰えていくというのが、老化というものなのですから。

 メディアに出てくる長寿の方はお元気な方が多いが、その他大勢の高齢者は寝たきりだったり、認知症だったり。長寿讃歌を喧伝する番組などが多いが、老いの現実を、まっすぐに見つめた番組作成もしてもらいたいものです。如何に自分の生を生き抜くか、つまり如何に死んでいくかを考える機会を、もっと増やしていきたいものです。

キャット空中三回転!!

2008-01-05 | 想い・雑感
 昨年の12月、ニューヨークで47回の高層ビルの窓ふき作業中に、足場が崩れて兄弟が落下したそうだ。弟は死亡、兄もかなり危険な状態だったが、全身の血液を2回入れ替えるほどの輸血を行ったほか、整形手術も9回実施し、話しができるほどまでに回復してきたらしい。

 そのうちアンビリバボーに出てくるかも知れない。

 しかし、ここで人の命は何とか救えるものなんだ、などと楽天的に考えてはいけない。実際一緒に落ちてしまった弟は死んでいるわけだし、おそらく、このビルの47回の窓を開放し、日本人1億3000万人が順々に飛び降り、落ちたところで直ちに医療を施しても、まず一人も助からない可能性の方が高いと思われる。こんな例であれば多くの人は納得してくれると思うのだが、医療の現場の話しになると、助からないとう状況があるのだということを理解しない人もいるようだ。

 例えば、心筋梗塞。心臓の広い範囲に梗塞が起これば、まず何をやっても助からないだろう。ところが、早く高次病院に搬送していれば、助かっただろうなどと判断する人がいるから信じられない。

 人の体は機械のように、きちっと組み立て直せば、必ず何とかなると思える、その思考過程の単純さ、気楽さをどうやったら身につけるのか、私には分からない。

 ひょっとしたら漫画の見過ぎかなあ。漫画では、窓から飛び出した後にしばらく空中に静止していたり、地面に墜落する直前にハンカチを広げてふわりと軟着陸したり、なんていう場面が出てきますからね。

おにぎり

2008-01-03 | 想い・雑感
おにぎりを作るのが得意である
当然三角おにぎり
具を入れるのもOKだが
基本は塩味だけの白いおにぎり(海苔を巻くまでは可)

手に水気と塩をつけ
さっと握って食べる
うまい!!

具入りを作るのも得意だが
具として使うのは
梅干し

昆布
などのシンプルなものが好きだ
コンビニに売っているエビマヨなども悪くないのだが
私は邪道だと思っている

得意といっても
まだ母親が握ったおにぎりほどおいしいものはできない
にぎる硬さと大きさが絶妙で
まとまっていて壊れないけど柔らかい
というおにぎりはなかなか難しい

学生時代
帰省から大学に戻るとき
必ず母親がおにぎりを
父親がだし巻き卵を作ってくれた

たくさん作ってくれるので
時には食べきれず捨ててしまうこともあった
「つくりすぎだよぉ。」と文句は言っても
正面向いてありがとうって言ったことなかったなぁ

今になってしみじみ深い感謝の念がわき上がってくる
しかし今更わき上がっても報恩はかなわず
孝行したいときには…
である

受けた恩は
子供や他の人に返していくことで
次に繋がっていくのでしょうね

ちなみに
だし巻き卵作成も得意だが
まだまだ父を越えられない

めだま先生

2008-01-02 | 想い・雑感
目玉先生

小学校3年の時の担任は
そう呼ばれていた

確かにくりくりした目をされていたのだが
名前の由来は見た目ではない

その先生は授業の時
黒板の左上に「目玉」
と書いてあり
授業中に集中力がとぎれてよそ見をしている生徒を見つけると
「こら!」
と言われて黒板の左端に順々に名前を書かれていくのだ

だから 「目玉先生」

私も何度も名前を書かれたわけだが
そのお陰で
今でも人の話を聞くときに
話している人の方を向いておくように気をつける

それに人と話すときには
相手の方を向くようにし
できれば目を見るようにしている

しかし
bad newsを伝えるときには
検査結果などで嬉しくないことを伝えるときには
その人の目を見続けることは心苦しい
聞く方も見られたくはないかもしれない

ただ最後に
「一緒に希望を持っていきましょう」
というときには
しっかり目を見つめるようにしている
というか目玉先生のお陰もあって
自然と見つめている