Podium

news commentary

定義の胡散臭さ

2008-02-15 16:16:19 | Weblog

新聞を読んだり、テレビのニュースを見ていると、政治家は聴衆のウケをねらって、そうとういいかげんな発言していることがよく分かる。日本の国会議員もその例に漏れない。その1人が法相をやっている鳩山邦夫で、彼の最近の暴言である冤罪発言は、「首相の任命責任が問われる」と朝日新聞が社説であきれたほどである(2008年2月15日)。

報道によると、この2月13日、鳩山は法務省で開かれた検察長官会同で、公職選挙法違反容疑で起訴された12人に無罪判決が出された志布志事件を、「私は冤罪と呼ぶべきではないと考えている」と話した。「冤罪」は彼の定義によると「無実の罪で有罪判決を受け、確定した場合」のことである。たとえ最長で1年1ヵ月身柄を拘束された人がいたとしても、無罪判決が出された場合は冤罪ではない、と鳩山は考えたそうだ。

結局、鳩山は翌14日の衆院予算委員会で「志布志の被告であられた方々が、不愉快な思いをされたとすれば、おわびをしなければならない」と陳謝。冤罪の定義について「人違いで有罪判決を受け、服役までした場合」などに限定して解釈していたと釈明したあとで、「今後、このまったく不確定な『冤罪』という言葉は公式の場で一切使うまい、と考えるようになった」と、法務大臣の発言としては非論理的な、なんだかやけっぱちな感想を述べた。

法を執行する側の法解釈は常に監視する必要がある。彼らに法解釈を任せておくのは、本当に危険なことだ。執行に都合のいいように解釈を捻じ曲げるからだ。

2002年アメリカ合衆国で、ブッシュ大統領の首席法律顧問だったアルベルト・ゴンザレスが司法省と共謀してよからぬことをたくらんだ。アフガニスタン攻撃のさいアメリカ軍が捕まえたタリバンやアルカイダのメンバーの容疑者から情報を引き出すため、常識上の拷問の語義を法の定義する「拷問」からはずして、拷問の定義をより狭め、それによって拷問を使いやすくしようとした。

彼らが作った拷問の新定義は次のようなものだった。「肉体的苦痛が、その強度において、臓器損傷や身体機能障害に等しい重大な肉体的損傷を与え、あるいは死にいたらしめる場合、これを『拷問』とよぶ」。このような拷問を行ったものは法の裁きを受ける、というものだった。

2004年になって、イラクのアブ・グレイブ刑務所の拷問・虐待事件が明るみに出た。その背景にあったのがこの新定義で、メディアにリークされ、大騒ぎになった。司法省は公式声明で先の新定義を取り消し「拷問はアメリカの法と価値観ならびに国際的な規範と相容れない」と声明した。

とんだ大統領法律顧問と司法省だが、こののちアルベルト・ゴンザレスは法律顧問から司法長官に栄転した。

まったく油断のできない世の中である。

(2008.2.15 花崎泰雄)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする