チュニジアの「ジャスミン革命」に続いて、エジプトでホスニ・ムバラク大統領退陣要求デモは、場合によっては、「民主化の第四の波」とよばれる歴史的な出来事に発展する可能性がある。あるいは、ムバラク退陣をめぐる政治的混乱の虚を突いて、エジプトをイスラム神政国家へ向かわせようとする勢力が主導権を握る可能性もある。
サミュエル・ハンティントンは1990年代初めに出版した『第3の波―20世紀後期の民主化』で、民主化の第1の波はアメリカ合衆国建国やフランス革命に始まり第1次世界大戦後に至る期間に発生し、第2の波が2次大戦後から1950年代に起きてドイツ、イタリア、日本、ラテン・アメリカで民主化が進み、第3の波が1974年のポルトガル革命から始まり、スペイン、東欧諸国へ広がっていった、と説明した。アジアでは、アジアでは韓国、台湾、フィリピン、タイ、インドネシアの民主化がこの時代に起きている。
政治的な動乱、変化、革命は伝染性があるように見受けられる。ただ難しいのが民主化が起きる理由だ。経済発展、近代化、中産階級、その国の歴史的特性など、さまざまな要因が絡み合っていて一様ではない。極度に単純化すれば、民主化の要因は、社会経済的発展が民主主義を推し進める圧力を生み出し、時の権力者の政治スタイル、政党、地域紛争、軍、国際的な圧力などの強弱によって、民主化の流れが起きたり、起きなかったりするようである。
チュニジアで民主化要求デモがベン・アリ元大統領を亡命させたとき、中東・アフリア地域では急激な人口増、食料の値上がり、高失業率、政治的抑圧、高齢化した権力者とその後継問題など、似かよった諸条件を抱える国いくつかあり、チュニジアの反政府運動がこれらの国に伝染する可能性が高いことが指摘されていた。
それらの国が、エジプト、イエメン、アルジェリア、リビア、モロッコ、ヨルダンだ。すでにエジプト以外にも、小規模ながらヨルダン、イエメンで反政府デモが起きている。
さて、エジプトだが、人口8000万強で一人当たり国民総所得が2000ドル、失業率9.4パーセント(2009年)、人口の3分の2は現在82歳のムバラク大統領が政権を握った1981年以降に生まれている。エジプトの政治がどのようなものか詳しいことは知らないが、サダト大統領が暗殺され、その後継としてムバラク大統領が誕生した1981年以来、非常事態法が30年間継続させて事実上の反政府行動を抑圧し、さらには、高齢のムバラクの後継者として彼の息子のガマルが有力視されていることだけでも、エジプトの政治の雰囲気はわかるだろう。
今回のエジプトの反ムバラク抗議行動の中核になっているのは、「4月6日青年運動」という若者のグループ、モハメド・エルバラダイが組織している反ムバラク「変化のための国民組織」、いくつかの野党勢力、それにイスラム組織「ムスリム同胞団」だと考えられている。
これからの展開は、ムバラク政権を武力で擁護している軍と警察の出方だろう。また、ムバラク-ガマル親子と軍首脳の駆け引き・取り引き、まがりなりもイスラエルと国交を持つエジプトを、中東政策の要の国として大切にし、ムバラク政権を擁護してきたアメリカの態度がポイントになろう。
エジプトの軍・警察首脳もアメリカ政府もいまのところ、ムバラク支持を続けた方が将来のためになるのか、新しい変化の潮流に乗る方が得なのか判断し切れず、模様眺めの様子である。
反ムバラク運動に参加しているムスリム同胞団は、20世紀前半にエジプトで組織されたイスラム国家を目指す宗教団体で、ナセル時代には非合法組織に指定され解散させられた。現在でも穏健な活動は認められているが、非合法組織の指定は解かれていない。ムバラク政権が、合法化するとイスラム国家建設運動に拍車がかかることを懸念してきたためだ。
ムバラク政権が崩壊したあとの権力の奪い合いの中で、ムスリム同胞団が権力の中枢を握る可能性もある。もし、そういう事態になれば、イスラエルをめぐる中東情勢に衝撃的な変化が生じるわけで、このあたりのヨミをめぐって、アメリカ政府は深刻な議論をしている最中だろう。「正義を行わしめよ、たとえ世界が滅ぶとも」という態度は個人には許されるが、国家には許されないと、ハンス・モーゲンソーは『国際政治―権力と平和』で言っている。アメリカの国益を損なわない範囲でのエジプトにおける正義の実現と、あわせて民主主義の主導者としてのアメリカのイメージの確保の道を、侃々諤々、論じあっていることだろう。
(2011.1.28 花崎泰雄)
サミュエル・ハンティントンは1990年代初めに出版した『第3の波―20世紀後期の民主化』で、民主化の第1の波はアメリカ合衆国建国やフランス革命に始まり第1次世界大戦後に至る期間に発生し、第2の波が2次大戦後から1950年代に起きてドイツ、イタリア、日本、ラテン・アメリカで民主化が進み、第3の波が1974年のポルトガル革命から始まり、スペイン、東欧諸国へ広がっていった、と説明した。アジアでは、アジアでは韓国、台湾、フィリピン、タイ、インドネシアの民主化がこの時代に起きている。
政治的な動乱、変化、革命は伝染性があるように見受けられる。ただ難しいのが民主化が起きる理由だ。経済発展、近代化、中産階級、その国の歴史的特性など、さまざまな要因が絡み合っていて一様ではない。極度に単純化すれば、民主化の要因は、社会経済的発展が民主主義を推し進める圧力を生み出し、時の権力者の政治スタイル、政党、地域紛争、軍、国際的な圧力などの強弱によって、民主化の流れが起きたり、起きなかったりするようである。
チュニジアで民主化要求デモがベン・アリ元大統領を亡命させたとき、中東・アフリア地域では急激な人口増、食料の値上がり、高失業率、政治的抑圧、高齢化した権力者とその後継問題など、似かよった諸条件を抱える国いくつかあり、チュニジアの反政府運動がこれらの国に伝染する可能性が高いことが指摘されていた。
それらの国が、エジプト、イエメン、アルジェリア、リビア、モロッコ、ヨルダンだ。すでにエジプト以外にも、小規模ながらヨルダン、イエメンで反政府デモが起きている。
さて、エジプトだが、人口8000万強で一人当たり国民総所得が2000ドル、失業率9.4パーセント(2009年)、人口の3分の2は現在82歳のムバラク大統領が政権を握った1981年以降に生まれている。エジプトの政治がどのようなものか詳しいことは知らないが、サダト大統領が暗殺され、その後継としてムバラク大統領が誕生した1981年以来、非常事態法が30年間継続させて事実上の反政府行動を抑圧し、さらには、高齢のムバラクの後継者として彼の息子のガマルが有力視されていることだけでも、エジプトの政治の雰囲気はわかるだろう。
今回のエジプトの反ムバラク抗議行動の中核になっているのは、「4月6日青年運動」という若者のグループ、モハメド・エルバラダイが組織している反ムバラク「変化のための国民組織」、いくつかの野党勢力、それにイスラム組織「ムスリム同胞団」だと考えられている。
これからの展開は、ムバラク政権を武力で擁護している軍と警察の出方だろう。また、ムバラク-ガマル親子と軍首脳の駆け引き・取り引き、まがりなりもイスラエルと国交を持つエジプトを、中東政策の要の国として大切にし、ムバラク政権を擁護してきたアメリカの態度がポイントになろう。
エジプトの軍・警察首脳もアメリカ政府もいまのところ、ムバラク支持を続けた方が将来のためになるのか、新しい変化の潮流に乗る方が得なのか判断し切れず、模様眺めの様子である。
反ムバラク運動に参加しているムスリム同胞団は、20世紀前半にエジプトで組織されたイスラム国家を目指す宗教団体で、ナセル時代には非合法組織に指定され解散させられた。現在でも穏健な活動は認められているが、非合法組織の指定は解かれていない。ムバラク政権が、合法化するとイスラム国家建設運動に拍車がかかることを懸念してきたためだ。
ムバラク政権が崩壊したあとの権力の奪い合いの中で、ムスリム同胞団が権力の中枢を握る可能性もある。もし、そういう事態になれば、イスラエルをめぐる中東情勢に衝撃的な変化が生じるわけで、このあたりのヨミをめぐって、アメリカ政府は深刻な議論をしている最中だろう。「正義を行わしめよ、たとえ世界が滅ぶとも」という態度は個人には許されるが、国家には許されないと、ハンス・モーゲンソーは『国際政治―権力と平和』で言っている。アメリカの国益を損なわない範囲でのエジプトにおける正義の実現と、あわせて民主主義の主導者としてのアメリカのイメージの確保の道を、侃々諤々、論じあっていることだろう。
(2011.1.28 花崎泰雄)