何年か前の3月、母親が90半ばで大往生を遂げた。火葬場の職員がまだ熱い台の上から焼き上がった骨を骨壺に詰めてくれた。台の上の遺灰の余熱を受けて顔を真っ赤にしながら、そのうえ、その目も赤く涙で潤ませて……。
「新しいサービスだろうか?」
「まさか!」
親族一同、このシーンを話題にしたが、実はこの職員の方はひどい花粉症であったことがわかった。
予報の通り今年の花粉は過激なまでに飛散している。目が赤くはれ、鼻水が垂れる。テレビで東北関東大震災の被災地の映像を見ると、さらに、症状が重くなってくる。
3月17日のNHKのテレビを見ていると、孤立した病院の屋上から、救出に来たヘリコプターに患者を救助してもらい、もうあとに誰も残っていないことを確認して、最後に自分が救助ヘリに乗った若い医師がいた。彼にはまもなく出産予定の妻が遠く離れた病院にいた。
一方で、3月18日付毎日新聞の報道によると――災害時の報道には誤報がつきものだから、あくまで今のところの話だが――自衛隊員が救助のために病院に到着したとき、そこには寝たきりの患者82人がベッドに取り残されていた。医師も職員もいなかった。
その病院は放射能漏れを起こした東京電力福島第1原発の半径10キロ圏内だった。毎日新聞の報道では、「院長は、『もうだめだ。逃げるしかない』と話す人が出たことをきっかけに患者を置いたまま西隣の川内村に避難。そこで合流した自衛隊と共に病院に引き返そうとしたが、第1原発から20~30キロ圏が屋内退避区域となったため、自衛隊だけが向かうことになったと説明している」そうだ。
「ヒポクラテスの誓い」には、「私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない」とある。柏原益軒は『養生訓』で、「醫とならば、君子醫となるべし。小人醫となるべからず。君子醫は人の為にす。人を救ふに志専一なるなり。小人醫はわが為にす。我身の利養のみ志し、人を救ふに、志専ならず」といっている。
どんな医者でも大学医学部で学んだとき一度は肝に銘じた言葉だろう。
船員法は船長の義務を次のように定めている。「船長は、やむを得ない場合を除いて、自己に代わって船舶を指揮すべき者にその職務を委任した後でなければ、荷物の船積及び旅客の乗込の時から荷物の陸揚及び旅客の上陸の時まで、自己の指揮する船舶を去ってはならない」
インドの古典『バガバッド・ギーター』は次のように言う。「あなたは自己の義務(ダルマ)を考慮しても、戦慄くべきではない……もしあなたが、この義務に基づく戦いを行わなければ自己の義務と名誉を捨て、罪悪を得るであろう。人々はあなたの不名誉を永遠に語るであろう。そして、重んぜられた人にとって、不名誉は死よりも劣る」(植村勝彦訳、岩波文庫)。
大震災・津波の爪痕と格闘している人々や放射能汚染下で福島第一原発の核燃料封じ込め作業をしている人々の胸には、この『ギーター』の教えに似たものが去来していることだろう。そうした厳しい覚悟を迫られている数多くの人々のことを思うと、今日もまた、花粉症がひどくなる。
(2011.3.18 花崎泰雄)
「新しいサービスだろうか?」
「まさか!」
親族一同、このシーンを話題にしたが、実はこの職員の方はひどい花粉症であったことがわかった。
予報の通り今年の花粉は過激なまでに飛散している。目が赤くはれ、鼻水が垂れる。テレビで東北関東大震災の被災地の映像を見ると、さらに、症状が重くなってくる。
3月17日のNHKのテレビを見ていると、孤立した病院の屋上から、救出に来たヘリコプターに患者を救助してもらい、もうあとに誰も残っていないことを確認して、最後に自分が救助ヘリに乗った若い医師がいた。彼にはまもなく出産予定の妻が遠く離れた病院にいた。
一方で、3月18日付毎日新聞の報道によると――災害時の報道には誤報がつきものだから、あくまで今のところの話だが――自衛隊員が救助のために病院に到着したとき、そこには寝たきりの患者82人がベッドに取り残されていた。医師も職員もいなかった。
その病院は放射能漏れを起こした東京電力福島第1原発の半径10キロ圏内だった。毎日新聞の報道では、「院長は、『もうだめだ。逃げるしかない』と話す人が出たことをきっかけに患者を置いたまま西隣の川内村に避難。そこで合流した自衛隊と共に病院に引き返そうとしたが、第1原発から20~30キロ圏が屋内退避区域となったため、自衛隊だけが向かうことになったと説明している」そうだ。
「ヒポクラテスの誓い」には、「私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない」とある。柏原益軒は『養生訓』で、「醫とならば、君子醫となるべし。小人醫となるべからず。君子醫は人の為にす。人を救ふに志専一なるなり。小人醫はわが為にす。我身の利養のみ志し、人を救ふに、志専ならず」といっている。
どんな医者でも大学医学部で学んだとき一度は肝に銘じた言葉だろう。
船員法は船長の義務を次のように定めている。「船長は、やむを得ない場合を除いて、自己に代わって船舶を指揮すべき者にその職務を委任した後でなければ、荷物の船積及び旅客の乗込の時から荷物の陸揚及び旅客の上陸の時まで、自己の指揮する船舶を去ってはならない」
インドの古典『バガバッド・ギーター』は次のように言う。「あなたは自己の義務(ダルマ)を考慮しても、戦慄くべきではない……もしあなたが、この義務に基づく戦いを行わなければ自己の義務と名誉を捨て、罪悪を得るであろう。人々はあなたの不名誉を永遠に語るであろう。そして、重んぜられた人にとって、不名誉は死よりも劣る」(植村勝彦訳、岩波文庫)。
大震災・津波の爪痕と格闘している人々や放射能汚染下で福島第一原発の核燃料封じ込め作業をしている人々の胸には、この『ギーター』の教えに似たものが去来していることだろう。そうした厳しい覚悟を迫られている数多くの人々のことを思うと、今日もまた、花粉症がひどくなる。
(2011.3.18 花崎泰雄)