ドイツにお住いの小野フェラー雅美さんから、歌集『とき』(短歌研究社、2015年)を頂いた。
哲学者マノンに注ぐ Silvesterpunsch モンク、ブルーベック。第九は聴かぬ
『とき』におさめられている大晦日の短歌である。「ジルヴェスタープンシュ(大晦日のパンチ):辛口赤ワイン3本、紅茶500ml、無農薬レモン・オレンジの皮1個、ニッキ2本、砂糖60g、ラム酒100mlを煮立てず熱くして」と歌集の注にある。
哲学者マノン? 私の知らない人である。
モンクはセロニアス・モンク。異端のジャズ・ピアニストで、代表作品は評者によってさまざまである。私は彼がマイルス・デイヴィスと組んだBag’s GrooveのBag’s Groove Take 2のピアノ演奏が好みである。Bagとはこの曲でヴァイブラフォンを演奏しているミルト・ジャクソンの綽名で、目の下に袋のように目立つたるみがあることからそう呼ばれた。Bag’s Grooveはそのミルト・ジャクソンが作曲した作品。モンクを聴くときは、彼がたたく鍵盤と鍵盤の間の秘められた音を聞けと、禅問答風のリスニングを求められるピアニストだが、ここではモンクが強烈なリズム感で一風変わった音を紡ぎ出している。
ブルーベックはTake Fiveで一世を風靡したジャズ・ピアニストだが、わたしは彼の演奏を好まない。
第九は日本の年の暮れの定番、ベートーベンの交響曲第9番のこと。私も「第九」は聴かない。今年の大みそかに聴く曲は決めてある。Billie Holidayの “Fine and Mellow”である。
数日前、ビリー・ホリデイの某アルバムのディスコグラフィーを検索していて、偶然、この演奏の動画(youtube)に行き当たった。1957年12月8日の日曜日の米国東部時間で午後5時から放映されたCBSテレビのThe Sound of Jazzと言う番組の中の一部である。この時の演奏はレコードやCDになっている。私のi Podにも入っている。ビリーの歌と、ベン・ウェブスター、レスター・ヤングのテナー・サックス、ヴィック・ディッケンソンのトロンボーン、ジェリー・マリガンのバリトン・サックス、コールマン・ホーキンスのテナー・サックス、ロイ・エルドリッジのトランペット。それぞれの短いが中身の濃いソロが聞ける。
だが、映像つきのセッションは、さらに一味違った。
スツールに腰かけたビリー・ホリデイがバックのアンサンブルにのって自作のFine and Mellowを歌い始める。
My man don’t love me
Treats me oh so mean
My man he don’t love me
Treats me awfully mean
He’s the lowest man
That I’ve ever see
ここでテナー・サックスのベン・ウェブスターが前に出て、力強くブルージーなソロを聞かせる。ベンのあとを継いでソロをとるのがレスター・ヤングだ。聞きなれた懐かしいレスター節なのだが、音には往年のはりがなくなっている。レスターの健康は陰りを見せていた。その失われたレスターの音を、ビリー・ホリデイのアップされた横顔が補っている。レスターの演奏に合わせてビリーは軽く上半身をスウィングさせている。顔には微笑みを浮かべ、とろけるような、つまり、mellowなまなざしで、何かを見つめている。
ビリー・ホリデイの公式ウェブサイトにある、Fine and Mellowのページは、その時の模様について、番組の企画に参加していた作家で音楽評論家のナット・ヘントフの次のような言葉を紹介している。
レスターが立ち上がって、私がこれまで聞いた中で最も純粋なブルースを演奏した。レスターとビリーはお互いを見つめ合っていた。彼らの視線は離れがたく結びついていた。ビリーはうなずき、微笑していた。ビリーとレスターの二人はかつてのことを思い出しているように見えた――それがどのような思い出であったとしても。それは調整室の中にいた私たち皆の涙を誘う光景だった。
ビリー・ホリデイとレスター・ヤングは若い売り出しのころ、気の合うミュージシャン同士だった。ビリーはレスターのテナーをバックに歌うのが好きだった。二人して多くの曲を残した。ビリー・ホリデイには、人種差別、麻薬、売春といった暗い記憶がからみついて離れない。そうしたビリーにとって、レスター・ヤングはほっとできるような心の許せる友、soul mateだった。
やがてビリーは麻薬漬けになり、かつてのつややかだった声を失った。レスターは徴兵されて、軍で人種差別にあったのがきっかけで、酒と麻薬におぼれるようになった。1957年のCBSテレビの番組は、人生の終末へと下り坂を転がっていたビリーとレスターの2人にとって、久々のreunionだった。
レスター・ヤングは1年余り後の1959年3月に死去した。レスターのお弔いの帰りのタクシーの中で「次は私の番よ」とビリーは知人に言った。ビリー・ホリデイはレスター・ヤングに遅れること4ヵ月、同年7月に亡くなった。
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以上の講釈をお読みいただいたうえで、冒頭の短歌のジルヴェスタープンシュでも作って飲みながら、 “Fine and Mellow” をご覧ください。
いや、上記のような因縁話などどうでもよろしい。もしあなたが男性であれば、このような身も心もとろけてしまうまなざしを向けてくれる女性が身近にいることの愉悦について、若し女性であれば、このような笑顔とまなざしを向けるたくなるような男性が身近にいることの愉悦について、それぞれ哲学者マノン風にビリー・ホリデイの表情から考察していただくのも、クリスマスから大みそかにかけての息抜きの一つではないでしょうか。
Podiumでは、この1年間というものぎすぎすした話題ばかりを取り上げて来ましたので、クリスマス・大晦日は、心のお浄めのお話といたします。
(2015.12.24 花崎泰雄)