①クレタ人は嘘つきだとクレタ人が言った。
②国論を二分する政治課題で、放送局が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、私の時に(電波法76条による電波停止を)するとは思わないが、実際に使われるか使われないかは、その時の大臣が判断する、と高市早苗総務相が2月8日の衆院予算委員会で答弁した。
①はエピメニデスのよく知られているパラドックスである。嘘つきのクレタ人が、クレタ人は嘘つきだ、と言った場合、「クレタ人は嘘つきだ」という発言内容は嘘になり、逆にクレタ人はうそつきではないことになる。すると、嘘つきでなくなったクレタ人が言った「クレタ人は嘘つきだ」という陳述は嘘でなく真実になり、クレタ人は嘘つきになる。その嘘つきのクレタ人が、クレタ人は嘘つきだと言った場合……と、解釈は堂々巡りを始める。ということで、エピメニデスの命題は、論理学の訓練の場合は別にして、実用的な日常の文章としては通用しない。
②の文章も、政治学辞典を参照しつつ、少々の補足を加えると、実用的な文章としては意味をなさなくなる。では、やってみよう。<>内が補足した語句である。
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国論を二分する政治課題で、放送局が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、<憲法改正・安保促進などの基本的価値体系を共有し、その実現のために、政治権力の獲得・維持を目的として組織された自由民主党のメンバーである>私の時に(電波法76条による電波停止を)するとは思わないが、実際に使われるか使われないかは、その時の大臣が<不偏不党の立場から見て、放送局が不偏不党の立場から逸脱しているかどうかを>判断する、と高市早苗総務相が衆院予算委員会で答弁した。
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その出自からして不偏不党の人ではない総務相が、放送局の不偏不党性を判定するのは「クレタ人は嘘つきだとクレタ人が言った」的なパラドックスであり、上記の文章が論理的に支離滅裂であることは、これで証明された。だが、エピメニデスの命題と違って、電波停止に言及した部分は、論理を超えた恫喝の効果がある。
(2016.2.12 花崎泰雄)