日本の安倍内閣が3月31日、戦前・戦中の教育勅語について、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」という答弁書を閣議決定した。4月1日の新聞が伝えた。
1890年(明治23年)の「教育勅語」とはどんなものだったかというと、
朕惟フニ、我ガ皇祖皇宗、國ヲ肇ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ。我ガ臣民、克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ、此レ我ガ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦(また)實ニ此ニ存ス。爾臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ、恭儉己レヲ持シ、博愛衆ニ及ボシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ、進デ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ、一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ。是ノ如キハ獨リ朕ガ忠良ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン。
斯ノ道ハ實ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶ニ遵守スベキ所、之ヲ古今ニ通ジテ謬ラズ、之ヲ中外ニ施シテ悖ラズ。朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ、咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ。
こんなものである。公文書が漢字とカタカナで書かれていた1世紀以上も前の古文書である。漢字読解をあまり得意としない副総理兼財務大臣に音読させてみたい。
この文書は1948年6月19日の参議院本会議で真っ向から否定されている。
教育勅語等の失効確認に関する決議
われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失つている。
しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。
われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすべきことを期する。
右決議する。
また、衆議院本会議でも同日、同様の決議がなされた。
教育勅語等排除に関する決議
民主平和國家として世界史的建設途上にあるわが國の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となつている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜りたる勅諭その他の教育に関する諾詔勅が、今日もなお國民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、從來の行政上の措置が不十分であつたがためである。
思うに、これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八條の本旨に從い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの詔勅の謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。
右決議する。
以来幾星霜。いまでは、自民党の国会議員の中に、教育勅語にもいいところがある、という者が跋扈している。
教育勅語の「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ、恭儉己レヲ持シ、博愛衆ニ及ボシ」あたりのことを言っているのだろう。だが、教育勅語を持ちださなくても、これらは人類共通の良識である。
「両親にはやさしくしてやれよ。それから近い親戚や孤児や貧民にも、また縁続きの物や血縁の遠い被保護者、わずかな期間でも一緒に暮らした友、旅人……にも」(井筒俊彦訳『コーラン』4-36)
この調子で行くと、自民党・文部科学省は次に「夫れ女子は、成長して、他人の家に行き、舅、姑に仕ふるものなれば、男子よりも、親の教えを忽にすべからず、父母寵愛して、恣に育ちぬれば、夫の家に行きて、必ず気随にて、夫に疎まれ、又は……」で始まる貝原益軒『女大学』を女子校の副読本に薦めるであろう。
嘘だろうって?
とんでもない、戦後レジームの否定が安倍政権の悲願なのである。
(2017.4.1 花崎泰雄)
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