季語研究会3月定例会合で、俳句・俳諧理論の資料として堀切実『芭蕉を受け継ぐ現代俳人たち――季語と取合せの文化』(ぺりかん社)を読み始めた。
同書の冒頭の「はじめに」以下のような記述があった。
「季語」は王朝期からはじまる「自然」と「人間」との一体感のなかから生まれた「文化」であり、俳句の中核をなすキーワードでもある。また「取合せ」も、巨視的にみれば縄文期からうかがえる日本の「文化」の一つであり、俳句の最も有力な表現方法であった。本書の副題「季語と取合せの文化」の由来はそこにある。
同書は「芭蕉から近、現代俳句までを共通の視点で分析してゆこうとする」堀切氏の研究姿勢の総括を図ろうとする評論集だ、と同氏は書いている。その意気込みはよしとしても、「取合せ」が巨視的に見れば縄文期らうかがえる日本の「文化」の一つ、という断定にはうなずけない。「取合せ」は森川許六が主張した発句の作法だが、それを日本の文化の一つとよぶのはおおげさすぎる。
縄文人がどのような言葉を話していたかは不明である。したがって縄文人の文化活動の記録も書きとどめられていない。縄文人の遺物は発掘されたた土器の類、三内丸山遺跡のような大規模集の跡やそこで発見された生存のための器物類だけてあって、俳句につながる日本「文化」の種子のようなものは見つかっていない。
堀切氏の『芭蕉を受け継ぐ現代俳人たち――季語と取合せの文化』は2020年の刊行である。季語と縄文の結びつきについて述べた資料は数少ない。そんななかで、宮坂静生「季語の誕生」(岩波新書、2009)が「季語」と縄文文化の関連について述べている。
季語の起源を縄文人の生活意識から探る。……私は途方もないことを夢想している。季語の起源を平安貴族の歌語からではなく、もっと遡って縄文人 の生活意識から探ることはできないかということだ。(175ページ)
また、宮坂氏は、志貴皇子「岩走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」について、
何回も唱しながら、私がはたと気付いたのは、早蕨の響きである。この歌は志貴皇子の個人詠ではなく、宴の場で唄われたものという。これは個人の声ではないたくさんの地の民の声が集まって、朗々と詠われているのではないか。この声には万葉人許ではなく、もしや遠く縄文人の声の谺も混じっているのではないか、幻想をいだかせる。
おわかりいただけると思うが、日本の文化である「俳句」の技法を古代日本の縄文人の生活にもみられ、縄文人の感性は近現代の日本人に受け継がれているというのは、証明済みの言説ではなく、個人的な仮説、ないしは夢想に過ぎない。それを一巻の書物の前書きで、証明済みの事実であると読まれるように書いたのは失策だった。
(2021.3.23 花崎泰雄)