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反日左派と嫌韓右派

2023-05-12 23:50:08 | 国際

3月のユン・韓国大統領の訪日と、5月の岸田・日本国首相の訪韓で、「徴用工」をめぐる日韓両政府の対立が一時的に棚上げされる方向へ進んだ。今回のあつれきの発端は、韓国大法院が2018年10月30日に「徴用工」に対して損害賠償をするよう新日鉄住金に命じる判決を出したことだった。元徴用工の補償問題は1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決済み」との立場を取る日本政府は韓国に対して反発した。

日本政府の言う「完全かつ最終的に解決済み」とは、「日韓請求権協定によって両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決した。その意味は、日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということであって、個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではない。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできないという意味である」(1991年8月27日、参院予算委員会での柳井俊二・外務省条約局長答弁の要旨)

日韓両国は外交保護権を放棄したが、個人の請求権は消滅させていない。それでいて、日韓賠償問題は完全かつ最終的に解決済み、という論理は理解に苦しむ。そこで日本政府は「韓国との間の個人の請求権の問題については……日韓請求権協定の規定がそれぞれの締約国内で適用されることにより、一方の締約国の国民の請求権に基づく請求に応ずべき他方の締約国及びその国民の法律上の義務が消滅し、その結果救済が拒否されることから、法的に解決済みとなっている」(2018年11月20日付政府答弁書、衆議院)と説明した。

一方、韓国大法院判決の論理は①原告(徴用工)の被告(新日鉄住金)に対する損害賠償請求権は、請求権協定の適用対象に含まれない②その理由は、 原告が請求しているのは未払賃金や補償金ではなく、「強制動員慰謝料請求権」に基づく慰謝料である③. 請求権協定の交渉過程において、日本政府は植民地支配の不法性を認めないまま強制動員被害の法的賠償を根本的に否定してきた、というものであった

このような見解の違いによる議論のすれ違いは、国際関係ではよくあることだ。そこで日韓請求権協定は、紛争が生じた場合はまず両国の外交交渉で解決を目指し、それでも解決しない場合は仲裁委員会を設けて判断をゆだねるとしているが、外交交渉は一方的な悪意の投げ合い以上の物には進まず、といって、仲裁委員会を開く動きも見せなかった。

岸田・ユン会談について、韓国の『東亜日報』は「今回の首脳会談で歴史問題は正式の議題にも上がらなかった。歴史問題はすでに解決されたという心からの理解と合意の下、未来に向けた協力議題に集中したものと理解される……しかし、これまでの韓日関係史が示すように、歴史問題に対する抜本的な和解がなければ、縫合と葛藤を繰り返すレベルから抜け出すことは難しい。民心の動揺や政権交代にもかかわらず、未来協力の道を続ける関係を構築するには、首脳間の一時的な信頼を越えた両国民間の歴史的和解が必要だ」(東亜日報 5月8日付社説)と書いた。『朝鮮日報』も「ユン大統領と岸田首相は韓国における反日左派と日本の嫌韓右派に振り回されず、未来に進まねばならない」(5月8日、朝鮮日報社説)とした。

『ハンギョレ』は、岸田首相は強制動員被害者に「大変苦しい、悲しい思いをされたことに胸が痛む思いだ」としながらも、政府レベルの反省と謝罪のメッセージは表明しなかった。最小限の「誠意のしるし」として評価できるが、「コップの残り半分」を満たすには依然として足りない……岸田首相は「3月の尹大統領の訪日の際、1998年10月に発表された日韓共同宣言を含め歴史問題に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいると明確に申し上げた」と述べた。「歴代内閣の立場」には「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」という安倍談話も含まれるだけに、これを謝罪とはみなせないというのが大方の見解だ(ハンギョレ 5月8日付社説)と論評した。

日韓基本条約や請求権協定が結ばれたのは1965年のことである。基本条約締結の交渉が始まったのは1952年。条約締結まで14年の歳月を費やした。賠償請求と朝鮮半島植民地化をめぐる歴史問題がネックになった。1965年、米国は北ベトナム爆撃を開始し、南ベトナムに米軍を上陸させてベトナム戦争を本格化させた。インドネシアでは9.30事件が起き、スカルノの親社会主義路線からスハルトの親米路線への転換が始まった。北から共産主義が下りてきて、東アジアの国々を次々と共産主義国家に変えてゆく、というドミノ理論が真顔で語られていた時代だった。米国は日本と韓国が組んで、反共防波堤になることを期待した。韓国は近代国家として独り立ちできる経済力をのぞみ、そのための資金が欲しかった。米国はその資金を日本に提供させようとした。日本も隣国である韓国と正式な外交関係を希望した。このようなどさくさの中で、日本と韓国は「歴史問題」についてのきちんとした議論抜きで条約を結んだ。

そういうわけなので、日韓のいがみ合いはこの先も、何かの調子で炎上し、うやむやのうちに沈静化することの繰り返しになるだろう。

 

(2023.5.12 花崎泰雄)

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