11月の浅草・鷲神社の酉の市は熊手。熊手でお金をかき集められますようにという縁起ものである。新年10日の大阪・夷神社の十日えびすの縁起物は福笹――商売繁盛笹もってこい。
商売をする人が縁起と実利を願って自民党派閥のパーティー券を買った。派閥の国会議員が派閥の割り当てで政治資金パーティー券を売った。ノルマを超えたぶんはピンハネ――洋風にいえばキックバック、少し品のいい日本語表現では「還流」――を享受した。むかし収入増を目論んでローマ・カトリックの教皇庁が免罪符を売り、その悪辣な手口への批判がプロテスタント教会の誕生につながった。
12月10日の朝日新聞一面に松野官房長官、西村経済産業相、萩生田政調会長、高木国対委員長、世耕参院幹事長の安倍派五人衆の面々の顔写真が並んだ。だが、世間がこれを忘れたころにはこれら5人衆は叙勲の対象者にもなるのだろう。のどかな国柄である。
政治の目標は「善」であるが、「何が善か」は人によって異なるとアリストテレスが『二コマコス倫理学』(岩波文庫)でいっている。世上一般の最も低俗な人々が解する善や幸福は「快楽」である。アリストテレスは快楽追求を善とする生活を畜獣的・奴隷的人間の暮らしと言った。他方、「政治的」生活者が追求するのは他者から己の優越性を求められる名誉である。だがこれもまた「善」とは違うものであると、アリストテレスは言う。
「パンとサーカス」状態をうまくつくり、統治しやすい国民を育成するのが統治の仕事と考える国があったし、今もある。統治者はそれによって権力者の優越性を求める。その地位を永続化させるために、非統治者に向けて快楽的社会を維持しようとする。
12月11日月曜日からのパー券スキャンダルの展開観覧を楽しみに、日曜日の御託はこのくらいにしておこう。
(2023.12.10 花崎泰雄)