祖母の見舞いに、と故郷に帰ってきたのですが、
帰った日の晩、祖父の方が先に逝ってしまいました。
祖父の大好きなお祭りの日、不思議と私以外の孫もみんな地元に戻って来た日です。
待っていてくれたのかな。
病に苦しんで、最後は自宅の布団での大往生。
静かな顔でねむっていました。
激しい人でしたが、晩年は人が変わったように穏やかになり、
祖母の看護も懸命にしていました。
おじいちゃん、ありがとう。
大好きなお祭りの日に撮ったスナップから、遺影を作ってもらいました。
夜は、自宅からお祭りの大輪の花火が見えました。
2週間ほど前から意識のない祖母の見舞いに行くと、
じいのことを知ってか知らずか。
静かに深く眠っていました。
でも話しかけると寝息が深くなり。
きっと聞こえているんだね。
わたしが流産したときにも、はっきりしない現実の合間を生きながら
「大丈夫だよ、まだ若いから。早く元気になってね」と
しっかり励ましてくれたおばあちゃん。
自分が一番しんどいであろうに、いつでも人のことを気遣ってくれていた。
両親が忙しかったとき、その分も私を育ててくれた人たちよ。
本当にありがとう。
どうかどうか、安らかに。
帰った日の晩、祖父の方が先に逝ってしまいました。
祖父の大好きなお祭りの日、不思議と私以外の孫もみんな地元に戻って来た日です。
待っていてくれたのかな。
病に苦しんで、最後は自宅の布団での大往生。
静かな顔でねむっていました。
激しい人でしたが、晩年は人が変わったように穏やかになり、
祖母の看護も懸命にしていました。
おじいちゃん、ありがとう。
大好きなお祭りの日に撮ったスナップから、遺影を作ってもらいました。
夜は、自宅からお祭りの大輪の花火が見えました。
2週間ほど前から意識のない祖母の見舞いに行くと、
じいのことを知ってか知らずか。
静かに深く眠っていました。
でも話しかけると寝息が深くなり。
きっと聞こえているんだね。
わたしが流産したときにも、はっきりしない現実の合間を生きながら
「大丈夫だよ、まだ若いから。早く元気になってね」と
しっかり励ましてくれたおばあちゃん。
自分が一番しんどいであろうに、いつでも人のことを気遣ってくれていた。
両親が忙しかったとき、その分も私を育ててくれた人たちよ。
本当にありがとう。
どうかどうか、安らかに。