こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

父死す

2020年07月28日 03時46分11秒 | つぶやき
父が97歳の大往生を迎えた。
脳梗塞の再発を繰り返も、
二年近く頑張りを見せた父。
やっと役割を終えたかのように、
安らかないい顔で逝った。
コロナの影響で、
家族葬、それも人数制限の選択肢しかなかった。
隣保の住人が寄り合って、
葬儀を執り行っていた時代を生きた父は、
生前、
自分も隣保の皆が寄り合っての葬儀で
見送られたいといっていたが、
その切望は時代の変容とコロナの災禍で、
なにひとつ叶いそうにない。

戦争を生き抜いた父、
小柄過ぎて徴兵検査に合格できなかったとか聞いた。
飛行部隊の整備兵として戦地に出たが、
「チビチビ」と苛められたらしい。
その逆境を歯を食いしばって耐え抜いたのだ。
私の立ち合いで医師が告げた臨終の宣告。
ベッドに横たわる父の顔にはまだ生気があった。
触れるとまだあたたかった。
小柄な体がひどく縮んでいた。
この父の偉大さを知るものは私一人だ。
父母、そして一人っきりの兄と、
私が愛した
わたしの家族はみんないなくなってしまった。
寂しい。(素直に悲しめない年になってしまった私が憎い)

あの日、
父の形相はかわり、
私は恐怖に震えた。
兄弟げんかで、加減をまだ知らない子供の私が、
兄の頭をそろばんで殴ってしまった時、
すかさず父の手が私を張り飛ばした。
「痛いやろ!それ以上痛いんが兄ちゃんや。
世界中でたった二人きりの兄弟やで、お前らは。
その大事な兄ちゃんを痛めつけてどないすんや」
すごい剣幕にびっくり、
泣きじゃくった私を兄は抱きしめて、
やはり泣きじゃくった。

久しぶりに思い出した。
私と兄と父のきずなの原点を。

父の容体急変の連絡を受けたとき、
9月展示会のチラシと
まちライブラリーの通信紙をプリントしていた。
図書館の展示会では二年前に、
手先の器用だった父が作った和凧を展示した。
「おまえだけや、わしの作ったもん理解してくれるんわのう」
95歳の父の目はうるんでいた。
あれが最後の親孝行になってしまったなあ。
絵を描いたり工作が父の楽しみだった。
その父に似てしまった私の存在は、
父に些かでも喜びを与えられただろうか。(自信はない)

小さくて逞しかった、
私が内心目標とした父の、
成仏を願おう。
合掌!サラバ親父!(あの世でまた親子になろうな)
コメント
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