こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

水の有難み

2021年10月16日 09時26分50秒 | 日記
夕方近くなると、
少し過ごしやすくなる。
それを見計らって畑に足を向ける。
畑での作業は、
暗くなるのが早くなった分、
短縮せざるを得ないが、
いまは草の生育も、
夏ほどではないので助かっている。
作業のほとんどが水やりになる。
雨が降らない状態が続き、
畑の土は乾きに乾き、カチンコチン状態。
それでも蒔いた種や、
植え付けた野菜苗は懸命に頑張ってくれている。
それに応えるべく、
水の補給に懸命である。
きのう水を運ぶためのポリタンクを5個購入した。
既にある20リットルのものではなく18リットルだが、
サイズ的に、
軽トラの荷台幅に合わせた。
2本では走行中にしょっちゅう倒れるからだ。
計7本のポリタンクの水を2回運んだが、
砂漠に水といった塩梅。
きょうはもうすこし回数を増やすことにした。
さておっつくかどうか定かではないが、
やるっきゃない。
畑の土中半分に埋め込んだ
貯水用の大きいポリバケツは畑に7か所埋め込んでいる。
それをいっぱいにしておくわけだが、
貯めるだけではなく、
野菜に水をあげなければならない。
追っかけ仕事は終わるともう「ヒーハー」
源ちゃんは傍にいてくれるが、
猫と違い犬の手は借りれそうにない。
ただいてくれるだけで励みになるから、
不思議なやつだ。
さあ、そろそろ水を運ぶとするかな。(自分を叱咤激励だ。笑)
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芋てんだぞ~!

2021年10月15日 11時02分41秒 | 日記
きのうの夕食は、
自家野菜を中心の献立。
メインは自家製たれにつけた鶏のから揚げだが、
他にサツマイモの天婦羅、
秋ナスとオクラは素揚げで磯野の味わい塩で、
小松菜の間引き菜をお浸しに仕上げた。
味噌汁は野菜たっぷりの具沢山。
新米のご飯が添え物状態だった。
サツマイモの天婦羅は絶品だった。
紅ホマレなど4種類ほど栽培したが、
新しい芋はどれも格別に美味い。
この間まで焼き芋が手っ取り早くて連続していたが、
天婦羅はやはり格上だ。
実はサツマイモの天婦羅、
子供の頃、
収穫以後はこれでもかというほど、
食卓に出た。
勿論おやつも芋テンだった。
田舎育ち大家族の中で育った母は、
とにかく食事つくりは質より量。
実はおふくろの味は、
山盛りのおかずを前に希薄である。(笑)
そのせいで苦手なおかずも増えたが、
芋てんだけはいまも大好物である。
「お父さんの芋てんは年季が入ってるからものが違うのよ」
こそばゆい妻の誉め言葉に娘も「うまい!」

さあ、明日もサツマイモの天婦羅を揚げるかな。(大笑い)


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さかむけって知ってるかい?

2021年10月14日 09時28分12秒 | 日記
自宅の裏側にある
ちいさな庭というか畑というか、
その一角に蜜柑の木があるが、
今年も昨年以上の実をつけている。
黄色くなりつつある実を見ると、
(温暖化のせい)などと考えてしまう昨今だ。
きょうも朝から急に気温が高くなったようだ。(暑いなあ)
昨夜は毛布をかぶる寒さだったのに……。(どうなってるんだろう?)
蜜柑の木の手前に繁茂する花(?)に、
模様の目立つ蝶が3匹飛び交っていた。
見ても不安んを掻き立てられる光景ばかりである。(はぁ~)
源ちゃんだけはマイペース、
1歳位迎えて以来、
やけにきりっとした顔を見せるようになった気がする。(かっこいい)

家族に頼まれて、
ジノラマめいたものの作成の手伝いを頼まれて、
ボール紙に悪戦苦闘中。
しかもさかむけがひどくなった。
湿り気のない天候が続くせいか、
やたら向けっぱなしだ。
子供の頃からひどかった。
「親不孝やからできるんやぞ、さかむけは」
両親にしょっちゅう脅かされたのを思い出す。
あの頃は、手でじきむしって血まみれになったりもしたっけ。
今は爪切りという便利なものがある。
ちょちょいのちょいと、
邪魔っけで痛い、さかむけを簡単に退治できる。

とはいえ、なんでこないさかむけがでけるんやろ?
やっぱり親不孝してきたせいなのかなあ。(自覚あり。ハァ~~)
それとも異常気候のせいと押し付けている自分が滑稽すぎる。(大笑)


何もかも思うようにならない世の中だ~~!(笑)
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インスタントライフ?

2021年10月13日 11時09分36秒 | 日記
深夜。
ワード作業が一区切りついたので、
ビデオを見ることにした。
机の上に三つのリモコンがある。
最近重宝なのがアマゾンプライム。
敬老の日に末の娘がプレゼントしてくれた
専用のリモコンで簡単にビデオが観れる便利なものだ。
時々、有料のビデオを視聴してしまい、
プライム会員の娘に叱られることもあるが、
高齢者のご愛敬と受け取ってもらおう。(笑)
考えてみれば、
昔々の話、テレビが我が家にやって来た日の思い出。
テレビを前にガチンガチンに固まっていた私。
あの頃も今もビビりっこのままの私。
プライムリモコン(?)になれるのも一苦労したものだ。
しかし、便利すぎるのも考えものだ。

映像を鑑賞すると、
その間他のことが手につかなくなる。
随分人生において無駄を繰り返した気がするのは、
年のせいなのか、
はたまた私の性格のせいなのだろうか。(笑)

所で今日も焼き芋を食っている。
オーブンレンジという原理なものがあるから、
焼き芋などすぐできる。
あらら、文明の利器(?)に頼り切っている自分が、
ちょっと情けないなあ~!(笑)



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サツマイモ後日譚

2021年10月12日 09時07分29秒 | 日記
昨日は半日かけて、
図書館で実施中の、
「オリジナル展」の展示物を修正、入れ替えた。
残るは20日あまり。
質より量の展示物だけに、
いやはや大変だった。

帰宅すると夕方誓い。
源ちゃんが大騒ぎで迎えてくれた。
放っておかれて怒っているのかも知れない。
「ごめんよ」
畑に連れて行くと、
いつもと同じく右左中央とダッシュを繰り返した。
夕方は涼しくなっているので、
ばてて「ヒーハー」する場面はなくなった。
畑の両側に位置する道を散歩するワンちゃんを、
決して見逃しはしない。
まだ姿が見えなくても、
バッと身構えている。
しっぽフリフリが、
いじらしくてかわいい。
日本ビクターだっけ、
レコード会社のトレードマークの
犬のキャラクターを思い出してしまった。

ひとしきり、
自分の時間を堪能した源ちゃん、
この間、孫と一緒に
芋ほりを楽しんだ後の畝に興味津々。
穴をあけ、鼻先を突っ込み、
「フンフン、バフバフ」と
鼻息荒く驚かせてくれる。
ところで収穫した芋は
土つきのままかげ干し状態だったが、
そろそろ保存しておかなくては。
もみ殻か新聞紙を使うのがいいらしい。
そうそう、子供の頃はもみ殻だった。
ちいさながけになったところ、
山肌が現れたところに、
室のような穴をあけて、
いっぱいにいれたもみ殻の中に、
サツマイモを突っ込んであった。
もみ殻に手を突っ込んで、
サツマイモを見つけてとりだす時のワクワク感。
たしか春ごろまでサツマイモを食べていたっけ。
ふかし芋、味噌汁、天婦羅、芋ご飯……(!)
今やあまり出番はなくなったが、
保存しておいてやろうっと。
そうそう、
源ちゃんもふかし芋、
おやつに食べてくれるんだ。
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静かなる秋祭り

2021年10月11日 00時39分20秒 | 日記
きのうは秋祭り、
コロナのせいで今年も神事だけだった。
お大師さんも開くので、
世話役の私も出張ったが、
実に静かな秋祭りに終始した。
高峰神社本殿で厳かに行われた神事。
二年前までは氏子の奉納屋台4台とみこしの練りが行われ、
それなりに賑やかな祭りをみんなで楽しんだものだ。
我が家は私を含め、子供4人が祭りを直接体験している。
私も息子二人は乗り子で屋台に乗ったものだ。
長じては担ぎ手を担っている。
周旋を務めた私だが、
故郷を離れた息子らは、
青年も周旋も務めることなく終わる可能性が高い。(残念極まりない)
娘二人は巫女の姿で浦安の舞を舞っている。
4人の子供と妻に私の家族勢ぞろいも実現、
しあわせ気分で秋祭りを楽しんだものだ。
今は末の娘だけが家に残っているという寂しさだ。
高峰神社の秋祭りは神事だけに終わったが、
私はしあわせ過ぎる思い出に浸り、顔を綻ばせた。(ウン)
来年は、ぜひ秋祭りの全面復活を願ってやまない。

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芋掘れ、ワンワンならず

2021年10月10日 01時40分47秒 | 日記
土曜日、孫たちが芋ほりに来る。
てなわけで8時過ぎに畑へ直行。
町の子である孫のために、
周囲の草刈りに励んだ。
しだいに暑くなってくる中、
孫のためならなんのその。
この日は源ちゃんはお留守番。
小さい孫らが怖がるからだ。
源ちゃんははしゃいでいるつもりでも、
ちいさい孫らには通用しない。
だから今日は、
自分も畑にいくよ~!と、
わんわんなく源ちゃんを、
心を鬼にして家に残した。
畑を独占の孫たちは、
芋ほりを思い切り楽しんでくれたようだ。
おじいちゃんとしては満足満足。
孫たちが帰ると、
すぐに源ちゃんを畑へ伴った。
随分暗くなっていたが、
源ちゃんは憂さを晴らすかのように、
右へ左へと敏捷に走り回った。
お付き合いの私、
しょうしょうエネルギー切れ。
早く孫と源ちゃんの中を取り持たなければ、
私の体がもたないよ~!(これは真面目な話。笑)

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誕生日の光景

2021年10月09日 03時43分26秒 | 日記
昨日源ちゃんが1歳になった。
それを祝いたがる妻と娘。
かくいう私も異存はない。
それぐらい、
甲斐犬源ちゃんは
我が家に欠かせない家族の一員になった証だ。
娘らはワンちゃん用のバースディケーキと、
ハロウィーンの衣装を買ってきた。
人も食べてもいいというケーキ。
お飾りのクッキーは固いという。
娘が初めて焼いたクッキーの硬さ以上は確実らしい。
源ちゃんに衣装を着せるのも、
スムーズにいくはずはないと思ったが、
かぶったままを少しばかりだが維持してくれた。
終わると、
もう衣装は形を成さない運命に見舞われてしまった。
いい感じに源ちゃん1歳の誕生日は祝い終わった。
私が子供の頃、
誕生日に特別なことをしてもらった記憶がない。
私の場合、12月生まれということで、
クリスマスを迎えるまで年を取れなかった。(笑)
誕生日はついでという扱いだったから酷い。
それでも確実に一つ年を取ったのだ。
出なければ、
いまの白髪の老人は存在していないのである。(大笑)

昼過ぎに届いた郵便。
いつものダイレクトメールや
役所からの通知書などではなかった。
いや役所からだったが、
秋の文芸祭の短歌部門入選のお知らせだった。
作品は「帰るはず娘まだかと苛立つは食べ時がある手料理のせい」
毎年応募することで秋の文化祭に参加している。
一市民として、
市の行事に参加、何とかも山の賑わいと考えてのことだ。
それが賞に選んでもらえたのは光栄である。
いい秋を迎えられそうな気がする。(ウン)
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地震だ!

2021年10月08日 09時47分17秒 | 日記
深夜、何気につけたテレビ、
東京23区の地震がニュースになっていた。
かなり混乱している状況だ。
コロナもあり大変である。
しかし自身はどこで起こっても不思議ではない
日本列島である。
かくいう私も地震による被害を受け、
顔真っ青な情況を経験している。
1984年5月30日と資料にある山崎断層地震。
当時37歳の私、
姫路花影町で喫茶店を営業していた。
回転して暫くしてぐらっと来た。
M5.6の地震 、姫路は4ぐらいだったかな。
棚からコーヒーカップやグラスが落下、
見るも無残な状態になった。
懸命に片付けに掛かり、地震の恐怖を覚えたのが、
片付け終わり、一息ついた後だった。
思い出したくもない記憶だが、
日本に生きる以上、
我関せずというわけにはない。
神戸の震災時は、
三宮まで炊き出しボランティアに出向き、
その惨状に言葉を失った体験もある。
災害時、助けあう心構えを備えていかなければと思ったものである。

今日は源ちゃんの誕生日。
1歳になる。おめでとう!いやはや生きていくということは、
悲喜こもごもをいかんともしがたいもである。(ウン)
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諦めててにいれたもの

2021年10月07日 10時07分56秒 | 日記
畑ドッグラン?で飛び回る源ちゃんだが、
ダッシュを繰り返すのを横目に、
畑仕事に集中していると、
いつの間にか傍にすり寄っている。
構ってほしいのだ。
気が付かないふりを決め込んでも、
そうは問屋が卸さないとばかりに、
源ちゃんはしつこい。
目が合うと、もう仕方がない。(甘いなあ。笑)
気になって仕事にならなくなる。
(ま、いいっか)諦めて源ちゃんの時間に飛び入り参加だ。
フリスピーで、しばし時間を忘れて遊んだ。
諦める。
そう私の人生において、
最も重要なワードである。
「できるまで頑張りなさい」
母に言われてやっては見るが、
人並みになれなかった幼児期。
とにかく運動能力に劣っている私を、
思い知らされる結果になるだけだった。
小学校に上がった時、
いや応なく強いられる体育の授業。
何もできず級友に笑われる時間を過ごした。
(出来へんもんはなんぼやっても出来ひんわ)と、
子供なのに達観してしまったのだ。
以来、できないことは諦めるという処世術を身に着けてしまった。
すると不思議なことに、
できることが増えたのだ。
選択肢が縮まり、
これならできるやんと気付きやすくなったからだろう。
「お前は努力が足らん」
そんな意見は聞き流した。
やれることをやる。
やれるから楽しめる、夢中になれる。
そして好きになる。また夢中になる。
そのプロセスを経て、
人に負けないと自認できるものを一杯手に入れたのだ。
諦めることは悪くない。
未練たらしく頑張ってみても、
出来ないことができるようになる確率は僅か。
だから諦めれば、
次の発見が容易になる。
やれることはたくさんあるはず。
それを見つける機会を作るには、
その時やっている無駄な?頑張りを捨てればいい。
単純な思考、乱暴な発想だが、
私の人生は諦めてつかんだものなのである。(大笑い)
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