老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

194;我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

2017-06-15 21:15:33 | 老いびとの聲
ゴーギャンは、完成後の自殺を念頭に、人間の生と死を描いた晩年の遺書的作品
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』

この作品名の言葉が好きである
我々を「私」に置き換え
ゴーギャンの言葉の意味を考えてみる
私はどこから来たのか
遥か彼方にある宇宙から
銀河鉄道に乗ってやって来たのか
私は何者か
それは
お前は誰だ
と言いかえることができる

認知症老人は私に向かって
「お前は誰だ」と尋ねられ
「星光輝」という答えを欲しているのではない
「私は何者か」
他人のことはよく見えるが
自分のことは
わかっているようでわかっていない
だからこそ
私は何者か
と 問い返してみる

*#194;好きな言葉 をPC操作ミスで削除してしまった
思い出しながら書き直したが、同じ文章に復元することはできなかった
タイトル名も変え、好きな言葉そのものを、タイトル名にした


193;労いの言葉

2017-06-15 11:28:56 | 老いの光影
松さんの散歩中の後ろ姿
(桜デイサービスセンターにて)

ご訪問いただき、ありがとうございます

ショート利用中 食事中に詰まらせ亡くなった
薔薇の花を食べた89歳の認知症老人 故松さん(女性)の(#165)
長女が訪れてきた

実母の介護から解放され
悔いのないというよりは 本当に最後まで介護をされてきた 長女
長女は「亡くなった父親が、もう俺のところに来いと母親を呼んだのでしょう」
「ショートの施設に対しても恨みはなく、介護して頂いたことで感謝しています」
「桜デイサービスには本当に助けてもらった。医院や病院の付き添いをしてくれたときは
本当に助かった。
両腕もあがらず腰も痛く、辛かった。本当にありがとうございました」
と 穏やかに話された。
亡くなった最後の場面を
素直に受け入れてもらえることができ
ホッとした。
「夜間の徘徊
頻回に重なったトイレの介助
朝方玄関上がり框での度重なる転倒による負傷
など
最後は本当に大変でしたよね。
娘さんも憔悴しきった表情で
この先介護続くのかと心配していました。
でもよく介護されていて
お母さまは幸せでしたし
安心してご主人のところへ逝かれたと思います」
と 言葉をかけると
最後は涙ぐまれていた。
介護を終えた後
介護者に労いの言葉をかけることも
大切なことである

妻が夫の老親の介護を終えたとき
介護の協力をしてれなかった夫であっても
最後に「介護お疲れ様、本当にありがとう」
と その一言があるかないか だけで

心身共に蓄積された介護疲れが
ふ~と心が軽くなります
労いの言葉がない夫は
自分が寝たきりになったとき
妻は老親ほど介護してくれるのかどうかはわからない