老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

217;4年余り着の身着まま

2017-06-22 11:48:23 | 老いの光影

72歳と若い片岡亀太郎さんは
4年前に重度の脳梗塞で倒れ救急車で搬送され入院
3ヵ月余りで退院したが高次機能傷害があり
要介護4の認定を受けた
デイサービスを週3回利用されているものの
亀太郎さんは深夜から夜明けにかけ
「トイレ!」(紙パンツ使用)と訴え
その度にトイレに行くこと頻回
(多い時には)1時間に5回
冬のときは蒲団と体は温まらず寝つけない
妻 鶴美さんの介護負担は大きかった
夜間に起きだし、歩きだしたりするため
ベッドの近くに蒲団を敷き
4年余り着の身着ままで過ごしてきた 

216;人生の春 ④

2017-06-22 08:16:43 | 老いの光影
小雨降る梅雨のとき 阿武隈川の辺には ハルジオンの群生が
貧乏草と疎まれているけれど 私はそんなハルジオンが好き


老人介護は、出会いに始まり、死別(わかれ)で終わる。
老人だけでなく、私たちも明日への生は必ずしも約束されていない。
不慮の事故に遭遇し、いつ命を失うとも限らない。
しかし、老人は私たちより死が間近に迫っている。
明日を迎えることができずに、深い眠りについてしまうかもしれない。
今日という一日が、老人にとっては
「残り少ない大切な時間」であり
私たちは、老人から「大切な時間を預かっている」ことを忘れず
介護に関わらせて頂く。

老人の死に直面したとき、
誰もが悲哀(かなしみ)、わが頬に悲哀の涙が伝わり落ちる。
老人との信頼関係や思いが深ければ深いほど、悲哀は大きくなる。
その死別のときに流した涙の重みを、
いつになっても忘れずに保ち続けたいと思う。
ひとりの老人に対し、完璧にかかわることは難しい。
誰もが理想と現実の狭間のなかで悩み、ジレンマを感じながら
日々の介護に追われている。
流した涙の重みを胸に秘めながらい
残された老人(生きている老人)に対して
悔いのない介護を行っていく以外にない。




215;白い雲と星

2017-06-22 05:04:27 | 春夏秋冬
天国に逝かれた松さんの家を訪れた

祭壇には花がたくさん飾られ
その真ん中に松さんの遺影が
微笑んでいる松さんが
無言に話しかけてくるよう
でも 話すことは出来なく
いつも松さんが坐っていた場所が
ぽっかりと穴があいたような
寂しさを感じてしまった
人間 自分が死ぬことの恐怖よりも
時間の流れとともに
自分の存在を忘れ去られてしまう
その怖れの方が恐く寂しさを感じる

白い雲 或いは夜空に輝く星を
見たとき
あなたを偲んだときに
あなたは私の心に生き還る