老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

196;死を悼む(いたむ)

2017-06-16 12:00:00 | 老いの光影
死を悼む

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鈴さん(89歳)が永い眠りについた。
二月頃前から食事を意識的に摂らなくなった。
途中で一度は食べたもの、また食事拒否となり、痩せていく一方であった。
お腹はかなり空き、「キュルルン、キュルルン」と鳴いても食べようとはしなかった。
点滴で生命(いのち)を辛うじて繋ぎとめ今日まで生きらえてきた。
極限の飢えと闘い終えた後の鈴さんの死顔は穏やかであった。
飢えから解放されたからであろうか。
彼女の頭の髪を掌で撫でながら、心のなかで「頑張ったね」と呟いた。
昨年の暮れに妹が他界し、後を追うように鈴さんはあの世に逝かれた。
頑(かたく)なに食べようとはしなかったのは何故なのか。
生きる目的を喪失したからなのか。
それで生きている張合いや生きている意味が「無く」なったために、
食事拒否という消極的自殺の途を選んだのか。

ひとりの「死」は、
「亡くなる」ことを意味し、その人がもうこの世に「居なくなる」ことである。
「亡くなる」ことは「居なくなる」ことであり、
この世にその人の存在が「無い」ことに列なる。
息をひきとる瞬間まで、この世に存在していたかけがえのない人が、
「死」によって、もうこの世には存在してない。
会いたくても言葉をかけたくても、もう傍に「居ない」。
大切な人が、親しかった人が、居なくなる=亡くなる、
そのことほど悲しく辛いものはない。

人間死ぬと時間が経つにつれ、その人のことを忘れてしまう。
自分が忘れてしまうことほど寂しいものはない。
いつまでもその人の死(喪失)から立ち上がれずにいると、
心の病を患ってしまいかねない。
ふと、何かあったとき、亡くなったその人が心に浮かび、
その人に心で語りかけることで、その人は心の世界で生き還ってくる。
人間死を怖れている、それは自分がこの世から居なくなることで、
生きていたという自分を忘れ去られてしまう、
そのことを怖れているのではないかと思う。





195;癒される

2017-06-16 04:15:01 | 老いびとの聲
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家族の一員でもあるbeagle元気
本当に癒され 可愛い
生後二ヵ月我家に迎え 
いまは四歳二ヵ月になる
興味心が強く 路上では臭いを嗅ぎ回る
動くものがあれば 走りだす
食欲旺盛
食後は眠りの世界に浸っており
傍からみると羨ましい限りである
「何を考えているのか」
「悩みがあるのか」
などとつい独白してしまうが
元気にしてみたら 
それは大きなお世話であり
“ワン!”と吠えられてしまう
甘えん坊で寂しがり屋
甘えん坊にしたのは飼主の責任 
と苦言を頂きそう
二本足で立ち上がり
サークルの上部枠に前足を乗せる
ときには食べ物を欲しさに
枠に顔を乗せ 
顔を三十度位曲げポーズをとる姿は
可愛らしく憎めない
犬にとって人間様は
どのように映り思うのであろうか
元気は我が子であり家族である