老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

211;人生の春 ③

2017-06-20 21:00:53 | 老いびとの聲
夜明けの空

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人にはさまざまな人生がある。
「老い」は単なる年齢的、肉体的問題ではない。
(死ぬ瞬間まで)
人間的な成長の軌跡としてとらえていかねばならない。
病気や障害を抱えた寝たきり老人や認知症老人の
訴えに耳を傾けながら、
老人の心をあるがままに受容していく。

老人は、人生の苦労や人間の痛み
そして忍耐を知っているだけに、
病院や介護施設で心無い言葉や看護・介護を受けても
じっと耐えていることが多い。
「無言」という言葉なき言葉で、
また虚ろな目で何かを訴えている老人。
そのじっと耐えている老人の姿から、
介護者は何を感じ取るのか。
ひとりの老人の人生の四季を「冬」で終えさせるのか、
それたも暖かい「春」を迎えさせることができるのか、
それは、介護員のかかわり方にかかってくるような気がしてならない。

210;一抹の不安

2017-06-20 17:08:41 | 老いびとの聲
黄昏時の用水路

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今日もまた大衆の面前で
縁石に躓き前のめりに転倒した
Wifeからは話に夢中で
よく足元をみないから
と、注意をされた

「五分前に話した人は誰なの?」
とWifeから尋ねられたとき
すぐ頭に浮かばず「誰かと話していたか」と
名前も顔をも浮かばなかった

ここ1月で2度の転倒
気が緩んでいるのか
足元をみていない
判断力も鈍ってきたように
自分ながら思い始め
老いの陰りが忍びよってきたのか、と
一抹の不安を感じている
しっかりしないと
足元からすくわれてしまう

209;人生の春 ②

2017-06-20 11:35:24 | 介護の深淵
夕陽に染まった淡い雲

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自然は春夏秋冬、四季の変化や彩りの変化を
わたしたちの日常生活のなかにもたらしてくれる。
季節の移り変わりは、人間の心を勇気づけてくれたり
癒してくれたりもする。
わたしは北海道に生れ育った。
厳しい冬であっても、必ず春を迎える。
冬から秋へと季節が逆戻りすることはない。
冬は厳しく、辛い。
しかし、凍えるような寒さや吹雪にあっても
木々が芽を膨らませながらじっと春の訪れを待つのと
同じように、人間もそうして春を迎える。
介護員は介護を媒介として
生きることを諦め、希望を失くした老人に
「春」をどうもたらしていくのか。

それは、希望、勇気、歓喜をどうもたらしていくのか。
そこに老人介護の本質があるように思える。


208;「施設に入るなら死ぬ」 ②

2017-06-20 01:23:48 | 老いの光影
那須連山と阿武隈川の夕映え
(beagle元気と私の散歩路)

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那津さんが住む自宅から那須記念病院まで行くのには
20km余りの距離があり、いつも車を利用されていた。

新館病棟4階418号室を訪れると
廊下側右のベッドで那津さんは、仰向けに寝ていた。
入院前に比べ老け込み、精気も弱弱しい印象を受け、
話す言葉は濁りがなく聞きやすかった。
一人息子の浩一(38歳)から
会う早々「母親は(介護)施設に入れるのか、姥捨てにするのか
そしたら死ぬ!」「家に帰りたい」
と怒り口調で話すので辟易している。
「退院後どうしたらいいのか、先が見えない。相談に乗って欲しい」
と依頼を受ける。

日中はほぼ寝たきりの状態にあり
ベッドに座ったとしても5分程度である。
立ち上がりも立つことも自力では全くできず
全介助を要する。
入院前は長男の介助によりトイレで用足しをしていた。
これからは、ベッド上でおむつ交換になり
大便も紙おむつのなかにしなかればならない。
要介護4の認定を下されてからは
長男の介護負担は増し、腰痛も訴えていた。
その上、肥料、米穀、酒の販売、配達もあり
お店の仕事も忙しかった。
到底自宅に連れ帰り、介護とお店の仕事を
両立させるには無理があり、先が見えていた。
まるきっり施設に入れ放しでは、親不孝のような気がし、
自宅で介護してあげたい、という気持ちもあった。

そこへ病室中に響くような声で
「施設に入るなら死ぬ~」と泣き叫ぶ彼女。
亡き父親から家業を受け継ぎ、切り盛りをしてきた那津さん。
大内の宿場から一歩たりとも離れたことがない。
大内で生れ、育ち、店の仕事一筋、83年間住んできたからこそ
施設に入るのは忍びなかったのかもしれない。
(婿であった夫は2年前に病気により亡くなった)

病院を退院し、即特別養護老人ホーム入所になるものなら
死ぬようなことはないが、生きることへの希望を失い
「生きる屍」のような状態に陥るのでは、と
長男夫婦は怖れていた。

そこで、私は3ヶ月から12ヶ月の幅を持ち
介護老人保健施設への入所を勧めた。