老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

354;秋桜の季節

2017-09-01 12:00:02 | 老いびとの聲
秋桜の季節

ひと夏の体験もないまま
秋桜の季節になった
秋分の日が過ぎると
陽が短くなる
私は気が短くならぬよう
気をつけなければ・・・・・
そのときの心情により
秋は爽快であったり寂寥であったりする
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353;“人生の短さ”と老人介護(2)

2017-09-01 04:52:00 | 文学からみた介護
“人生の短さ”と老人介護
 セネカ著、茂手木元蔵訳『人生の短さについて』岩波文庫

(2)

「大部分の人間たちは死すべき身でありながら、
・・・(略)・・・われわれが短い一生に生まれついているうえ、
われわれに与えられたこの短い期間でさえも速やかに急いで走り去ってしまう」
の書き出しで、
『人生の短さについて』が始まる(9頁)。

「われわれは短い人生を受けているのではなく、
われわれが短くしているのである」。


「人生は使い方を知れば長い」(10頁)

人間は生まれた瞬間から、死に向かって生き始める「死すべき」存在である。
誰にも平等に与えられた時間をどう使っていくのかによって、
その人の生き方が決まる。
自分の一生涯において行なった仕事は何であったのか。
「飽くことのない欲望」や「こびへつらいの付き合い」「酒や快楽」に溺れ、大切な時間を失っていないか。

われわれの存在と関係なく時間は永久にあるが、
われわれは必ず「死すべき身」であることに気づきにくい。


何歳になれば、これからの老後やその先の死を意識するのだろう。

「すでにどれほどの時間が過ぎ去っているかに諸君は注意しない。
充ち溢れる湯水でも使うように諸君は時間を浪費している」(15頁)。

われわれの目には時間は映らないものであり、
無形のようなものであるだけに、
時間の価値というものを見失っている




コメント (2)
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