那須連山・阿武隈川上流・夕陽
独り暮らし
人間は勝手な生き物であり、家族や同僚が煩わしく感じ、独り(孤独)になりたいときがあります。
しかし、現実に暫くの間独りになると、寂しく人恋しくなってきます。
人間は独りでは生きていけない存在なのかもしれません。
我が家で生まれ育ち、成人になった子どもたちは、
家を巣立ちそれぞれ独立し新たな家庭を築いていきます。
生まれ育った家には、老いた父母(高齢者世帯)だけが残り、
盆正月の時期になると、息子娘夫婦や孫たちの帰りを楽しみに待っています。
老いの先は「死の世界(あの世)」であり、
いま「この世」に生きている人は誰もが体験したことのない未知の世界であるだけに、
「あの世」のことはわからないのです。
本当に長い間労苦も喜びも分かち合い、生きぬいてきた二人は、
先にどちらかが「あの世」に旅立ってしまいます。
独りになってしまったとき、
特に男性の場合は日常生活における生活力の大小によってその後の「独り生活」が大きく左右されます。
独りになってしまった老いた自分と
独り身のまま老いた自分とでは、
「独りで暮らす」仕方は違って来るのではないかと思っています。
老いはその人の生きてきた姿とも重ね合うものがあります。
山が見える故郷には老いた母親が独り暮らしています。
独り暮らしを案じた長女は、東京に戻られた日に、私のところへメールが届きました。
「母の様子から、多少の物忘れはあっただろうとは思いますが、実際もそうかもしれないと感じる場面もあり、とても心配でした。泣いてばかりいる母を見て、本当に切ない思いでした。今まで、苦労して4人もの子供を育てても、世話をしてくれる子供が居ない事に不憫にも思いますが、少しでも残り後わずかな時間を楽しく過ごしてくれればと思っております。また、常々母の安否についても、このまま誰にも気づかれる事なく死んでしまうかもしれない事に心配しておりましたが、ケアマネジャーやデイサービスとの関わりにより、そのような心配が軽くなり、大変感謝いたしております」。
老いの年齢を幾つも重ねた母親が、
転ばぬ先の杖一本に身をまかせ、
覚束(おぼつか)ない足で玄関先の石段を降りていきます。
北の国では晩秋から石油ストーブは欠くことのできない暖房器具です。
赤くなった半球は、仄かな火を揺らぎながら独り暮らしの寂しさに温もりを与えてくれているかのようです。
火を点けたまま灯油を入れたり畳の上に灯油を溢れたりして、
引火しないかと心配しているのは、(遠く離れた処で住む)長女だけではありません。
『人』という漢字を見ると、お互いに「支え助け合う」という意味を持っています。
送迎車で自宅に着いたときや在宅訪問したときに、
デイサービスのスタッフは(ストーブの)給油タンクの針にも気をつかい、
灯油を注ぎ足すことも支援の一つです。
何気ない見守りの積重ねによって、独り老人が住み慣れた家で継続して暮らすことを保障していきます