老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

808;当たり外れ

2018-07-09 20:59:07 | 阿呆者
 当たり外れ


夏の果実の王様は
西瓜哉
西瓜は包丁で切るまでわからない。
「当たり外れ」なのかどうか。
当たれば甘い西瓜。
そんなことを呟いたら、
脇で聞いていた90歳の婆さんは、
結婚も同じく、「当たり外れ」がある。
生きているときは「外れ」と思っていたが、
旦那が亡くなってみると「当たり」だったかな
と、思い直した。

807;水を飲んだときは・・・・

2018-07-09 12:42:30 | 老いの光影 第2章
 水を飲んだときは・・・・

他人の痛みや喉の渇きは
わからない

本当は
自分が水を飲む前に
他者に水を与えて欲しい、と願うが
現実はそうではない

デイサービスや介護施設のケアスタッフに
よく話をする

夏は暑い
喉が乾いたら
冷たい水を飲むのはかまわない
自分が水を飲んだとき
喉が渇いても
水を飲むことを知らない、できない認知症老人のことを気遣って欲しい
冷たい水は
他者も欲していることに
気づいて欲しい

水は生命
水は乾いた喉だけでなく
気持ちまで潤わせてくれる

806;「介護思想」(3)感情が丸裸になる

2018-07-09 03:25:27 | 介護の深淵


 「介護思想」(3)感情が丸裸になる

認知症を患った老人の姿から感じることは、
その人の性格がそのまま反映されてくる。
やさしく、穏やかな性格の人は、
認知症になっても穏やかな性格であり、
きつい人は、そのままきつい性格となって表れて来る。

隣近所や職場など社会の中での他者とのつきあいは、
嫌な相手にお会いしても、笑顔で挨拶や言葉を交わしたりする。
そうしければ人間関係を保つことはできない。
ときには自分の感情を素直に出したり、或は感情を抑えたりして、
感情をコントロールできる。
認知症になると、感情はそのまま素直に出現する。
長年培ってきたその人の性格や生活歴が、実際の生活場面に反映してくる。
この先自分も認知症にならないとは限らない。
穏やかな認知症老人になり、介護者から好かれたいと思っているが・・・。

認知症とは直接的に関係はないが
死顔も同じ。
この世に悔いや恨みつらみもなく穏やかに死ねると、
死顔も眠ったように穏やかに死顔になる。
そんな顔して死ねるかどうかは、現世の生き方による。

認知症を患ってしまうと、認知面や理解力、判断力が落ちてゆく。
言葉を忘れたり、言葉そのものの意味がわからなくなったりするが、

感情は失わずに残っている。
認知症を患っている人は、すべてを失っている訳ではない。
怒ったりする人、指示や命令をする人、叩く人などは傍に近寄っていかない。
やさしい人、穏やかな人、話を聴いてくれる人には寄っていく。
バタバタしていてせっかちな人は、落ち着かず不安になり椅子から立ち上がったりして不穏になってしまう。

認知症老人が不穏になったり、怖い人から離れていくのは、
かかわり方の良し悪しに因る。