老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

810;blog日記

2018-07-10 12:15:55 | 阿呆者
 blog日記

日記は
他人に見せる(読ませる)ものではなく
自分の心の奥を
本心を書き綴るだけに
秘密の世界にある。

自分はいま日記をつけてはいなく
日常的なことも含め
ケアマネジャーの生業も含め
blogに書き綴っている
当然顔も名も知らぬ不特定多数の人たちが
自分の拙いblogを見ている
blog「空蝉/老い楽の詩」が
自分にとり唯一の日記となっている

本心をどこまで吐露できているか
ここまで書いていいものか、と
抑制が働くけれども
それでも他者を意識しながら
blogを書くことは決して悪いことではない。

感じたまま
想ったまま
風の吹くままに
blogを続けてイケレバ・・・
生命ある限り

809;親父の命日

2018-07-10 07:47:32 | 空蝉
空を見上げる 想いは故郷の空に繋がる

 親父の命日

48年前の7月10日、
親父は
あの世に逝った。
43歳だった。
当時自分は17歳。
親父の分まで生きよう
とその時思ったが、
自分の分さえも
生きてこれなかった自分。

いまなら助かった親父の病気 大腸癌。
息を引き取る寸前
親父は自分の手を握りしめた
その力は何であったのか

親父を偲ぶと
昭和の時代を思い出す
親父と生活した生家は無く
帰る故郷も無いが
故郷の風景は忘れぬ