老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1266; 存在が「失くなる」

2019-11-02 03:16:03 | 生老病死
存在が「失くなる」

にんげんは「死」を怖れる
この世の生物は「死」を避けることができない
にんげんも自分も同じく「死」ぬ

にんげん「死んだら」どうなるのか
「現在(いま“在る”、と読める)」生きているにんげんは
死後の世界は逝った(行った)ことがない
どんな世界なのか想像してみても
未知の世界

にんげん死んだらどうなるのか
にんげん死んだらどこへゆくのか
死んだときに「わかる」のだろうか

「死」の怖れよりも「失くなる」ことの怖さ

いままで四ヶ所の火葬場に行ったことがある
下野國に在る火葬場での体験は
死を「悼む」気持ちが感じられない火葬場の運営に憤りを覚えた

火葬場の釜で焼かれたご遺体の骨が
熾(おき、熾火)のように真っ赤なまま出てくる
骨が白く冷めないうち真っ赤なままでご遺族に引き渡す
ご遺族の気持ちを想うと遣る瀬なくなる

余りにも熱い骨なので
骨壷に入れることもままならず
火葬場の職員は作業のように手馴れた動作で
シャベルのようなもので骨壷に入れてしまう
そこには別離の儀式もない

常総國の火葬場では
骨が冷め白くなる状態にしてからご遺族を呼ぶ
立ち合った火葬場職員は合掌をしご遺族に悼みの言葉をかける


骨になったあなたを見ながら
骨壷に骨を入れる悲しみ、せつなさ、辛さを知る

もうあなたは「いない(存在が“ない“)
一緒に喜んだり哀しんだり楽しんだりすることもできない
あなたを失った気持ちはかんたんには癒えない

にんげん亡くなると
時間が経過するにつれ
過去の人となり忘れてしまう

自分が生きていた、という「存在そのもの」が消滅し
忘れ去られてしまうことに
にんげんは辛さやせつなさ、悲しさなど
複雑な感情を抱き
死ぬことを怖れる


医療施設や介護施設にいると
他人の「死」に慣れてしまいがち

死の「看取り」や「死後」の顔に対面の機会を
他者よりも多く持つ自分
死を悼む気持ちを忘れてはならない、と戒めている

もうあなたが存在しない(いない)
生きている時間(あいだ)に
できることをしていきたい

あなたに対しても
自分も
生きているうちに・・・・・