老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1298;津軽海峡・冬景色

2019-11-30 04:23:01 | 歌は世につれ・・・・
津軽海峡・冬景色


  
 津軽海峡・冬景色 

自分が初めて青函連絡船に乗ったのは
高校2年の修学旅行だった
北海道から内地(本州)へ巨大な連絡船で渡る
それは外国へ行くような気分であった

19歳のとき二度目の青函連絡船に乗り
杜の都仙台をめざし 福祉学を志した


青函連絡船の乗船は3時間50分
連絡船を降り函館駅に着いたときは
家に着いたような気持ちになった
長万部駅の蟹弁当の味が忘れられない



水上勉の小説『飢餓海峡』を思い出す
(小説も読み 映画も観た)
洞爺丸の大参事と岩内大火を題材に
貧困の中で懸命に生きた者たちの想いと
人生の悲劇を書いたものであった

青函トンネルが完成し鉄道路線が開通した
昭和63(1988)年3月をもって
青函連絡船の歴史は幕を閉じた


wifeと出会い
カラオケで『津軽海峡・冬景色』を
二人で唄い 
いまでは唯一自分の持ち歌となった曲

『津軽海峡・冬景色』を唄うたび
列車を降りた乗客は
青函連絡船の席を確保しようと
桟橋を走り抜けて行く光景を懐かしく思い出す

故郷である北海道
ニセコにあった生家は人手に渡り
帰る家はなく寂しいものである

青函連絡船に乗るときは
いつもひとりであった