老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1271; 黴菌人(バイキンマン)

2019-11-05 19:33:41 | 生老病死
自治医科大学附属 正面玄関


黴菌人(バイキンマン)

右足膝周辺と左前腕に発症した赤い結節
結節は増え
数えてみたら十数個もあろだろうか
擦れたり圧迫したりすると「痛い」

昨日、 37.8℃の熱があり、9時過ぎ
自治医科大学附属病院救急外来を受診
循環器科と皮膚科の医師が診察して頂き
翌日皮膚科に再度受診となった

今日13:20 皮膚科受診
診察室に十人の皮膚科医師が入れ替わり診察
その後十人の医師が集まり診療方針を決定した

左肘近くにできた結節の一つをメスで摘出
それを培養し何の菌かを特定した上で治療を行っていく
急ぎで培養した結果、特定された黴菌は非結核性抗酸菌

来週の12日に菌が特定する
一月以上の入院治療が必要であると、皮膚科医から話された
12月1日から二人のケアマネジャー が出勤するし
在宅訪問、介護請求等々あり
頭のなかが混乱

wifeは「バイキンマンだね。私はドキンチャンかな」と話しかけてくる。

入院を一週間先に延ばしてもらい
その期間に新任のケアマネジャーと一緒に座板訪問と書類の引継ぎ
嗚呼 黴菌が恨めしい

wifeにも負担をかけるし
wifeの「健康」も気がかり

病院と職場が近ければ日帰り外出もできるのだが
ほんとうに「どこでもドア」が欲しい

赤い結節が増えるばかり
入院し治療を受ける、と腹をくくるしかないのか


※ この頃のブログは私的なことばかり
※ 老けた証拠(あかし)なのかな・・・・





1270;時  間

2019-11-05 11:10:42 | 老いびとの聲
時  間

子どものころ
ぜんまい時計であった
柱時計にトンボの眼鏡のようなネジを差し込み
右に回すとぜんまいが巻かれていく

柱時計は高いところに設置されていたので
踏み台や椅子に上がりぜんまいを巻いたりした
その頃は時間は無限に感じられ
大人への世界は憧れでもあった

待つ時間は長く
過ぎた時間は早い
気がつけば老いの身となり
時間の少なさを知る

ぜんまい時計ならば
ぜんまいが切れ 
そこで時間が止まる
”時間よ 止まれ”

しかし、時間は自分の存在とは関係なく
無情に時間は川の様に流れ往く
老いの時計は
ぜんまい時計ではなく砂時計である、と思ってしまう

最後の一粒の砂が落下したとき
時間はそこで終焉となり
時間の無常と無情さを感じてしまう

いま落ち往く砂を見つめながら思う
誰にも時間は与えられているけれど
その時間は無限ではなく
いつその時間が停止するかもしれず有限であることを

老いた自分に残された砂時計の時間は
どれほどの砂が有るかどうかはわからない
今日が在っても明日は無いかもしれない

残された時間は線香花火のようでもある
暗闇に火玉が落ちる寸前まで光を放して逝く
蝋燭の燈火は揺らぎ心もとない明るさではあるが
老いの足元を照らしてくれる

最初の砂が落ち始めた
一粒の砂を大切にしながら
残された時間を
生きて往く