老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1290; 「死にたい〜」

2019-11-21 09:56:29 | 老いの光影 第5章
「死にたい〜」

病院定期受診に向かう朝の風景


自分が「死にたい」のではなく
昨日在宅訪問した大正14年生まれの婆さん
息子につ付き添われ町医者に受診する

40才半ば過ぎの医師に向かい
明子婆さんは、「先生〜、死にたい〜」と呻るような言葉で話す
先生は苦笑するだけ

明子婆さんは続けて
「吐き気がする、頭が痛い、食欲がない」などと
症状を続け様に訴える

老母の顔を見ると
息子は口喧嘩になる
「死にたい」と言いながら医者にかかっている

「死にたい」は枕言葉で
本当は「生きたい〜」。
明子婆さんは日付け曜日もわからない

親子喧嘩しながらも
息子は毎朝、その日の薬を隠居宅に届けてくれる


自分は今日
定期受診で自治医科大学附属病院腎臓外科に来ている
いま循環器科、皮膚科、感染症科の診察も受け
師走10日以降に
一ヶ月以上の入院となる予定


在宅の爺さん婆さんのことを考えると
「入院はしたくない〜」と叫びたいのだが
入院するしかない

健康がいちばん
多病息災の我が躰