老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1296;老い逝く先は・・・・

2019-11-26 16:40:49 | 老いびとの聲
老い逝く先は・・・・

老境に入ると
時間が早く過ぎ去る

一年が四分の一のように感じてしまうほど
時間は無常にも流れてゆく

自分の周りには様々な老人たちがいる
自分もひとりの老人であることを勘定にいれ
老い逝く存在であることを、ふと思う

死は恐れてはいない
砂時計の如く
時間がざらざらとこぼれ落ち
残りの時間が刻々と少なくなっていくことを恐れている

あと僅かしか砂はない と焦るのではなく
まだ落ちていない砂が「在る」のだと 心に余裕を持つ

老いて往くにつれ 躰は弱まり 死に向かう
人間は「おぎゃあ~」と産声を上げた瞬間から
死に向かって生きる

「生」と「死」は硬貨(coin)のようなものであり
coinは「表」と「裏」があって成り立つ
「生」と「死」も同じである

老境に入ると
いつ死んでもいいように
生きて往く

今日が最後かもしれない、と思い
今日を生きる

いつもそう思いながら
無駄な時間を過ごしてしまう自分
「馬鹿だな~」と呟く





1295;核兵器廃絶を願う

2019-11-26 04:51:02 | 老いびとの聲
核兵器廃絶を願う



フランシスコ・ローマ教皇が来日され
写真「焼き場に立つ少年」が話題になった。

自分は高校生のとき
ヒロシマ。ナガサキの原爆写真集を初めて目にし衝撃を受けた

そのなかでも衝撃を受け忘れられない写真が
ブログに掲載した2枚の写真

上の写真はポスターとなり
自分でも手に入れ壁に貼った
引越のときダンボール箱が行方不明になり
貴重なポスターを紛失し
いまでも無念に思っている

息途絶えた赤ちゃんに
母乳を与えている母の姿も悲しく辛い

日本こそ世界に向け
原爆ゆるすまじと核兵器廃絶の聲をあげるべきなのだが
被爆国として・・・・



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