老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

冬から春へ

2022-03-02 08:48:41 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


1830 ジッと生きる

去年の今頃
95歳だった彼女は、「もう体力の限界かな」と感じ、
「桜の花が観れたらいいのに」
そう思っていた。

ベッドに臥すまでは、麻痺と筋力の衰えた足で
ピックアップウォーカーを使いこなし
30㎝ものある段差を乗り越え、歩いていた。

二度目の「東京オリンピックを観るまでは死ねない」
そう話していた彼女。
「冬季北京オリンピック」閉会式も終えた。
いまは、歩くことも起き上がることもできなくなった。

介護し続けてきた長男嫁は60半ばになり、介護歴十三年を数え
長男嫁は膵臓の持病を抱え 左脇腹などの痛みを堪え、姑の介護を続けてきた。

ちりめんじゃこや青物野菜が入ったお粥と一日500ccの水分を摂り
おむつにオシッコをされ、朝夕2回おむつを取り替える。

十分な栄養と水分には満ち足りてはいないけれど
床ずれ一つ作らず、きれいな肌で生きている。
長男嫁は「ここまで介護をしてきたから、いまさら特別養護老人ホームには入れたくない。最後まで看たい」、と夫に話す。

一月に2泊3日のショートステイを使い、介護休息をとって頂くことにした。

ジッと凍える土の中で春を待ちわびている虫や草花たち
満開の桜を観せてやりたい、と誰もが思う。