老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

医師もいろいろ

2022-03-03 21:08:58 | 阿呆者


1832 年だから(老人だから)

人間にとり「水」は、生命(いのち)をつなぐ

認知症老人は喉が渇いても、水を飲むことがわからずにいる。
皮膚はカサつき、尿は紅茶色になり尿路感染を誘発させる。

水を飲むことを忘れた百代婆さんは、
38.9℃の高熱を出し眼をあけることもできずにいた。

自宅に電話をかけたら長男がでた。
「デイサービス青空の家です。朝から熱があり、いま38.9℃の熱があります。大変でもお迎えをお願いします」。

15分後に長男の車が到着した。
「ご苦労様です。大変ですが、この足で受診をお願いできたら助かります」
いまから、 孫を(保育所まで)迎えに行かなくてはならない、と
長男は他人事(人ごと)のように素っ気なく話す。
その言葉に返す言葉もなく、その場は過ぎた。

翌日の朝、自宅を訪れ熱を測ったら、体温計は37.3℃であった。
「熱があり、これから熱があがりそうな感じです。手を握ったらいつもと違い、熱いです。
いまからかかりつけ医に診てもらった方が良いと思いますが、どうします・・・・」

息子はかかりつけ医に電話をかけ、事の経過を話すと、本人は受診せずとも処方します、
という主治医の言葉が返ってきた。

70歳を超えた医主治医は、患者を診察することもなく、解熱剤、抗生物質を処方された。
聴診器もあてず顔の表情を診ることもなく、薬を出す。
「年だからいいのか」、と、主治医の言葉を思い出した。

前もって医院の受付に。電話をし百夜婆さんの症状を「先生にお伝えくださるよう」お願いしたのだが・・・・
脇腹を抑え痛がっていた、尿は濃く、臭い、38.9℃ の熱があります、と。

高熱はどこからくるのか、採血採尿の検査 もなく、
これでいいのか、と・・・・

プーチン大統領に捧げる 『 ジョニーは戦場へ行った』

2022-03-03 08:32:54 | 読む 聞く 見る
1831ドルトン・トランボ『 ジョニーは戦場へ行った』 角川文庫





ロシアの侵略によるウクライナで戦争の勃発を知り
30歳頃手にした『ジョニーは戦場へ行った』文庫本を思い出した。
この本のことは頭の片隅に忘れていた。
街場の書店の棚には並んでいない。

第一次世界大戦の話で、ジョニーは異国の戦場にいた。
砲弾を避けようと塹壕に飛び込むが、目、鼻、口、耳、そして両腕、両足を失った。
肉塊の状態となり、ヘレンケラーよりも、さらに重い重い障害を抱えた。

そのような躰になっても首と頭だけは動かせた。
意識はあり、思考することはできたが、光も音も匂いも感ずることができず
暗闇と孤独の世界におかれたときの絶望感
自ら死ぬ事もできない自分の躰
人間の存在と時間のもつ意味を深く考えさせられた

頭と首だけが唯一動き、意識はあった。
自分はいま、どこにいて、いま何時なのか、まったくわからない
感ずる ことができるのは皮膚感覚であった。

あるクリスマスの夜、新米の看護師が彼の寝ているベッドのところに来た。
彼 の胸に MERY CHRISTMAS という文字を丁寧に書いたことから
彼の胸の中に大きな希望というか、一筋の光が射してきた。

彼を肉塊という物体としてみたのではなく
生きているひとりの人間として、手(指)で彼の躰に触れ
今日はXmasの日よ、と無言の言葉でかけてくれたことが
彼はなによりもうれしかった。

見ることも話すことも聞くこともできない
両腕両足もない
何ができるのか
彼をみてできない、わからない、と思い込んでしまう。

新米の看護師は指で彼の胸に文字を書いたことから、
彼は刺激を受け(反応し)、頭と首を動かし
モールス信号を使い、自分の意思を伝えようと試みる。

肉塊は、意思を持ち、会話をできるまでになる。

身体障がい者の介護をしていたとき(31歳)に、この本に出会った。
衝撃だった。
ケア(介護だけでなく看護も含めて)とは何か
ケアは、要介護老人や病人に言葉をかける、
手を触れることから始めていくことの大切さを知らされた。

『ジョニーは戦場へ行った』は、反戦文学であるけれど
看護、介護の本として学ぶことが多い。


最後に、彼は、自分の躰を公衆の前に陳列してくれ、と訴える。
肉塊になった自分の躰は、酷く眼を背けられ、
なかには憐れみや侮蔑的差別的 な言葉を投げかけられても
戦争は如何に悲惨残酷なもので、人間を破壊し多くの死傷者を生み出しているか。
彼は自分の無残な軀を通し、人間にとり戦争はいかに無意味なのか、を叫んでる。
そうした行動を通し、彼自身の存在を訴えている。

峠三吉の にんげんをかえせ という言葉が浮かぶ。
にんげんがにんげんを殺す理由はない。


『ジョニーは戦場へ行った』は、2つのあらすじからなる
なお、本作の語り手はジョー(ジョニーではない)で、彼自身の過去の記憶や現状など、全てが彼の「内的独白」によってのみ記述されており、一切の第3者視点が存在しない。

第一章「死者」
ジョーは、徴兵によって最愛の恋人カリーンに別れを告げて第一次世界大戦へと出征する。

しかし、異国の戦場で迫り来る敵の砲弾を避けようと塹壕に飛び込むが、目(視覚)、鼻(嗅覚)、口(言葉)、耳(聴覚)を失い、運び込まれた病院で、壊疽して機能しない両腕、両脚も切断されてしまう。

首と頭をわずかにしか動かせないジョーは、今がいつで、どれだけ時間が経ち、自分はどこにいて、誰が近くに来ているのかを皮膚感覚で察知しようとする。一方鎮静剤を定期的に投与され、彼の意識は現在と過去の間をさまよう。恋人カリーンや戦争に行く前に死んだ父親との、実際には過去にも無かった数々の空想の出来事の世界に身を置き、そしてまた現実の「孤独」と「暗黒」の世界に戻って来る。 



第二章「生者」
自分には意識があることを伝えようと、わずかに動く首と頭を使って必死に訴えようとするジョー。しかし、彼には意識はなくただ生物として横たわっていると思っている看護婦、医師、そして軍人は、彼の頭の動きは「肉体的痙攣にすぎない」という引継ぎマニュアルに書かれている指示の通りに、鎮静剤の注射をするだけ。

あるクリスマスの夜、新しく赴任してきた看護婦がジョーの胸にMERRY CHRISTMASと一文字ずつ手で書く。彼はそれを理解し応えようと頭を動かすが、彼を物体ではなく人間だという思いで接している心優しい看護婦にも、それは伝わらなかった。

頭の中で過去の人々との交流を回想する彼に、ある日彼の父親がモールス信号のヒントを与える。そしてついに自らの意思を伝える手段としてモールス信号を使い、必死に周囲に訴えかけるジョー。心優しい新しい看護婦がジョーが何かを訴えかけているのではないかと気づき、医師を呼びに行くが、痙攣としか理解しない医師は鎮静剤を打つだけだった。

そして数日後、軍の医師団が訪問してきた時、1人がジョーが発信しているSOSのモールス信号に気付く。ジョーに意識はなく肉体が横たわっているだけと思っていた全員が驚愕する。トップの人間が「何が望みか聞いてみろ」と指示し、部下がジョーの額にモールス信号を叩く。

それに対して、ジョーは答える。「自分を公衆の前に出して陳列してくれ(自分を維持するにはお金が掛かる筈だから、その見物料金を充ててもらいたい)」それは出来ないと返事をすると、「では殺してくれ」と答えるジョー。あとは何を言っても、「殺してくれ」「殺してくれ」「殺してくれ」とだけモールス信号で訴えるジョー…

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用。上記引用文の青字は星光輝がしました。