老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

父ちゃん 今日亡くなった

2022-03-22 04:17:27 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」

          那須連山はまだ雪が降っている

1854 妻に見送られ・・・

数日前に書いた「1851 寝た要介護老人を起こす」の
相津 芳雄さんが永眠された(84歳)
ご冥福をお祈りします。

彼岸の日だった昨日 朝7時2分 携帯電話が鳴った。
うめ子さんは泣きながら「今日 亡くなった・・・。どうしたらいいのかわからないので、電話しました。朝早くにすいません」
「大変でしたね。何時ごろお亡くなりになりました?」
「朝5時頃起き、ベッドでまだ寝ていたので、『お父さん、おはよう』と、言葉をかけた。
返事がなかったので、額に手を当てたら冷たく、顔が白かった」
「その後どうされました」
「救急車を呼んだら、そのうち警察署の人が来て、連れて行った」
「いまから、お伺いします・・・」
「お待ちしています」

真っ赤なアルトを運転し、相津さん宅に到着。
3月19日借りたばかりの介護用ベッドには芳雄さんはいなく、なんだか寂しく感じた。
「これからどうしてよいのかわからない、いろいろと話を聞いてくれますか」、と妻は元気ない声で話される。
「うっ血性心不全になられ、6年間の介護、本当に大変でしたね」
「お父さん(夫のこと)は、最後にうんちを一杯おむつのなかにしていた。お尻をきれいにしたのが最後でした」
「芳雄さんは、うんちやオシッコを全部出して、身体をきれいにして逝ったのですね」

「この後どうしたらいいのか」
「ご主人の兄弟姉妹はいらっしゃるのですか」
「もう亡くなって誰もいない。親戚付き合いも遠くなってしまった」
「子どもたちは、いま向かっています」

芳雄さんの寝ている部屋には或る新興宗教団体の仏壇が置かれていた、のを思い出し
「ご主人は元気なとき、どのような葬式を希望されていたのですか」、と尋ねた。
(ケアマネジャーの為す範囲を越えてしまった)
「『新興宗教団体の葬式にしてくれよ』、と次男(同居)に話されていた」
傍らにいた次男も頷いていた。

夕方、再び訪問した。
線香をあげ合掌し、一番短い関わりだったけれども
芳雄さんに出会えことに感謝とご冥福を祈った。

その後、芳雄さんと対面した。
穏やかな表情で眠っておられ、苦しまずに静かに逝かれたのかな
「自宅で死にたい」と話されていたので、これで良かったのかな、と。

芳雄さんの妻 うめ子さんは「人間死ぬことはわかっていたが、いざ死なれるとどうしていいかわからなくなってしまった」
「生まれるときも大変、死ぬのはもっと大変で辛いですね」
(生まれるときは、喜び溢れる、死ぬときは、悲哀〔かなしく〕、辛い)
「昨日奥さん83才の誕生日を迎え、ご主人はホッとして逝かれたかもしれませんね」
「思いもしない別れだったけど、昨年は四度も入退院の繰り返し、そして六年余りの介護、本当に頑張られ芳雄さんは感謝されてますよ。我が家で最期を迎えれたことも、良かった」、と言葉をかけた。

人間「生まれるときも大変、死ぬのはもっと大変で辛いです」、という老妻の言葉、
帰り路車を運転しながら、生まれ死ぬまでの83年間、芳雄さんにとり様々な景色が折り重なり
命の限り生きてこられたことを思った。







 ウクライナ 戦争終結と平和を願う(画像拝借)