老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

212;生きて自分は何を遺すのか

2017-06-21 12:21:23 | 老いびとの聲
夕映えの時

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散歩のとき
「死んだ男が残したものは」を
何気なく口ずさむでしまった・・・・

ベトナム戦争のさなかの1965年、
谷川俊太郎が書かれた詩

自分が死んだとき妻とbeagle元気に何を残すのか
そんなことを妻に話したら
きっと「縁起でもない、馬鹿なことを・・・・」と
怒り半分で苦言を頂くかも・・・・

内村鑑三の『後世への最大遺物』という書物(角川文庫)のなかで
あなたは後世に何を遺して逝くのか
という問いかけをしている。

生きて自分は何を遺すのか






211;人生の春 ③

2017-06-20 21:00:53 | 老いびとの聲
夜明けの空

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人にはさまざまな人生がある。
「老い」は単なる年齢的、肉体的問題ではない。
(死ぬ瞬間まで)
人間的な成長の軌跡としてとらえていかねばならない。
病気や障害を抱えた寝たきり老人や認知症老人の
訴えに耳を傾けながら、
老人の心をあるがままに受容していく。

老人は、人生の苦労や人間の痛み
そして忍耐を知っているだけに、
病院や介護施設で心無い言葉や看護・介護を受けても
じっと耐えていることが多い。
「無言」という言葉なき言葉で、
また虚ろな目で何かを訴えている老人。
そのじっと耐えている老人の姿から、
介護者は何を感じ取るのか。
ひとりの老人の人生の四季を「冬」で終えさせるのか、
それたも暖かい「春」を迎えさせることができるのか、
それは、介護員のかかわり方にかかってくるような気がしてならない。

210;一抹の不安

2017-06-20 17:08:41 | 老いびとの聲
黄昏時の用水路

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今日もまた大衆の面前で
縁石に躓き前のめりに転倒した
Wifeからは話に夢中で
よく足元をみないから
と、注意をされた

「五分前に話した人は誰なの?」
とWifeから尋ねられたとき
すぐ頭に浮かばず「誰かと話していたか」と
名前も顔をも浮かばなかった

ここ1月で2度の転倒
気が緩んでいるのか
足元をみていない
判断力も鈍ってきたように
自分ながら思い始め
老いの陰りが忍びよってきたのか、と
一抹の不安を感じている
しっかりしないと
足元からすくわれてしまう

209;人生の春 ②

2017-06-20 11:35:24 | 介護の深淵
夕陽に染まった淡い雲

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自然は春夏秋冬、四季の変化や彩りの変化を
わたしたちの日常生活のなかにもたらしてくれる。
季節の移り変わりは、人間の心を勇気づけてくれたり
癒してくれたりもする。
わたしは北海道に生れ育った。
厳しい冬であっても、必ず春を迎える。
冬から秋へと季節が逆戻りすることはない。
冬は厳しく、辛い。
しかし、凍えるような寒さや吹雪にあっても
木々が芽を膨らませながらじっと春の訪れを待つのと
同じように、人間もそうして春を迎える。
介護員は介護を媒介として
生きることを諦め、希望を失くした老人に
「春」をどうもたらしていくのか。

それは、希望、勇気、歓喜をどうもたらしていくのか。
そこに老人介護の本質があるように思える。


208;「施設に入るなら死ぬ」 ②

2017-06-20 01:23:48 | 老いの光影
那須連山と阿武隈川の夕映え
(beagle元気と私の散歩路)

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那津さんが住む自宅から那須記念病院まで行くのには
20km余りの距離があり、いつも車を利用されていた。

新館病棟4階418号室を訪れると
廊下側右のベッドで那津さんは、仰向けに寝ていた。
入院前に比べ老け込み、精気も弱弱しい印象を受け、
話す言葉は濁りがなく聞きやすかった。
一人息子の浩一(38歳)から
会う早々「母親は(介護)施設に入れるのか、姥捨てにするのか
そしたら死ぬ!」「家に帰りたい」
と怒り口調で話すので辟易している。
「退院後どうしたらいいのか、先が見えない。相談に乗って欲しい」
と依頼を受ける。

日中はほぼ寝たきりの状態にあり
ベッドに座ったとしても5分程度である。
立ち上がりも立つことも自力では全くできず
全介助を要する。
入院前は長男の介助によりトイレで用足しをしていた。
これからは、ベッド上でおむつ交換になり
大便も紙おむつのなかにしなかればならない。
要介護4の認定を下されてからは
長男の介護負担は増し、腰痛も訴えていた。
その上、肥料、米穀、酒の販売、配達もあり
お店の仕事も忙しかった。
到底自宅に連れ帰り、介護とお店の仕事を
両立させるには無理があり、先が見えていた。
まるきっり施設に入れ放しでは、親不孝のような気がし、
自宅で介護してあげたい、という気持ちもあった。

そこへ病室中に響くような声で
「施設に入るなら死ぬ~」と泣き叫ぶ彼女。
亡き父親から家業を受け継ぎ、切り盛りをしてきた那津さん。
大内の宿場から一歩たりとも離れたことがない。
大内で生れ、育ち、店の仕事一筋、83年間住んできたからこそ
施設に入るのは忍びなかったのかもしれない。
(婿であった夫は2年前に病気により亡くなった)

病院を退院し、即特別養護老人ホーム入所になるものなら
死ぬようなことはないが、生きることへの希望を失い
「生きる屍」のような状態に陥るのでは、と
長男夫婦は怖れていた。

そこで、私は3ヶ月から12ヶ月の幅を持ち
介護老人保健施設への入所を勧めた。




207;人間を見るときは、その心を見るのだ

2017-06-19 16:10:48 | 読む 聞く 見る
北海道 函館本線の或る駅待合室

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三浦綾子『細川ガラシャ夫人』新潮文庫

謙遜ほど人間を美しくするものはない。その
反対に、いくら見目形がととのっていようと、
お前のように思い上がったものほど、みにく
いものはない!

よいか、人間を見る時は、その心を見るのだ。
決して、顔がみにくいとか、片足が短いとか、
目が見えぬなどといいて嘲ってはならぬ。ま
た身分が低いとか、貧しいなどといって、人
を卑しめてはならぬぞ。お玉。人間の価値は
心にあるのじゃ」(64頁、65頁)


日本の歴史上、逆臣の名を残した明智光秀が、
わが娘玉子(結婚し、細川ガラシャ夫人)に
話した言葉である(光秀は悪臣ではなかった。
つくられた人物像であり、実際は人民を重ん
じていた)

差別はいつの時代もあり、現代においても
「いじめ」や原発事故避難者や障害者、認知
症老人などに対する偏見や差別はなくなって
いない。「人間を見るときは、その心をみるの
だ」「人間の価値は、心にある」。

光秀の言葉が光る

206;人生の春 ①

2017-06-19 11:00:08 | 介護の深淵
光と影
田圃に映った小さな影は
beagle元気と私

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人生の彩りで言えば
老いは「人生の秋」にたとえられる。
「黄昏」「夕映え」という言葉で表現されたりもする。

老いてくると
誰もが
寝たきりやぼけにはなりたくないと願う。
そして
「人間、おむつをするようになったらお終いだ」とか、
「迷惑をかけないように、ポックリあの世に逝きたい」など
老人の独白をよく耳にする。
運悪く脳卒中などに罹り
一度に「老苦」と「病苦」が重なりあい
生きることさえも苦痛となってくる。
障害や病気を抱えた老人の心境は
秋の季節を通り越し
木枯らし荒れ狂う「人生の冬」になり
生きる意欲も失せてしまいがちである。
「生きていても家族に迷惑をかける」
「子ども夫婦に負担をかける」
「生きる価値(意味)がない」
と思いつめ
自分自身の存在も否定して
ベッドにジッと耐えながら生きておられる。


205;「施設に入るなら死ぬ」 ①

2017-06-19 03:20:57 | 老いの光影
朝陽を迎える阿武隈川上流の辺
川面は銀の輝き
老いはいぶし銀の輝き哉

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大内那津さん(83歳)は
宿場町の風景を残し小さな町並みで
肥料、酒店を営んできた。
戦前、父親は地主であり
那津さんは一人娘として大事に育てられた。
婿養子をとり、家業を受け継ぎ
いまは長男夫婦に店を任せ
隠居の身となった。
Ⅱ型糖尿病の他に脳梗塞の持病を持ち、要介護4の認定を受け
デイサービス、ショートスティなどの介護サービスを利用し
自宅で暮らしていた。
今年の3月下旬 急に胸痛を訴え呼吸することも苦しくなり
救急車を呼び那須記念病院に運ばれた。
体に浮腫がみられ心不全の診断により入院となった。
酸素吸入 口から食べることも話すこともできなくなり
一月ほど集中治療室に移され、面会謝絶になり
自宅には戻ることができないのでは、と思ったこともあった。

生命力が強く、全粥、ペースト食になり会話もできるまでに回復した。
ベッドの端に座る(端座位)ことは5分しかできなく
寝たきり状態になってしまった。
主治医からは「6月下旬には退院」と告げられ
長男から「退院が近くなってきたので、相談をしたい」と電話を受け
退院に向け介護相談が再開した。

204;生老病死

2017-06-19 01:23:48 | 読む 聞く 見る
リバーサイドスクール

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三浦綾子『細川ガラシャ夫人』新潮文庫
(17頁)
生れた者は死ぬ。
若い者は老いる。
健やかな者も病む。
美しい花も散る。
すべてが無常と知ること。
それが真理を知ることじゃ


人間、この世に「おぎゃあ」と生れた瞬間から生きる苦しみが始まる。
人間誰しも生きていて避けることのできない苦しみ。
それは「生老病死」の四苦である。
老いてから花が美しく愛おしく感じるのも
花が散るからであり
老いの先(咲き)にあるのは
死であるからであろうか


203;10倍の速さで老いていく

2017-06-18 19:14:23 | 読む 聞く 見る
朝焼けの阿武隈川
写真右に写っている小さな森には
トトロが棲んでいる
一人勝手に妄想している自分


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今日は怠惰な時間を過ごしてしまった
寝だめから、手にしたのは
宇山佳佑『桜のような僕の恋人』
24歳の美容師 美咲が早老症に発病した
桜が咲く季節に晴人に出会い
冬の季節に年老いた姿で亡くなった恋人

早老症
10倍の速さで老いていく病気
小説のなかでは早老症は
ファストフォワード(早送り)症候群」
と呼んでいた

老いた美咲は杖をつきながら歩くこともやっと
痺れた足を引きずりながら必死に歩く
北風が吹き美咲の桜色のユニット帽が晴人の足元に落ちた
彼はそれを拾い上げ彼女に差し出しただけで
彼女とは気づかなかった

その場面がとても切なかった

残酷な難病である

202;他愛ないこと

2017-06-18 14:25:02 | 老いびとの聲
beagle元気も朝陽に向かって祈る

朝の散歩を終えた
疲れたので
妻の誘惑なる言葉に負け
布団の中に入ってしまった
いつの間にか
眠りの境地に入り
爆睡してしまった
天国行きと地獄行きの
2つの夢を見てしまった
地獄の夢から目が覚めたとき
時計の針は13時を過ぎていた
食いだめ寝だめをしてもダメとは
このことか

201;人間にとって食べるとは・・・・

2017-06-18 07:06:01 | 老いびとの聲
森の上にあるホテル(阿武隈川辺散歩道から撮影)

今日の朝 散歩しながら
ふと思ってしまった

認知症老人予備軍の呟きなので
気にせず水洗便所の如く 
流してしまっても構いません

自分は慢性腎不全を患い
十数年余り タンパク質 塩分 生野菜・果実の制限があった
(いまは塩分だけ)
当然胃袋は小さくなり
ご飯茶碗一膳と少々のおかずだけで満たされた
だから 量は沢山食べなくても
美味しいものを少量でもいいから
いろいろなものを味わいたい
と 思うようになった
食事制限が緩和されたいまでも
暴飲暴食はできなく
ご飯茶碗一杯とおかずと薄味の味噌汁を味わっている

人間老い往き
最後に残された欲望は「食欲」である
「食べることが唯一の楽しみ」というときが来るであろう
いま 自分が口から食べることができなくなった、と
そのことを想像したら
生きていくことがとても辛くなり
生きる希望さえも失せてしまうような気がしてならない
食べること
それはただ胃袋を満たすだけではなく
口から食べることで 味を「味わい」
それが
生きることの楽しみにつながるからである

また 親しい人と一緒に食べるからこそ
余計に美味しく味わえる
食べれることは幸せなことであり
食べれることに感謝、感謝せねばならない





200;憧憬(あこがれ)

2017-06-18 05:28:57 | 老いびとの聲
いつも散歩している阿武隈川の辺
朝陽で川面が光っている


山に住む人は 海に憧れ
海に住む人は 空に憧れる

人間は 空を飛ぶ鳥に憧れ
鳥は  星に憧れる


ご訪問いただき、ありがとうございます
皆様のご声援のお蔭で
ブログ掲載200回
ブログの開設から70日
を 迎えることができました
雨風雪に耐え
忍び寄る死を迎え
生命ある限り
ブログの世界を
楽しんでいきたいと思います
これからもお付き合いのほど・・・・



199;光と影

2017-06-17 16:00:08 | 老いの光影
4:38の朝の風景
杉の光と影
田圃に映る小さな影は
beagle元気と私

在宅で老親の介護を身を削るほど為した人は
介護施設や介護事業所の介護従事者が
過ち(失敗)をしたとき 責めはしない

普段老親の介護を傍から見ているだけで
余り手を出さない人ほど
介護従事者や看護師のおむつの仕方ができていない
と文句を言う
普段から介護をしている人は 
何も言わずにおむつを手直しをする

198;蝶を見かけなくなった

2017-06-17 12:12:12 | 春夏秋冬
蝶のことをふと思ったら
森進一の歌 「花と蝶」を連想した

歌の一節に(二番の歌詞)

花が咲くとき 蝶が飛ぶ
蝶が死ぬとき 花が散る

子どもの頃と違い
いま
蝶を見かけなくなった
(今年になって まだ見かけていない)
花は咲いているのに
蝶が飛んで来ない
蝶が飛んで来たら
甘い蜜をあげるのに