老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

いちばん大切なものは何か

2022-03-18 16:45:20 | 読む 聞く 見る
1849 人間死んだら☆彡(星)になるんだよ

いちばん大切なものは何か

子ども心にまだあの世に逝っていない大人から「人間死んだら☆彡(星)になるんだよ」と。
本当にそうだったら素敵な話です。
死んだら星となって輝き 天から大切な人を見守り続けることができたらどんなによいか。



「星の王子様」(新潮文庫)は 大切なものを失ってはじめてわかります。
あなたにとって“いちばん大切なものはなんですか。
病気になってはじめて健康のありがたさがわかります。
大切な人を失ってはじめてかけがえのない人だったことが身に染みてわかります。

自分という人間が死んだら、棺に収められます。
棺はダンボール製がいいな、そのときは納棺師をお願いし 人生の最期においても取繕い美しく逝きたいものです。

白髪の女性老人と一緒に茨城県の笠間焼を見に行ったときのことです。
彼女は湯呑茶碗を手にし、「陶芸の窯で骨を焼いたら何色になるのかな」と話されたとき、
傍らにいた私は「ドッキ」としたことをいまでも覚えています。
同時に、凄い発想! 認知症老人は、思いもつかない言葉が出てきます。



渡辺淳一の小説『泪壺(なみだつぼ)』(講談社文庫)のなかで、
妻の愁子(36)が乳癌を患い肺に転移し、若さ故に癌の進行を早め桜の咲く頃に「あと1月」と宣告されたのです。
愁子は夫雄介に『いつまでも忘れないように・・わたしの骨でつくった壺を・・・・あなたの側にいつもおいていて欲しいの』とお願いをします。

雄介は、妻の遺骨の一部を乳鉢で骨粉にしました。
会津に窯場をもつ知人の陶芸家 斯波宗吉にお願いし、妻の遺灰と粘土を半々に混ぜ、白くたおやかな壺を造ってもらいました。
その白い泪壺を床の間に飾りました。

火葬場で焼いた骨は 白い煙となって 青空に向かって消えて逝きます。
大切な故人は この世にはもういません。
その寂しさは 心では推し量ることのできない無量の世界にあります。

だから大切な人は星となって光り輝きながら 家族や大切な人を見守ってくれています。
夜空に輝く星の天空の向こう側は 遥かなる宇宙であり それは限りなく無辺の世界にあります。
宇宙には無数無名の星が無量ほどあり 
そのなかにある”地球“という惑星(ほし)のなかに70億の人間が棲んでいます。
わたしという人間は独りしかいないのです。
宇宙からみたら ・ (点)のような存在ではありますが 星のように光り輝く存在で有ることを。
自信をなくしたときや悲しいときは 星を見上げ元気をいただきます。

生命の終焉から”蝉“のことが思い浮かんできました。
蝉の地上生活はたったの7日間しかありません。
それ故、蝉の生活は儚い と云われますが・・・。
真夏にミンミンと鳴く蝉の響く声は 「我此処に生きていますと・・・」。

宇宙からみたら人間の生命の時間は本当に儚いひと握りの”砂の星“かもしれません。
人間の内なる世界は、宇宙のように無量無辺であり 内なる可能性を秘めています。

だからこそ 侵略戦争で子ども、老人、父母、今日だ姉妹、祖父母、隣人を亡くなること、
それは人間のもつ無限の可能性を奪うことなのです。

老人に在っても同じであり 人間最期の瞬間まで生命の光(あかり)が灯って(ともって)いることを、
人間は 星のように光り輝く存在なのです。 


プーチン大統領が ウクライナに残した戦争犯罪

2022-03-17 05:59:01 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1848 死んだ男の 残したものは



作詞:谷川俊太郎、作曲:武満 徹

  死んだ男の 残したものは
  ひとりの妻と ひとりの子ども
  他には何も 残さなかった
  墓石ひとつ 残さなかった

  死んだ女の 残したものは
  しおれた花と ひとりの子ども
  他には何も 残さなかった
  着もの一枚 残さなかった

  死んだ子どもの 残したものは
  ねじれた脚と 乾いた涙
  他には何も 残さなかった
  思い出ひとつ 残さなかった

  死んだ兵士の 残したものは
  こわれた銃と ゆがんだ地球
  他には何も 残せなかった
  平和ひとつ 残せなかった

  死んだかれらの 残したものは
  生きてるわたし 生きてるあなた
  他には誰も 残っていない
  他には誰も 残っていない

  死んだ歴史の 残したものは
  輝く今日と また来るあした
  他には何も 残っていない
  他には何も 残っていない


小さな国のベトナムが
大きな国のアメリカに勝利した
南北のベトナムはひとつになった
ベトナム戦争は終結した

プーチン大統領は、ベトナム戦争の教訓を学ばず
ウクライナ人を分断し 侵略戦争を起こした

プーチン大統領はウクライナに
容赦ないミサイルや爆弾を撃ち落とし
無数の家族を散り散りばらばらにした

死んだ夫(父親)は
ひとりの妻と ひとりの子どもを残した。
妻と子だけで、廃墟となった街で生きていけるだろうか。

死んだ母親は
しおれた花とひとりの子どもを残した。
自分が身代わりになれず、心が引き裂かれる思い、亡骸を抱き慟哭した。

死んだ子どもは
ねじれた脚と 乾いた涙を残した。
これからもっともっと 父さん母さんと いい思い出がつくれたのに
ほんとうに悔しくて 可能性も夢も奪われてしまった。

死んだ兵士は
戦争の無残さ悲嘆さ、そして家族の名を叫んだ。
にんげんが人間を殺し合うなんて
殺す理由もないのに・・・。
相手の兵士にも家族があるのに・・・。

死んだかれらが 残したものは
生きているわたし 生きているあなた


こうして自分が
いま 生きていることに感謝し
ウクライナ支援を 
小さなことで できることから行動を起こすことだ。

にんげんは必ず死ぬ
でも戦争で死ぬのは「嫌だ」

死ぬからこそ
こうして生きている
いまを大切にしたい
にんげんを大切にしたい
家族を大切にしたい

と、誰もが願う
にんげんである限り


こうして生きていると
輝く今日と また来るあした

詩の最後の言葉は 希望、勇気を感じる

この美しい青い惑星(地球)には77億のにんげんが生きている、という
そのなかで ひとりのにんげんに出会い そしてかかわりあいをもつ
それは、海底から真珠を探すほど稀少な”縁”にある

だれもが
老いを迎え
病を抱え
死を迎える

ヒトは
死を怖れ 死を見つめず
死を嫌い避ける

死は隣人であり
死はいつ来るかわからない

だからこそ 遠い国で起きているウクライナの出来事は
どこかで老人介護とつながっている 

こうして いま
生きているあなた
生きているわたし
そのことに感謝する

顔も名前も知らない
死んだ兵士の 残したものは
生きることの大切さ
生きることの素晴らしさ
生命の尊さを教えてくれた

ベッドでジッと生きている
老人も同じく
生きることの大切さ
生きることの素晴らしさ
生命の尊さを教えてくれた


ウルトラの父

2022-03-16 11:16:12 | 阿呆者
1847 ウルトラマン





今日はウルトラマンに会ってきた。
福島空港にはたくさんのウルトラマンがいます。

須賀川市庁舎玄関前 光の広場に
ウルトラの父が警備していました。

居宅サービス計画作成届を提出。
北は須賀川市から南は那須町までの45㎞余りの距離範囲で
要介護老人宅を訪問し、ケアマネジメント(介護相談等)を対応しています。

今日から4日連続で(そのうち3件は新規)サービス担当者会議を予定しています。
ケアプラン作成に追われ、猫の手も犬の手も借りたいくらいです。

ブログまで手がまわりません。すいませんです。


隔靴掻痒

2022-03-15 07:56:14 | 阿呆者


1846 痒い所に手が届かない 

風呂場でのこと
自分で背中を洗うけど
肝心の痒いところに手が届かず
歯痒い思いがする

ふと、介護とは
相手がして欲しい、してもらいたい、というところに
手が届いているだろうか

なななか背中のここを洗って欲しい、とは言いにくく
遠慮がちになってしまう。

どう気づかい 痒いところに手が届くか
「隔靴掻痒」という言葉がある
靴の上から足の痒いところは思うように搔くことはできない
思っていることが思うようにならない




掌の皺を隠す?

2022-03-14 11:28:30 | 阿呆者
1845 ロクシタンハンドクリーム



犬の手(前足)の裏側は、可愛い(猫の手も同じく可愛い)

にんげんの赤ちゃんの手も可愛い。
しかし、老いてきた我が手の背を見ると皺が目立ってきた
五本指を握り「グー」にすれば、皺は伸びる
五本指を伸ばし「パー」にすると、皺が現れる。

昨日、仙台駅Sパルで、ロクシタンハンドクリームを買ってきた。
自分へのご褒美かな?
朝風呂上がりに「サクラサボン」を掌に塗ってみた。
皺が美しく伸び、皺が「消えた」


要支援の認定を受けたら、予防介護サービスを利用しよう

2022-03-13 19:35:25 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


1844 要支援の認定結果が出たら、要介護にならないためにも、予防介護サービスを積極的に利用する

年金受給額の多い少ないで
老後の生活、医療費、介護保険サービスは大きく影響されます

国民年金だけの受給額は厳しく
寝たきりになった場合
十分に介護サービスを使えることができず
要介護老人とその家族の肉体的精神的負担は大きいものがあります

誰もが介護保険料を納めています(年金から徴収されています)が、
平等に介護サービスが受けられるとは限りません。
年金受給額のなかから、介護サービスに使えるお金はいくらまで可能ですか、と
初めての訪問のとき必ず尋ねます(聞きずらいことですが、ケアプランを作成する上で必要です)

勿論介護サービスだけでなく、高齢者福祉サービス、難病に対する制度や障害者手帳の発行などの
支援も検討していきます。


要介護・要支援介護認定の申請を行い
要支援1または要支援2の認定結果通知書を受けたら
管轄の地域包括支援センターに電話をかけます

管轄の地域包括支援センターがわからないときは
市町村の介護保険係に問い合わせください

地域包括支援センターのスタッフと電話連絡がとれましたら
「予防介護サービスのことについて直接相談したい」、と話しをします。
地域包括支援センターは、「いつ地域包括支援センターに相談に来られますか」
地域包括支援センターを訪れてもよいのですが、
自宅に来ていただき、相談をされた方がいいと思います。

それは、自宅の玄関周辺、玄関上がり框、トイレ、脱衣室(洗面所)、浴室などを見てもらうことです。
要支援1、要支援2の認定を受けた老人のなかで
歩行が不安定で玄関上がり框など段差がある住環境のとき
手すりを置いたり(介護予防福祉用具貸与)、或いは手すりを取り付けたり(住宅改修)したがよいのでは、と
包括支援センターのスタッフからアドバイスがあります。

要支援の認定は要介護に比べ、まだ軽いから介護サービスを受ける必要はない、と誤解されている場合が多々見受けられます。
不安定な歩行は、転倒のリスクが高い状態にあります。
転ばぬ先の杖、という諺があります。
不安定な歩行で杖が歩行補助具が必要な要支援者もいます。

玄関上がり框に手すりを置いたりつけたりすることで
段差のある所の昇り降りは、安全かつ容易に一人でできるようになります。
玄関上がり框の段差を気にすることなく、億劫になることもなく
買い物や散歩、外食など外へ出る機会も増えます。

杖や歩行補助具(いろんな歩行補助具があります)を使うことで
歩行は安定し、要介護にならないよう、その防止にもなります。

要支援者であっても、転び大腿骨や上腕骨などの骨折、腰椎圧迫骨折などに遭遇すると
たちまち要介護者になります。

上手に介護保険サービスを使いましょう
そのためには地域包括支援センターや居宅介護支援事業所のケアマネジャーに相談することです
相談料も介護予防サービス計画表の作成も無料です
(介護保険から10割の給付を受けます。つまり自己負担額はなし)


男は弱い生き物?

2022-03-13 09:09:09 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


1843 寝た夫を起こす

半世紀以上も連れ添った老夫婦
「妻は夫をいたわりつつ、夫は妻に慕いつつ」
夫婦愛を表したもの

心不全と前立腺肥大の病を抱え
この半年で入退院を4回も繰り返した
一番最後に入退院をしたのはひと月前

その時はつかまりながらも歩けた
食べなくなり、十数kg以上も体重が減った。
畳みの上に敷いた蒲団に寝る日が続いている。
卵入りのお粥も少しだけしか食べない
両手は使えるのに、妻に食べさせてもらっている。

ひと月前は要介護2の認定を受けた
いまは自力で寝返りする意欲さえ失せた老夫
要介護5のレベル まで下がった

「どうしていいかわからなくなってしまった」老妻
「元気になって欲しい」「食べて欲しい」などと言葉をつなぐ。

蒲団(畳み)から立ち上がるのは難しい
畳みの上で紙おむつを取り換えるのは大変です
介護用ベッドならば柵(サイドレール)につかまれば
自分で寝返りができるようになる
座って食事もできるようになります

そう老妻に話した自分だが
隣の部屋で寝ている老夫の顔は髭が伸び
下唇はかさぶたがあり、風呂にも入れていない
(蒲団の上でゴソゴソ動く気力も失せている)
深い眠りに陥っている

ベッドに座り食事を摂る
どう離床していくか
これから試さられる自分

寝た子を起こすな、と言われるが
ここでは、寝た老夫を起こす、と心に決め
介護力を高めていきたい





お世辞かもしれない

2022-03-12 21:32:41 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」

春の川

1842 単純バカ

今日、初めて訪問した家の奥様から
わたしの間抜けた顔をみて
「年若いでしょう。まだ、60才になっていないでしょ〜」、と話され
顔が綻びながらも「お世辞半分以上混じってるよ」、と思い直し
自分の年を言わずに「昭和27年生まれだから、年はとっています」、と答えた。

素直に「69歳」、と話せばいいのに
バカだな、と気持ちのなかで反復した。

老けたな、疲れている顔だな、と
相手からそのような印象を受けないよう
元気、気力で行くとしよう〜

痛みは目に見えない

2022-03-12 07:44:41 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」

光と影。大きな捨石の傍に福寿草が咲いている。

1841妻は夫に従い・・・

糖尿病があるも、まだまだ血気盛んな夫。
妻である私は、十年前から病魔に襲われ躰のあちこちは痛みだらけ。
大腸癌(ステージⅢ)を患い、手術施行し症状が落ち着き、わが家に帰ることができた。

嬉しさもつかの間、老夫は「昼飯をつくってくれないか」、と話しかけてきた。
覚束ない足で台所に立つと、泪がでてきた。
退院したとは言え、まだ半病人の私
スーパーの弁当や出前を食べ、横になりたかった。

仕方ない。
夫は頑固で何でも自分の思い通りにしてきた。
妻は夫に従うもの。
だから、妻が病み痛くても気づかない。

用事で出かけたとき
彼女は胸の内を話してくれた。

風呂場やトイレに手すりをつけたがらない。
見映えが悪いから、家に傷をつけたくない

玄関上がり框のところに
突っ張りの手すり(ネットで検索お願いします)を設置した。
介護予防福祉用具貸与のサービスです(月額300円から400円、自己負担1割の場合。彼女は要支援2)

ひとつでもサービスをプランにし
彼女とのつながりを持つためにも
夫に何度も話を行い、設置にこぎつけた。

早速、手すりにつかまり玄関上がり框を上がる。
「凄く楽に上がれる」、と老妻は笑顔で話す。







主体者は誰か

2022-03-11 07:28:58 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


早朝風景

1840 手につかまり歩く

老いて足元がふらつき転倒してしまうのではないかと
娘は老母の手首をつかみ足速に歩く

母親に比べ歩幅の小さい幼児は
歩幅が合わず走り歩きのようになり
阿吽の呼吸がとれず 躓き転んでしまい
路端にしゃがみ込み泣いてしまう

老母も同じく娘の足に追いついていけない
幼児と同じく「ゆっくり歩いて」、と訴えることもできない
手首をつかまれた人に合わせて歩かねばならない

老母が娘の手を握る
娘の足が速くなり、自分の足が追いついていかなくなり
転びそうになる前に、老母は娘の手を離す

歩行介助の主体者(主役)は誰か
(介護の主体者は誰か。利用者(老人)であると介護のテキストに書いてある)
老母や幼児が主体者
歩行の場合、手を握るのは老母である

介護者に手をつかまれ、転びそうになり「危ない」、と思っても
自分の身体を守ることができない
娘(介護者)先に歩いているので、後ろの状況がわからない
転ぶ音がしてはじめて振り向く

手を引かれるときは、相手に命を預けるのではなく
自ら相手の手を握り歩行の助けを願う

些細なことのように見えるが
実は大切なことなのかもしれない


死に方

2022-03-10 04:34:29 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


1839 孤独死

老人(高齢者)には、民間アパート入居お断りが多い。
とくにひとり者の老人の場合、孤独死を想像してしまうからであろう。

自分の家(自己所有)であっても、孤独死をすると「不幸」な死として見られてしまう。

果たしてそうであろうか。

長年住んできた家の中には
思い出の写真や旅行のお土産(飾り物、郷土土産など)があったり
柱には子どもがつけた傷痕
仏壇や遺影がかざられている。

古くなり傷んだ我家ではあるが
一番心が落ち着く
そこでひとりで死を迎えたしても寂しくはない。

雛は育ち巣から飛び立ったように
子どもたちも巣立ち、家に残ったのは老親だけ
家を守る老親
疲れた鳥がいつ帰巣してもいいように

ひとり暮らし老人になっても
最後まで我家で暮らし
我家で死にたい
不幸な死、寂しい死だと決めつけて欲しくない
我家で死ねたこと、本人にとり幸せな死であったかもしれない

老親が永遠の眠りについても
枕元で大人になった「子ども」たち(遺族)が遺産相続でもめている
その方が「孤独死」であるような気がする

老い逝き その先はあの世行きの片道切符を手にする
何処で死に
どのような死に方をするか
否、どのような死に方をするかではなく
残された老いの刻(時間)のなかで
老いをどう生きていくかで
死に方が定まるような気がする

しかし、誰人も
いつ人生の幕が降りるかは知る由もない
そう思うと遣る瀬なくなるから
いま(今日)を一生懸命生きることかもしれない
簡単なようで難しい

今日は親父の月命日






老いた子犬

2022-03-09 10:59:21 | 阿呆者


1838 世話が大変になった・・・

昨日はとてもショックな話を聞いた

その家の家族になって12年 小さな子犬
子犬は、散歩に出ることもなく
ウンチはゲージのなかでする
家族がいないとき ウンチを食べてしまう

ひもにつながられており
家のなかを自由に歩くことはできない

訪問すると人懐こく 
小さな舌をだし 甘えてくる
本当に可愛い子犬

12年も家族であるのに
「世話するのが大変になったから
誰かもらってくれないだろうか」
「・・・・・・・・・」

わが家にはbeagle元気(今年の4月8日で9歳になる)がおり
シニアの世界に入った
子犬もシニアにあり
一緒に暮らすのは難しい

子犬の落ち着く先を 探し求めている



死を悼む

2022-03-08 10:52:07 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1837 死を悼む

連日、ウクライナの人々のことを思うと、居ても立っても居られない
家族を殺され、親をなくし、子をなくし、家をなくし、仕事をなくし、街が壊され
逃げ惑う弱い人たちを容赦なく殺すプーチン

新聞の写真には老人が杖をつき避難する姿
ぬいぐるみに拠り所を求め、ぬいぐるみを抱いている子ども
ウクライナは寒く、食べ物もなく飢え、彷徨い歩く

亡くなった父や母、わが子、祖父母の亡骸を埋葬することもできず
いたたまれない気持ちで祖国を去る


ひとりの「死」は、
「亡くなる」ことを意味し、その人がもうこの世に「居なくなる」ことである。
「亡くなる」ことは「居なくなる」ことであり、
この世にその人の存在が「無い」ことに列なる。
息をひきとる瞬間まで、この世に存在していたかけがえのない人が、
「死」によって、もうこの世には存在してない。
会いたくても言葉をかけたくても、もう傍に「居ない」。
大切な人が、親しかった人が、居なくなる=亡くなる、
そのことほど悲しく辛いものはない。

人間死ぬと時間が経つにつれ、その人のことを忘れてしまう。
自分が忘れてしまうことほど寂しいものはない。
いつまでもその人の死(喪失)から立ち上がれずにいると、
心の病を患ってしまいかねない。
ふと、何かあったとき、亡くなったその人が心に浮かび、
その人に心で語りかけることで、その人は心の世界で生き還ってくる。
人間死を怖れている、それは自分がこの世から居なくなることで、
生きていたという自分を忘れ去られてしまう、
そのことを怖れているのではないかと思う。

1473;「風景」としての死

2022-03-07 04:44:14 | 生老病死
「風景」としての死

『臨死のまなざし』から教えられたこと(6)最終回


           『臨死のまなざし』195頁

昭和初期までの日本は、病人の部屋があった。
大正昭和に一世を風靡した抒情画家竹久夢二の
デッサン『病むおじいちゃん』が『臨死のまなざし』
でみることができた。

病気で伏しているおじいちゃん
枕許の薬瓶と薬袋
そして病気のおじいちゃんに付き添い
何か声をかけようとする孫娘。

もしかしたら、この伏しているおじいちゃんこそ
竹久夢二だったのではないか・・・・。

こうした『病むおじいちゃん』のような風景は
かつてはどこの家庭でもみられた在宅介護の原風景であった。

昭和30年代からの高度経済成長のなかで
核家族化が進み、家庭の電化普及
(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫は三種の神器と言われた)
教育の過熱やマイホームの所有により、女性就労が増え、
日本の家族風景は一変した。

出産や病人の看護は、排せつや食事の世話、洗濯など、
いちばん大変な仕事でありからだを使う労働であった。
それらは、高度経済成長が進むなかで、出産と死は
在宅から病院に移り変わっていった。家族皆がそろい
見守るなかで「おぎゃあ」と赤ん坊の泣き声や老衰で
亡くなっていくときの生死の体験の機会が日常的にあ
った。

歌人 斎藤茂吉は母の死が近いことを知り、郷里山形へ
帰り、母の蒲団の傍らで添寝をし母の死に寄り添った。

 死に近き母に添寝のしんしんと
 遠田のかはづ天に聞ゆる     (茂吉)


『臨死のまなざし』を読み終え、人の生き方、死に方を
考えさせられた。
「臨死」という言葉は、人が亡くなるまぎわのことをさし、
死に臨むことを意味する。

死に臨むのは、死にゆく当の本人であるが、
同時に、死に臨む人を見送る人も
また、大切な人の「死を臨む」のである。

最後にどんな風景をみるのか
どんなかたちで大切な人を見送るのか

90歳を超え日々躰や脚(足)が弱くなりだしたとき
老人やその家族に尋ねてきた。
「どこで亡くなっていきたいか」
「どう亡くなっていきたいか」

住み慣れた家で死んでいきたい、と話されたときは
本人やその家族(介護者)を真ん中に置きながら
かかりつけ医、訪問看護師、訪問介護員、福祉用具専門相談員、
介護支援専門員などの支援の体制をとっていくことを説明する。

夜間でも夜明けでも「ちょっとした不安や症状の変化があった」
ときは、訪問看護師や介護支援専門員にいつ電話をかけてもいい、と
話をする。

夜間の急変時に電話の指示だけで終える訪問看護事業所もあるが、
夜間でも夜明けでもかけつけてくれる訪問看護事業所を選択する。

家族の見守りのなかで、本人が生きていこう、生きつづけていこうとする、
その気持ちを持ち、ひとりの死にゆく姿をみつめていくことだと思う。

みつめるのはまなざし(眼)であり、どんな視点で死をみつめながら生きてゆくのか。
死は他人事ではなく自分の事でもある。



















「できる」「できない」を考える (7)

2022-03-06 16:04:22 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」

那須連山

1836 手を使う

老い往くにつれ、体力、筋力が衰えたとき
寝床から起き上がる。
(ベッドマットは硬いものがよい)

仰向けから右側に向く(右が麻痺しているときは左側に向く)前に、
頭から肩下位まで幾分左側にずらす
足、脚は右側(ベッドの端)の方にずらし、首から足先まで真っ直ぐになる。
(本人ができないときは、介護者が頭、肩を左側にずらし、ついで足、脚をずらす)

躰を右側に向く
右腕は、躰に対して45度から60度程度の角度で腕を置く。
右肘を支点にして、右手背(右手甲)に左手を乗せ、
左手は右手をおさえ、右腕に加重をかけ押し上げながら躰を起こす(片ひじで立ち上がる)
(本人が左手が使えないときは、介護者は本人の手の上に手を乗せおさえる)
本人は首を前にだすような感じで起き上がる

(起き上がりが容易でないとき、本人は左手を介護者の首に回す。介護者は本人の首下に手を回す)
(本人は腕に力をいれ片ひじで立ち上がる、肘は支点の働きをする)
(片ひじで立ち上がりの力に応じて、介護者は右手は肩を軽くつかみ躰を起こす)
(普段、自分は仰向けから横に向きなり起き上がる動作を ゆっくりやってみてください)

躰が起き上がると同時に、両足をベッドに垂らす
足を垂らすと、躰は自然に起き上がってきます
(左脚が麻痺のときは、左足を右足の上に乗せ、右脚を動かしベッド下に垂らす。
本人が「できない」ときは、介護者の右手を本人の膝下に手をかけ、ベッド下に移動する。
(脚を移動するとき、お尻を支点にするような感じ)

次にとっても大切なことは、本人の足裏がペッタと床に着いていることです。
膝の角度が90度(大腿部が水平になる)になり、足裏が床に着く
ベッドが高すぎて、両足がブラブラすると
座位保持が出来ず、前に転倒する恐れがあり、立ち上がりげできない
(床に足が着かずに立ち上がることはできない)
ベッドの高さは個人差がありますが、目安は38〜40センチ程度になりますが
電動べっどは高さが調整できるので、足裏が床に着き、大腿部が水平になっていることです。

要介護老人が「できる」「できない」は、介護者の「てのかけ方」に左右される。

まずは、自分で起きてみる
または他人がどのように起き上がりをしているか、観察してみる。