自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

ツユクサ紙!

2015-09-21 | 野草紙

紙を漉いて,その紙のおおもとになった素材植物そのものを描くと,紙と絵が残り続けます。絵手紙でも,短冊でもいいのです。そんな風流なことができたら,おもしろいでしょう。

そのおもしろさを満足させてくれる植物で,ナンバーワンなら,ツユクサをあげたいと思います。ツユクサ紙はずいぶん前につくったことがありますが,この度久しぶりにつくることになりました。


葉も花も茎も入れ,ざっくり大ざっぱに採集しました。漉く紙のサイズをB5と決め,勘で採集量を判断。

それを煮込んで,紙料を取り出しました。しなやかな繊維という感じでなく,淡泊で,ゴツゴツッとしているとでもいえそうな特徴を持った紙料です。パサパサッ,サクサクッとした感じといってもいいでしょうか。ツユクサの茎を揉むようにしながらセルロース繊維の様子を確かめると,そのことがよくわかります。

そこから繊維を取り出すのは,むずかしくはありません。ごくふつうの作業になります。ただ,繊維を柔らかくするのに2,3時間は煮たほうがよさそうです。

煮終わると,ミキサーにかけます。こうして紙料ができました。見ると,単一色でありながら,微妙に変化に富んでおり,黒や赤色をした細かな粒状のものが混ざっています。枯れた葉か種皮の切れ端でしょうか。これもこの紙の特徴で,わたしの気に入った風合いです。

漉いて,乾燥させて仕上がりました。ステンレス網から剥がすときは,極上の喜びを感じる瞬間です。

 

 


マダケの葉紙

2015-09-20 | 野草紙

タケの紙はたいへん魅力があります。色合いも多様,強さも,厚みも様々です。絵が描ける紙も,折り紙も,コピー紙もなんでもOKです。わたしは大好きです。知人に,タケ紙を漉く職人がいますが,とにかく素材としてのタケにぞっこんです。タケの表情を知り尽くしているといった感じで,多種多様なタケ紙,作品それにタケ筆をつくり出しています。

タケの茎を思い浮かべると,たいていの人が紙にするには扱いにくい素材だと思われるでしょう。しかし,やりようによっては,いたって簡単です。この話は改めてするとして,今回はタケの葉で紙を漉く話題を取り上げます。

使ったのはマダケの葉。マダケは近くの河川敷に行けば,たくさん生えています。葉はいくらでも採集できるのですが,B5サイズの紙を漉ける程度の分量を集めることにしました。

持ち帰ってそれを煮ること,3時間。葉がずいぶん柔らかくなってきました。

葉脈のなかから主脈を取り出すために,臼と杵で叩解。主脈は長さが長いので,それを紙料に残すことでより丈夫な紙になります。細かくなったところで,主脈を手で取り出しました。残りのものは,ミキサーで細かく砕いて繊維を短くしました。それぞれをきれいに洗ったあと,一緒にして紙料としました。


これを漉けば,湿紙。

そして,乾かせば紙になります。


ただ,繊維全体としては繊維が太くで短いので,ぱさぱさした感じの紙になります。これでは実用的な紙にはなりません。それで,工業的に西洋紙がつくられるときにサイジングによって表面処理をするのを参考にして,薄めた膠液を塗ることにします。すると,腰の強いパリッとした紙になります。加えて,膠液にはにじみを抑える作用があるために,毛筆や絵筆を使って作品をつくれるようになります。


紙の色について一言。一般的に,もとの素材の色が残ることは期待できません。アルカリ剤や加熱によって色素が壊れてしまうので止むを得ないのです。今回つくったタケ紙は緑色をしていますが,この色がずっと残り続けるわけではありません。酸素や光,紫外線などの影響で時間(日)が経てば変色します。

それはそれとして,タケの葉は繊維で支えられていて,その繊維を取り出せばちゃんと紙になるのです。そこがとてもたいせつなところです。 

 


ヒガンバナ紙のことで

2015-09-19 | 随想

わたしの仕事場にやって来た小学3年生のAさんが,たまたまヒガンバナ紙に関係した体験談を話してくれました。

2年生のときに,生活科学習でヒガンバナ紙をつくったのだそうです。「ヘェー! すごいじゃないか」とびっくりしていると,「でもね,今も家に大事においているけど,クニャッと昆布みたいに曲がってしまって,色も黒くなっている。臭いも変なんだよ」というのです。「葉書をつくろうということで紙をつくったんだけど,結局出せなかった」ともいうのです。

「持って来ましょうか」といったので,そうしてもらうことに。そして実物を見て,わたしは「これでは紙になっていないな」と感じました。もちろん,Aさんにそんなことをいうのは禁句です。「そうか,せっかくつくったのに,残念だったね。今度機会があれば,満足できる紙をつくりたいね」としかいえませんでした。

学校でつくった紙は,色とかたちから,さらには臭いから,明らかに生の材料をミキサーで砕いて,それをそのまま紙料としてつくったとしか思えない作品でした。それを,Aさんは宝物のようにしてたいせつにしまっているのです。

 


材料を煮ないでそのままミキサーに入れ,機械的に繊維を取り出す方法もあります。工業的にも確立された手法です。しかし,その場合は限りなく純粋繊維を取り出せるまで叩解したうえで,早く乾燥させる必要があります。中途半端に砕いただけでは,非繊維質がたっぷり残るのです。すると,これが腐敗の原因になります。紙を漉く場合,生の材料を使うときはよほど注意をしておかなくてはなりません。

おまけに,生の場合は細胞がまだすこしは生きた状態にあります。乾かしたつもりでも水分が多分にあるために,それが蒸発するにつれ紙自体が徐々に収縮するのは当たり前です。

さらに,秋になると途端に湿紙が乾燥しにくくなるという難題を考慮しておかなくてはなりません。ヒガンバナのような水気の多い植物体を扱うのはとくに厄介なのです。

Aさんが通う学校では,何年か,こうしたかたちで体験学習が行われているようです。学びの場で,かたちばかりの取組が続いているのは,悲しい話です。これでは子どもの目が開かれません。着眼はよいとしても,ほんものとの出合いをつくり出すことが真理を追求する学校のしごとのはず。まだまだ改善が足りない気がします。

ほんもののヒガンバナ紙は似て非なり,です。Aさんが手づくりした次元をずっと超えたところにあります。とても簡単にできるのに。惜しい惜しい。

 


また孵化!

2015-09-19 | ルリタテハ

9月14日(月)に採取したた卵2個のうち,2つめが孵化。野外での観察経過を考えると,まさに今が孵化のラッシュ時といった感じがします。この2つめの記録を載せておきます。

9月16日(水)。朝見ると,全体が白っぽくて,「孵化近し」を予感。


9月17日(木)。この個体もまた,虫の知らせなのか,偶然目撃することに。頭部や毛が確認できます。間もなく孵化が始まりそう。

 
卵の上に穴が開けられ,幼虫の頭が出てきました。外気を吸った瞬間。


ぐうっとからだを伸ばして……。 


着地しようとして……。 


脚が着いて,からだが完全に出て……。 


幼虫は殻から離れて行きました。 


大変化が無事に終了。一連の動きはじつに無駄のないものに見えました。何度観察しても飽きません。いのちの誕生物語はいつも感動的です。

 


アゲハの庭園にもルリタテハが!

2015-09-18 | ルリタテハ

9月16日(火)。勤務を終えて帰宅後,アゲハの庭園でルリタテハの幼虫を発見。

じつは,ルリタテハを呼びたくって,アゲハの庭園の片隅に食草ホトトギスを植栽しています。それがかなり成長して大きな株をつくるまでになっています。ふだんは足を踏み入れない場所なので,ルリタテハが産卵しているとは気づきませんでした。


公園及び勤務施設近くの山麓で,産付された卵と若齢幼虫を見たものですから,帰宅してから「もしかすると我が家にも?」という気持ちで確認してみようとホトトギスのところに行ったのです。すると,パッと食痕が目に入りました。卵殻も!


びっくりして,葉を裏返しました。もちろん,幼虫がいるかどうか確かめるためです。驚いたことに,ちゃんとそこに若齢幼虫がいたんです。ほんとうに驚きました。なかには,1枚の葉に2匹いる例も。


脱皮した名残りもありました。



この後,他の葉にも食痕はないか,調べました。ありました,ありました。葉を裏返してみると,幼虫がそこにいました。脱皮直後の幼虫も。


結局,幼虫はみんなで14匹も見つかったのです。一方,産付された卵は目に付きませんでした。

ホトトギスを植えた甲斐があったなあと,つくづく思った次第です。

 


キクイモの花弁紙!

2015-09-17 | 野草紙

河川敷で,野生化したキクイモの花を見かけました。なんとも鮮やかな花弁を見ていると,昆虫を誘う手として強烈にアピールしているように自ずと思えてきます。数日は枯れずに花に付いたままです。つまり,それだけの期間花弁が縮むことなく,持ちこたえる構造になっているのです。


「よし,ヒマワリの花弁で紙がつくれるのなら,これだって」と思い,さっそく採集することにしました。花弁を摘み取っていると,ミツバチが訪れていました。花弁は虫害にやられることもあるようで,食痕がありました。その食痕を見ると,花弁を支える脈が食べ残されていました。そこを避けて食べるのは,花脈がいくぶんは硬いことを物語っています。それなら,一層紙にできるのではないでしょうか。さっそくチャレンジ!



花弁はたくさん集まりました。


お湯が沸いてから花弁とアルカリ剤を入れ,時間にして1分程度煮ました。それ以上煮ると,花弁がドロドロ状になって紙料は得られません。花弁は繊維そのものが弱いので,紙にするには,セルロース繊維も非繊維質も混在したかたちで紙料としなければならないのです。

煮終わると,手で揉み荒いするだけです。ミキサーを使う必要はありません。


それを溜め漉きで漉き,湿紙にします。


乾燥して,キクイモの花弁紙が完成しました。色合いは花弁に近いものです。


ルーペで表面を観察すると,繊維がたくさん見えます。花弁の平行脈も残っています。「ほほーっ!」の世界の広がりです。

 

 


ここにもルリタテハが!

2015-09-17 | ルリタテハ

9月15日(火)。勤務先でのことです。昼休み,いつものウォーキングコースを変えて,山道方面に出発。

出発間もなく,山裾を通りかかりました。道と斜面との境に,小さなサルトリイバラが生えていました。こんなところにルリタテハの卵はないだろうなと思いつつ,とりあえず確認だけはしておこうと思い,葉に近づいて行きました。葉をじっくり見ていくうちに,なんと卵が産み付けられていたのです。それも,2枚の葉にそれぞれ1個ずつ! びっくりしました。


上写真で,左から5枚め,6枚めの葉にご注目ください。下は,これのクローズアップ写真です。


これまで勤務先付近でルリタテハを見かけたことはありません。「いるんだなあ」とびっくりして,この事実が見えてきたことをうれしく思いました。

ところが,ふしぎなことに,幼虫まで発見することになったのです。それも3匹! 卵を見かけた株から10mも離れていないところです。小さな茎が1本,弱々しく伸びていました。付いた葉を見ると,食痕がありました。


「これはもしかしたら……」と思いながら,葉の裏側を見ました。いたんです,幼虫が!


9月はどうやらルリタテハの産卵期のようです。昨年もまったく同じ時期に卵を見ました。ルリタテハの生態がすこしずつ見えてくる感じがしています。

 


ルリタテハの孵化

2015-09-16 | ルリタテハ

9月14日(月)。午前。ルリタテハを接写するために,公園を再訪。


撮影を終えて,他にも卵が産付されていないか,探してみました。すると,すぐ脇に生えた株の葉で1個見つかりました。こちらは先端付近の葉ではなく,すこし下にある大きめの葉でした。印象としては,同時に産み付けられたものでなく,もうすこし後の産付のように見えました。

すでに成長を続けている2匹の若齢幼虫は,葉の裏でじっとしていました。


これらの成長を細かに観察するには,持ち帰るのがよいと判断。結局,家で観察を続けることに。

9月15日(火)。今日は孵るのではないかと感じて見ていましたが,とうとう孵りませんでした。でも,いつ孵ってもよさそうな状況に見えます。


9月16日(水)。未明。トイレに行ったついでに,変化を確認しておこうと思い,ファインダーを覗き込みました。すると,卵の天頂部分が中から破られかけていました。ちょうど孵化する寸前です。このタイミングはまったく偶然の重なりに過ぎませんが,なんだか“虫の知らせ”のような感じがしてきました。まことにラッキーです。


しばらくすると,幼虫の頭部や口が確認できるようになりました。


幼虫は時間をかけて,身が出るだけの穴を開けました。開け終わると一呼吸する間もなく,するするっと殻から出てきました。じつに呆気ない誕生物語に見えないわけではありません。


幼虫は透明感のある,初々しい体色をしています。出終わると,ほんのしばらく卵の近くにいて,さっさと消え去りました。からだの大きさと比べてずっと大きな葉で,これからもりもり葉を食べて成長していきます。

 

 

 


ひさしぶり,ルリタテハ

2015-09-15 | ルリタテハ

9月13日(日)。晴れ。わたしが定期的に昆虫の生態写真を提供している科学館は,緑豊かな公園内に位置しています。休日になると,そこに設置された遊具や,芝生広場で遊ぶ家族づれでにぎわいます。

この日,虫の目写真を撮ろうと,久しぶりに訪れました。セミの死骸を見つけて,アップ写真を撮りました。撮っていると,おもしろいことが起こりました。幼児が2人近づいてきて,「おっちゃん,なんの写真を撮っているの?」と聞くのです。セミを指して説明すると,「ふーん」と答えて見つめていました。2人は兄弟です。

場所を移して,別の被写体を探していると,またその兄弟がやって来てこういうのです。「おっちゃん,今度はなんの虫を探しているの?」と。 「チョウチョだよ」というと,「いるの?」と問い返してくるのです。「まだ見つかっていないけど,きっと来るんだ」と,わたしはルリタテハを思い描いて答えました。

ふしぎに,子らは去ろうとはしませんでした。そして,住んでいるところを教えてくれました。警戒心のまるでない,人懐っこい子たちでした。そのうちにオンブバッタを見つけて,「ぼくらも一緒に写して」といいました。そんなふうにして,話していると,なんとルリタテハが飛来! びっくり仰天!

その後,地面や手すりにとまっては,舞い上がり,再び元に戻ってくる習性を見せました。その度に,わたしは子らに「じっとしてて。動かないで。そうすると,また戻ってくるからね」と説明しました。兄弟は素直にそのとおりにしました。ルリタテハはどうやら,産卵に訪れたようです。

何度か「動かないで」を繰り返しているうちに,子らが叫びました。「あっ! おっちゃんの帽子にとまった!」と。「ほんとうかい? まだいるのかい?」と聞くと,「うん,まだいる,まだいるよ」って答えるのです。 

わたしは,そっとコンデジを取り出して,頭に向けて適当にシャッターを押しました。流行の自撮り棒なんてあるわけではありません。レンズを頭部に向け,左手でシャッターを切るのですから,なんとも妙な撮り方です。秋はじめてのルリタテハとの出合いが,なんともユニークな風景となりました。


ところがところが,舞い上がったルリタテハは,また戻ってきてわたしの帽子にとまったのです。結局,この動きが3回も繰り返されました。

子らは「すごいなあ。おっちゃん。チョウが好きなん?」と聞きました。「うん,とっても!」と答えると,ふしぎにも2人は「ぼくは虫が苦手や。こわい」「ぼくも」といいました。「今度,ここにいつ来るの?」と聞くので,「今度の日曜日かな」と答えました。「日曜日のいつ? ぼくも来るから。おっちゃんと話がしたい」と付け加えるのです。こうなると,約束を破るわけにはいきません。

子らが去ったあと,すぐ近くのサルトリイバラを点検しました。産付卵があるかもしれません。探し始めると,早々と見つかったのが孵化後の殻でした。同じ葉に食痕があって,裏側を見ると幼虫がいました。隣りの葉の裏側にも幼虫がいました。さらに,別の葉で卵を確認!

やはり,ルリタテハの行動は産卵と結び付いていたようです。ふしぎな,ふしぎなひとときでした。夕刻でもあり,接写レンズを持って来ていなかったこともあって,撮影は翌日に回すことにしました。 

 


“木の葉”紙 ~カシワ~

2015-09-14 | 野草紙

もっぱらわたしが紙にする対象は野草です。草の生活形とセルロース繊維との関係を,紙づくりをとおして考えていくことが主眼です。したがって,しゃにくもにとにかく紙にしたいという気持ちはありません。「とにかく紙にしたい」ということなら,たとえば,紙にしやす別の紙料を加えてつくれば簡単至極です。

わたしの知人に,牛乳パックを必ず適量加えて上等な(?)紙をつくるのに凝っている人がいます。わたしも多少練習すればその域に達するでしょう。しかし,草の生活と向き合うことなく実用的な紙をつくることはほとんどわたしには関心がありません。いくらすてきな紙ができようとも,です。

草のからだの,どの部分が,どんなセルロース繊維で構成されていて,それがどんな風合いの,どんな紙になりうるかを突きとめるのがわたしの関心事です。この経験則がすこしずつ蓄積できてきたお蔭で,どんな草を見ても,どんな部分を手で揉んでみても,どんな紙ができるか,おおよその見当がつくようになりました。

ところで,こんな見方で草に接していると,草本と木本の共通性と相違性が改めて気になってきます。とりわけ,共通性について思うところが大です。よく考えてみると,葉でも草と木は大して違いはないではないかと思えるのです。どちらも紙になるはず。つまり,セルロース繊維が葉のかたちを形成し,かたちを維持するために機能しているのですから。

それなら,こんなこともいえそうです。「草の葉から紙がつくれるのなら,木だって同じだろう」と。

先日,集落で小さな寄り合いがあって,そこで出されたのが柏餅。「この葉からも紙ができるはず」とひらめき,葉を6枚持ち帰りました。そこにいた人は,「そんなもので紙がつくれるか?」と疑うばかり。


家に帰って,さっそく煮ました。煮終わっても,葉のかたちは崩れていません。ただ,とても柔らかくはなっていました。

それをミキサーにいれて,打解・叩解しました。すると,細かな繊維が集まりました。色は驚くような茶褐色。主脈を中心にして葉脈にこれだけの繊維があったことになります。これで,紙にできる見通しがつきました。


結局,葉4枚程度の繊維から栞が1枚完成しました。


考えてみると,餅を包んでいるカシワの葉は褐色ですが,元は緑色をしていたはず。つまり,今も完全に枯れてしまったのではなく,水分が補給されて生の状態がほんのすこしは維持されているとみていいでしょう。

今回の結果から,木の葉でも,繊維をじょうずに取り出せたら紙ができて当たり前だということがわかってきました。これまでは,なんとなくそう思いながらも,実際には試さなかっただけです。先日つくったイチョウの葉の紙も,マア,できて当然といえばそのとおりだったわけです。

ずっと以前のこと。ある方から「枯れた葉からも紙ができるのでしょうか」と問われたことがありました。水分が失われて分解が始まり,腐朽菌が付くなどしているので,「それは無理ではないか」とお答えしたのですが,実際には試したことがありません。そのことも,こころの片隅で気になっています。理屈だけで片付けているような気がして……。

それはともかくとして,自然がまた広がって見えてきました。ありがたいことです。