自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

超接写がたのしい夏(2) ~ショウリョウバッタ(幼虫)~

2017-06-21 | 生物

今,バッタのなかまが目に付きます。といっても,まだまだ幼虫が多い時期です。

日暮れちかく畑に行くと,地表にいたのがショウリョウバッタの幼虫。褐色型で,体長は15mm。わたしを察知して遠ざかろうとするので,慎重に近づいて写真に収めました。こんなに小さくても,後脚のなんともりっぱなこと! もちろん実用性に飛んでいて,一蹴りでびっくりするほどの跳躍力なのです。翅が使えなかったら,逃げる手段はこれだけです。 

 

じっとしている瞬間を待ち構えて撮るのはかなりたいへんです。

 

脚の重要性が納得できる画像でしょうか。翅はまだとても未熟。

 

「いつでも跳べるぞ!」という覚悟が見えます。 

 

土や枯れ葉とそっくりな体色はもちろん保護色の役目を担っています。これからもりもり食べて時間をかけて成長します。天敵がいるので,格段の注意がいります。この日,たまたま別の個体がアマガエルに食べられる瞬間を見ました。カエルの目前を動くとカエルが跳びかかるのは目に見えています。一口で姿が見えなくなってしまいました。 

 


地域ミュージアムで考える(65)

2017-06-20 | 随想

ミュージアムのあり方について問い直す際,運営委員会の提言を柱にしながら各種の評価結果を参考にするのは当たり前のことです。この評価には自己評価(内部評価),他己評価(外部評価)の2つがありますが,とりわけ来館者による外部評価が大事になります。自己評価はややもすると主観的に甘い点数を入れがちなので,信頼性し過ぎてはなりません。評価価値の理解や評価の工夫を重ねていかないと,自己満足な結果が得られるだけでしょう。その点,外部評価ではかなり客観的で積極的な指摘が得られることが期待できます。

 

わたしたちのミュージアムでは,この外部評価が行われていませんでした。これは運営上の大きな欠陥だとわたしは思います。公的な施設では往々にしてこうした甘い運営が慣例的に続いて来ました。これでは自身を律する姿勢がどうしても甘く流れがちです。来館者・利用者の目線に立たず,自分本位な解釈を繰り返しているからです。それでは惰性,驕り,そんなサビが付着するだけです。

評価はあくまで,「よりよいミュージアムづくり」の基礎資料を得るために行うものです。施設・設備はもちろん,人つまりスタッフの接遇姿勢も入ります。評価によって,ミュージアムの構成要因である自分をも評価してもらうのです。サービスを提供する施設だから当然の方向でしょう。

敢えて辛口でシビアな評価を求めることで,評価側に立つ来館者は,ミュージアムの運営姿勢を前向きに受け止めるはず。

よく似た評価に外部者による学校評価があります。ところが,教職員自身にとってシビアな,人・組織としての信頼性を評価する項目はまず見当たりません。ことばとして適切かどうかわかりませんが,「教職員(担任)は全力で子どもと向き合っているように見えるか」「校長はリーダーシップを発揮しているように見えるか」などを項目に加えている学校はまちがいなく信頼できます。外部の目で自己点検を試みようとする前向きの姿勢があるからです。したがって,そうした学校では評価結果が学校改革につながっていくと大いに期待できます。わたし自身の経験を思い起こすと,学校づくりでは敢えて厳しい評価を期待して実施してきました。

自由記述欄があれば,さらに具体的な改革視点が見えてくるかもしれません。

 

評価といえば,人は十人十色なのでいろんな見方が出て当たり前。中には,妥当性にひどく欠けた回答もあり得ます。わたしの経験では,公平性を欠いた極端な例もありました。いちいち気にしていたら,評価がマイナスイメージで塗りつぶされてしまいます。それでは疲れます。改善への手掛かりは,大多数の回答者から得られるという信頼感に立つことこそがたいせつです。

ただ,不特定多数者による評価には多分にあいまいさが混ざっていることも承知しておくべきでしょう。すべてを鵜呑みにする必要はない,でも重要な示唆・提言が得られる,というスタンスこそが重要なのです。

わたしたちが「スタッフの対応」項目を入れているのは,そうした背景を読んだうえでのことです。スタッフ自身はそのことで一種さわやかな緊張感を感じながら仕事に励んでいけますから。スタッフに緊張感を求めない評価は,わたしの評価論からすれば無意味です。

評価を導入している施設は,評価を単に形式化せずに,真摯に運営改善につなげていく姿勢を見失ってはなりません。わたしたちのミュージアムもしかりです。 

 


超接写がたのしい夏(1) ~シオヤアブ~

2017-06-19 | 生物

接写はとにかくたのしい。そう思います。肉眼では十分確認できない,意外な世界がどっと拡がるおもしろさがそこにはあります。「へぇー!」「ほーっ!」。子どもみたいに,わたしのこころが躍ります。

そんな写真をこれから撮る度にご紹介しようと思います。まだストックはまったくなし,です。

6月18日(日)。アゲハの庭園に見かけたのがシオヤアブのカップル。足元から飛び立って,近くの鉄パイプにとまりました。もうこれは,「しめた!」以外にはありません。さっそく携行のコンデジを手に撮影開始。警戒心の強いはずのアブにもかかわらず,10分以上は同じ位置にいたでしょう。「撮影中にどこかに行くなんてことはないように」と願いながら写しました。

パイプの横側にとまりました。下側がオスです。

 

横側から上側に移動。

 

全体を入れて撮りました。翅を左右に拡げ,ぶるぶる震わせるときが度々。それを避けてなんとか撮りました。獲物の体液を吸う口吻が特異な姿を見せています。

 

オスの表情を撮りました。個眼はしっかり写り込んでいます。毛の一本一本が見えそうな感じがしてきます。どう猛さが伝わってきます。スズメバチもかなわないといいます。実際,そんな画像も紹介されています。

 

 メスはオスよりも体形が大きめです。

 

これだけ毛で完全武装した上に,棘だらけの脚。もう,次はハンターとしての現場写真を撮るほかありません。 

 


❜17 ホッカイコガネ栽培記~種子を得たくて~(12)

2017-06-18 | ジャガイモ

先に咲き始めた花の集合体,つまり第一房にはほとんど実がつかず,二番目の房に付きかけました。一昨年度すべての房が結実したのと比べると,結果はずいぶん違っています。確かに異変が起こっている感じ。しかし,実がなるのを諦めかけていたのが,まだ期待が持てそうでうれしく思っています。

 

 

ほんとうにホッカイコガネの種イモだったのかとか,気候との関係ではないかとか,一時は考えたものの,どうやらそうではなかったようでホッ。

その様子をご覧ください。6月17日(土)の早朝に写しました。

 

 

メシベの名残りが残っている実があります。 

 

 

なんだか,たくさん実ができそうな。

 

 

花から実への推移が見てとれます。

 

 

ホッカイコガネは,わたしたちの地方では晩生のジャガイモに入ります。他の品種では花がすっかり落ちています。地上部が枯れ,収獲された畑もあります。この晩生ジャガイモはまだ花がたくさん。結実はどうなるでしょうか。大いなるたのしみです。 

 


がんばるシャクトリムシ

2017-06-17 | 昆虫

スミレの葉に,細長い枝が一本。と思ったら,そうではなく,シャクトリムシ。シャクガの幼虫です。完全な直線で,その長さ30mm。余りにも見事な姿なので,写真で残すことに。

 

「脚がどんなふうに支えているのかな」。そんなふしぎが湧いてきます。3点で支えているようにも見えるし,そうでもなさそうだし。

 

それぞれの脚先には鉤が付いています。がちっと食い込んでいそうです。頭・腹部下になにやら妙な器官が見えます。何なのでしょう。これだけ長いからだを支えているのですから,そのだけのしくみがあるはず。 

 

今回は時間がなく,この辺りで終了。

 


キリギリスの幼虫,接写

2017-06-16 | 昆虫

庭に生い茂った草を引いていると,キリギリスの幼虫が一匹。「それまで棲み心地よくくらしていたのに,迷惑だー!」なんて,瞬間思ったのではないでしょうか。「ごめん,ごめん」。そう思いながら,携行しているコンデジを手に,さっそく撮影開始。

ぶら下がっているのを腹部下側から見ると,見え方が変わってきます。

 

噛む口は顎が発達しています。口を構成する各部分には名が付けられています。やたらとむずかしい漢字が当てはめられているが,それは人間が都合よく付けたものにすぎません。キリギリスにはちっとも関係のない次元の話です。

 

口の蓋に当たるのが上唇。その上に乗っかかるようにしてあるのが小顎鬚(しょうがくしゅ)。 脚の突起のスゴイこと!

 

噛む口の機能性がなんだか伝わって来そうな。それでいて,葉に似た保護色をして身を守っています。

 

個眼も写り込んでいます。 

 

反対側からも見てみました。左右4本の鬚をしきりに動かしていたものの,この瞬間はじっとしていました。深い深度が得られ,感謝。

 

そして,前方やや斜めから全体の姿を見ました。色といい,スタイルといい,すてきな完成度に見えます。

 

接写の世界はたのしさが詰まっています。

 


公園のケラ

2017-06-15 | 昆虫

公園の,その地面にはシロツメクサやシバが混生。おまけに,来園者が歩いたあとには裸地ができたり。とにかく,踏み固められた状態です。

そこを歩いていると,なんとケラが一匹歩いていたのです。久々にケラと出合いました。ゆっくり歩いていたので,さっそく写真撮影です。

 

ケラはそのうちわたしの靴の溝に入り込みました。

 

そっと足を動かして,アップ写真を撮りました。撮っている間,じっとしていたので大助かり。

 

無一文になることを意味する「オケラになる」「オケラになった」ということばは,前脚のこの格好から連想されたとか。

 

それを捕って職場に。スタッフは一様に「この公園では初めて!」と言っていました。「親子連れの入館者があるので,見せてあげれば?」ということだったので,見ていただきました。4人でしたが,皆さん「初めて見た!」と驚いた様子。「ミミズだって,オケラだって,アメンボだって」なんて歌があるでしょう,というと,お母さんが口ずさまれました。

「水を入れるとどうなるでしょうか」と尋ねて,実際に試してもらいました。

 

水が弾かれるほど体表には毛が生えていることを説明しました。ちょっと押し込むと,水の層が確認できます。「ほんとう!」と,4人はびっくり。

ケラは,わたしたちを十分たのしませてくれました。このあともちろん,元の場所に戻しておきました。そこを棲み処とするには厳しく思える環境で,ケラが見つかったのは意外でした。意外でありながらも,棲息していることがわかったのは大きな発見でした。

 


アゲハとアゲハヒメバチと

2017-06-14 | アゲハ(ナミアゲハ)

ミュージアムにわたしが持ち込み,飼育展示していたアゲハの話です。

蛹になった3個体の羽化をたのしみにしていたところ,寄生バチが飼育ケースにいるのを発見。アゲハヒメバチです。とにかく撮影だけはしておこうと思い,撮ったのが下写真です。

 

寄生バチだけあって,触角をしきりにピクピクと小刻みに動かし続けていました。

 

ケースの縁まで行くと,ヒメバチはさっさと飛び去りました。

そのあと蛹を見ると,大きな穴がぽっかり。ということは,この中からアゲハヒメバチが出て来たということです。さらにさかのぼると,幼虫時に体内に卵を産み付けられていたということになります。

 

幼虫は蛹になるまではなんとかいったものの,その後の経過はヒメバチの筋道に巻き込まれたのです。なにも知らない幼虫にはお気の毒な現実です。種としてのアゲハは,こうした事態を当然織り込んで産卵しているでしょう。それにしても厳しい摂理です。

そういえば,ジャコウアゲハの蛹でもよく似た穴を何度も見かけました。たぶんこのヒメバチの被害に遭ったのでしょう。

 


❝はりまる❞プランター栽培記~結実を求めて~(2)

2017-06-13 | ジャガイモ

6月12日(月)。

結実率の相当高いはりまるをプランターに植え,実が付くのをたのしみにして3カ月以上が経ちました。茎はずいぶん高くなりました。しかし,しっかりした花が付きません。どうしたことでしょう。種イモが小さ過ぎたか,肥料不足か,たぶんそのあたりではないかと現時点では思っています。

 

 

これでは「結実を求めて」試みた栽培が完全に失敗に終わりそう。

 

隣家の畑では,キタアカリの実がすくすく育っています。ミニトマト程度の大きさには届いています。熟すまでおいていただいているので,いずれ収穫できます。

 


ヤマトシジミの吸水行動

2017-06-13 | 昆虫

畑を耕す前に堆肥を入れていたところ,ヤマトシジミが吸水行動にやって来ました。畑の手入れをしている最中だったので,その行動をしばらく見ていることにしました。

どうも堆肥に関心を示している様子。その辺りから遠ざかろうとせず,低空飛翔を繰り返して,やがて着地。翅の青さが際立っていたのでオスです。すぐに口吻が伸びました。

 

 

舞い上がると,また近くに着地。翅の青みがちょっとだけ確認できます。

 

できるだけ近づいて接写しました。気づかれていないようで,何枚か撮ることができました。

 

チョウの吸水行動はよく知られています。堆肥に来るのはオス。一般的にはアンモニア成分を補給するためといわれています。どうやら生殖行動と結び付いた営みらしいのです。これまでにチョウの吸水行動を何回も目撃してきましたが,なかでもキタキチョウが10頭ほど集団で給水している風景は圧巻でした。チョウの吸水はめずらしくありませんが,ヤマトシジミのそれを目撃するのはわたしには確か初めて。

偶然の機会とはいえ,印象に残る観察になりました。畑仕事はよいものです。