法事に 勝山の お寺に行くには もう少し早いかなと 思って 留守の間の 手伝いを お願いした 中学時代の同級生と 2年先輩の人と 打ち合わせを していると、電話が鳴って 東京から帰って来た長男と 富山から 帰って来た次男とで 親戚の 叔母さんを 迎えに行ってくれる様に 頼んであったのですが 鍵がかかっていて 出て来ないと言うので そんな はずは ないから 大きな声で呼んで みてくれと 返事が 有るまで 呼んでみてくれと 頼みました。 しばらくして また 電話で 声が 聞こえたので 中にいるようだが 動けないと 言ってる。との事 まさかとは 思いましたが 応答があったのなら なんとかして 家の中に 入る 方法を考えよ 最悪の場合は、どこか窓ガラスを 割ってでもいいから 中に入って 様子を 連絡して来る様に、法事には 遅れてもいいし何かあったら 来なくてもいいから とにかく 叔母さんの 様子を 教えて欲しいと 言いました。 窓ガラスを 割って 鍵を開け 中に入ると テーブルと 椅子の 間に 挟まって身動きが出来ないでいた との事 夜中の2時半から そのような状態だったらしく、いっ睡もして いなかったとの事でした。 割ったガラスは ガラス屋さんに 電話をして 直してもらい その辺も 片付けたりしていて 二人とも そして叔母さんも 法事には 来れませんでしたが 一人暮らしの 老人の 場合何かの 弾みで こけて 起き上がれなくなった場合、誰かが 尋ねて 行かなければ そのまま 何日でも いたら 命にかかわる事を 思うと今回は たまたま 法事が あって 迎えに 行ったので 倒れてから 7時間ぐらいで 見つかったから 良かったものの もし 法事が 無かった時の 事を思うと、これも 仏のご慈悲かなと 思い、それこそ 我が力 何も無く すべて周り 、祖先、社会、自然の中に 生かされている わが身でしかなく 何事も 努力はしなければならないが、最後は 天に お任せ、どんな事に なろうとも 大自然の摂理の前に 感謝しか 無いのではと 思いました。はかない 命 大切に使わせて 頂かなければ この世に 生まれさせて頂いた値打ちが 無いのではと思いました。