9時頃 名古屋ナンバーの車が 登って来ました。
降りて来たのは 同級生の 山本博志君でした。
92歳になる お母さんが 水引細工で作られた トンボのブローチでした。
これには いわくがあって、この三姉妹(京都に102歳のお姉さんがご健在でおられるので本当は、ハイゴールド4姉妹なのです。)
に、今年の冬、谷のお面様祭りの時、番戸平みつさん(98歳)が作られた トンボのブローチを 勝山市長が これは 素晴らしい。この奥越も 水引細工が伝統工芸としてあるので、トンボができるのなら、勝山の恐竜を 水引で作ってくれる様 お願いをして欲しいと おっしゃられ、恐竜のブローチのデザイン画まで 描いて下さいました。
私も、このおばあさんたちは 並の人たちでは無いので なんとか工夫して 作ってもらえるものと 軽く お請けしたのですが 恐竜は 難しいと 言われ 今だに 実現していません。今日も 息子の博志君が 山本の お母さんが丹精込めて 作られたトンボを沢山 持って来てくれました。
市長が言われたということで より立派なものを作らなければと プレッシャーになっているのではと 思います。
もっと簡単に気楽に楽しんで作ってくれればいいと お願いしているのですが なんとも 拉致があきません。
みつさんの娘さんや 北九州の谷大好きさんからも お願いをしていただきたく お願いします。
これが きっかけで、お年寄りの生きがいや 呆け防止にでも 繋がっていけば 素晴らしいことだと 思うのですが。
博志君と 沖縄の谷川君の話をしていて、彼には もう40年あまり会っていないので 写真があったら 欲しいと いうので、プリントアウトして 1枚あげました。
そこへ 福井から電話で 勝山の同級生の女の子の旦那が亡くなって、今日お通夜だと 言って来ました。
同窓会の事では 女子のまとめ役として いろいろしてもらっていることもあり みんなで お参りさせて頂こうと 話がまとまり、行くことになりました。
11時半。今度は、斉藤永雄君が 近くで仕事をしているからと 昼弁当を食べに 登って来て、同級生3人のご対面となり 昼休み時間
いろいろ話をすることが出来ました。
お通夜にかこつけて、何人かが集まるというのは 不謹慎な話かも知れませんが これも 御縁の結びつけで、大切なことなのではと 思います。
正直、この ご主人とは 挨拶程度で お話をしたこともありませんが、娘さんたちとは、妹の息子の結婚式に新婦側の友人として来られていたり、一番下の娘さんの子供さんは、6月に 鯖江の立待ソルジャーズの新入生として キャンプに参加してくれていたりと、思わぬところからでも つながりが有ります。
これも 亡くなられた、ご主人の お徳のお陰様と 思います。
今福井新聞の親鸞なうを読み切り、五木寛之さんの親鸞に入っています。
これらも、自分が 求めていたのではなく、御縁のお陰さまで 今 読まさせて 頂くことになった。のだと 思います。
ひとつの別れを通して、自分が これから どう生きていくべきかを 考えさせられる 良い機会を与えて頂いたことに感謝申しあげます。
降りて来たのは 同級生の 山本博志君でした。
92歳になる お母さんが 水引細工で作られた トンボのブローチでした。
これには いわくがあって、この三姉妹(京都に102歳のお姉さんがご健在でおられるので本当は、ハイゴールド4姉妹なのです。)
に、今年の冬、谷のお面様祭りの時、番戸平みつさん(98歳)が作られた トンボのブローチを 勝山市長が これは 素晴らしい。この奥越も 水引細工が伝統工芸としてあるので、トンボができるのなら、勝山の恐竜を 水引で作ってくれる様 お願いをして欲しいと おっしゃられ、恐竜のブローチのデザイン画まで 描いて下さいました。
私も、このおばあさんたちは 並の人たちでは無いので なんとか工夫して 作ってもらえるものと 軽く お請けしたのですが 恐竜は 難しいと 言われ 今だに 実現していません。今日も 息子の博志君が 山本の お母さんが丹精込めて 作られたトンボを沢山 持って来てくれました。
市長が言われたということで より立派なものを作らなければと プレッシャーになっているのではと 思います。
もっと簡単に気楽に楽しんで作ってくれればいいと お願いしているのですが なんとも 拉致があきません。
みつさんの娘さんや 北九州の谷大好きさんからも お願いをしていただきたく お願いします。
これが きっかけで、お年寄りの生きがいや 呆け防止にでも 繋がっていけば 素晴らしいことだと 思うのですが。
博志君と 沖縄の谷川君の話をしていて、彼には もう40年あまり会っていないので 写真があったら 欲しいと いうので、プリントアウトして 1枚あげました。
そこへ 福井から電話で 勝山の同級生の女の子の旦那が亡くなって、今日お通夜だと 言って来ました。
同窓会の事では 女子のまとめ役として いろいろしてもらっていることもあり みんなで お参りさせて頂こうと 話がまとまり、行くことになりました。
11時半。今度は、斉藤永雄君が 近くで仕事をしているからと 昼弁当を食べに 登って来て、同級生3人のご対面となり 昼休み時間
いろいろ話をすることが出来ました。
お通夜にかこつけて、何人かが集まるというのは 不謹慎な話かも知れませんが これも 御縁の結びつけで、大切なことなのではと 思います。
正直、この ご主人とは 挨拶程度で お話をしたこともありませんが、娘さんたちとは、妹の息子の結婚式に新婦側の友人として来られていたり、一番下の娘さんの子供さんは、6月に 鯖江の立待ソルジャーズの新入生として キャンプに参加してくれていたりと、思わぬところからでも つながりが有ります。
これも 亡くなられた、ご主人の お徳のお陰様と 思います。
今福井新聞の親鸞なうを読み切り、五木寛之さんの親鸞に入っています。
これらも、自分が 求めていたのではなく、御縁のお陰さまで 今 読まさせて 頂くことになった。のだと 思います。
ひとつの別れを通して、自分が これから どう生きていくべきかを 考えさせられる 良い機会を与えて頂いたことに感謝申しあげます。