御所ガ原物語の資料集めで 上杉喜寿先生のご著書白山を読み返していました。
そろそろこの一年の成果のまとめをしなければ いけない時なのですが なかなか出来上がっていません。
今日も 上杉先生の 白山のご著書を読み返していながら その文中にのめり込んでしまい前に進めません。
この白山の本は、勝部先生から 頂いたもので、本書に定価は記されていません。
411ページにも及ぶ貴重な資料です。
御所ガ原のルーツを調べるには白山との係わりは 大変重要な事がらと 思いますのでまだ何回も読み返してみなければと 思っています。
白山を開いた泰澄大師が養老元年〔717〕に白山登拝。山頂に七社の神殿を創建したと記されています。
しかしそれ以前、古代人の生活は狩猟本位で、獲物は山や川、あるいは海の神様から下されたものとして崇め
、農耕時代に入っても生産は灌漑につながるものとして、やはり山、川の神々崇拝するところはなんら変わるところは、無かった、白山山麓の゜谷々にも縄文の遺跡は多く、白峰、白川両村史にはそれらに関しての調査記録が載せられていて、石器類、縄文土器が出土し、縄文時代の祭祀遺構が発見されていて、仏教の伝来が西暦538年といわれているので、遺跡の数々は 神々の古代信仰につながると書かれています。
又、日本紀略によれば、持統天皇六年〔692〕9月朝鮮から亡命してきた人たちによって、敦賀湾の東部
、東浦から今庄町の一帯で養蚕がなされ白蛾〔蚕〕を朝廷に献上したと記されていて、白山山麓にも朝鮮からの亡命者が入り込み、養蚕が営まれたととみられ。この蚕を〔おシラ様〕と崇め、白山神をも〔おシラ様〕とみなして、
養蚕製織する地方では、白山神を祭る神社があると言われています。
御所ガ原でも私の子供のころは、蚕の神様を祭る 繭玉を吊り下げて祭る行事が行われていました。
話が あちこち飛んで申し訳有りませんが、白山禅定道で丸岡の豊原寺八宿禅定道は、1宿目 竹田吉谷不動尊。2宿目 岩屋鈴巖。、3宿目 大日如来の宿。 4宿目 中ノ俣牛ケ首谷。 5宿目堂原〔堂の森〕。 6宿目太田の中山〔太田の栃の木の辺り〕。 7宿目明谷の上〔判官堂〕。 8宿目1の宿〔市ノ瀬〕。とあります。
ここで 注目したいのは、7宿目の明谷の上〔判官堂〕ですが、ここは源義経が一時期隠れ住んでいた所とも言われていて、サルバナ姫がお世話をしていたという言い伝えも御所ガ原では 言い伝えられています。
古代。中世。江戸時代。明治から終戦まで。終戦から昭和まで、平成と。分けてもう少し資料、写真など集めて行こうと思っています。
そろそろこの一年の成果のまとめをしなければ いけない時なのですが なかなか出来上がっていません。
今日も 上杉先生の 白山のご著書を読み返していながら その文中にのめり込んでしまい前に進めません。
この白山の本は、勝部先生から 頂いたもので、本書に定価は記されていません。
411ページにも及ぶ貴重な資料です。
御所ガ原のルーツを調べるには白山との係わりは 大変重要な事がらと 思いますのでまだ何回も読み返してみなければと 思っています。
白山を開いた泰澄大師が養老元年〔717〕に白山登拝。山頂に七社の神殿を創建したと記されています。
しかしそれ以前、古代人の生活は狩猟本位で、獲物は山や川、あるいは海の神様から下されたものとして崇め
、農耕時代に入っても生産は灌漑につながるものとして、やはり山、川の神々崇拝するところはなんら変わるところは、無かった、白山山麓の゜谷々にも縄文の遺跡は多く、白峰、白川両村史にはそれらに関しての調査記録が載せられていて、石器類、縄文土器が出土し、縄文時代の祭祀遺構が発見されていて、仏教の伝来が西暦538年といわれているので、遺跡の数々は 神々の古代信仰につながると書かれています。
又、日本紀略によれば、持統天皇六年〔692〕9月朝鮮から亡命してきた人たちによって、敦賀湾の東部
、東浦から今庄町の一帯で養蚕がなされ白蛾〔蚕〕を朝廷に献上したと記されていて、白山山麓にも朝鮮からの亡命者が入り込み、養蚕が営まれたととみられ。この蚕を〔おシラ様〕と崇め、白山神をも〔おシラ様〕とみなして、
養蚕製織する地方では、白山神を祭る神社があると言われています。
御所ガ原でも私の子供のころは、蚕の神様を祭る 繭玉を吊り下げて祭る行事が行われていました。
話が あちこち飛んで申し訳有りませんが、白山禅定道で丸岡の豊原寺八宿禅定道は、1宿目 竹田吉谷不動尊。2宿目 岩屋鈴巖。、3宿目 大日如来の宿。 4宿目 中ノ俣牛ケ首谷。 5宿目堂原〔堂の森〕。 6宿目太田の中山〔太田の栃の木の辺り〕。 7宿目明谷の上〔判官堂〕。 8宿目1の宿〔市ノ瀬〕。とあります。
ここで 注目したいのは、7宿目の明谷の上〔判官堂〕ですが、ここは源義経が一時期隠れ住んでいた所とも言われていて、サルバナ姫がお世話をしていたという言い伝えも御所ガ原では 言い伝えられています。
古代。中世。江戸時代。明治から終戦まで。終戦から昭和まで、平成と。分けてもう少し資料、写真など集めて行こうと思っています。