東山いこいの森の仙人

福井県勝山市にあるキャンプ場「勝山市東山いこいの森」の日々の暮らしを発信します。

日の出待ち。

2014年02月01日 17時09分11秒 | 日記























 





今朝は、霜が降りて、未だ暗い空も、快晴ではなく
 薄らと雲がかかっている状態だったので、
 ひょっとしたら、太陽柱でも拝めるのではと、
 足羽山、愛宕坂の駐車場に車を停め、
 日の出を待ちました。ここは、南南東、北北西に160度ぐらい
 開けた、日の出を遮るものが無い、ポイントです。
 眼下の町の明かりが、徐々に薄く見える様になり、
 東というより、南西の空が、赤く染まりだし、
 荒島岳の頂上南側の稜線の肩の所から、太陽が 顔を出し始めました。
 晴天なら、白山も赤く染まって見えるところなのですが
 今朝は、雲に隠れて見えませんでした。
  
  大阪の早坂さんから、メールを頂き、ありがとうございました。
 本当に、5年前、早坂さんのお伴をして、その当時
 大野にもあった法務局に行って、古くて重たい土地台帳を
 調べた事を懐かしく、思い出しました。
  あれのお蔭で、父の時の相続は、うまく出来ました。
 今回の母の分は、父の6筆よりも多く、12筆あって
 登記申請書を作るのも、大変でしたが、無事済ます事が出来ました。
  
 所在の字名の中に、「鉄加」というのが3筆ありました。
 通称「大根畑」といっている所で、焼畑をして大根を
 沢山作ったのでその様に呼ぶようになったと言われています。
 私が子供の頃には、大根畑スキー場と言って、なだらかな丘の
 ようになった広い場所でした。
  上杉先生は、「テッカ」とは、焼畑ら関係する、呼び名であると
 本に書かれていますが、ここには、大正時代には、御所ケ原炭鉱があって
 石炭を採取っしていました。
 標高500メーターから800メーターの間は、焼畑農業が最も多く
 行われたところとも、言われていますが、
 焼畑だけではなく、石炭などを使った 産業が存在していたのかも
 分かりません。
 雪深くて、何にもないところと言って、人々は、村を
 放棄してしまいましたが、少なくとも、昭和の初めぐらいまでは
 今の価値基準では、はかる事の出来ない、
 文化や、技術や産業が営まれていたのではと、考えるのは
 間違いでしょうか、御所ケ原探訪の本をまとめなければ
 いけないのですが、 思いは、あっても、何にも出来ていないことに
 忸怩たる 思いです。
 北海道に渡った、北は、豊富町の久保田さん、留萌の尾田さん、美唄の河奥さん、
 又、北海道から、本州へと戻って来られた、人たちも
 沢山おられる事と思いますが、皆様の心のよりどころを
 後世に伝え 残していける様にしなければと 思っています。
 愛宕坂まで登れば、加越国境の山並み、
 私には、取立、こつぶり、護摩堂山も確認する事が出来ます。
 先祖が、向うから、招いているので、足が向くのかも知れません。