4日遅れの新聞が届いて、NHK2020年大河ドラマが明智光秀に決まった事を知る。
光秀に所縁のある明智神社は 福井市東大味町にあります。
4.5年前にそのことを知って何回か訪れています。
新聞記事によると、光秀が5年余り妻子と共に居を構えたとされる東大味町。1573年の
信長勢による一乗谷焼き討ちや、その後の一向一揆をめぐる戦禍から村を救った2通の
安堵状が地元の西蓮寺に残っている。柴田勝家とその家臣柴田勝定が出したもので、
明智神社奉賛会の白崎俊行さん(68)は「光秀が勝家らに頼んだのだろう」と推測する。
住民は恩人の光秀を「あけっさま」と敬慕し、3件の農家が光秀の木像を守り続けた。
しかし、光秀は逆臣とされていたため公には出来ず、1886年ようやく明智神社を建て、
祭る事が出来たという。
上文殊歴史研究会会長の笠松忠夫さん(78)は「親兄弟でも殺し合う戦国時代に住民を
思った光秀の人柄を全国の人に知って欲しい」と大河ドラマへの期待を膨らませている。
と記載されていました。
私が土地の人に聞いた話では、5件の農家だったのですが、それはともあれ
明智光秀が柴田勝家に頼んで人も殺さず村をも焼かずに守った。とは信じがたい
事です。
特に府中(今の越前市)あたりでは、前田利家らによって残虐極まりない殺され方を
しているのに、信長の家臣の中でも勇猛な柴田勝家が信長の命に反してまで
よく光秀の願いを聞き入れたのか、それだけ光秀には人としての魅力があったのだろうか
光秀の立場から歴史を紐解いてくれる大河に期待したいものです。
これから 後の画像は2017年12月14日。明智神社のものです。
後の民家と比較してもその小ささが分かります。
公に出来ずに守り続けたものが伝わって来ます。
農協の移動販売車で買い物。