五所ケ原の積雪は 300センチになりました。福井市内でも 3センチほど積もりました。 昨晩は あまり眠れなかったので 8時半から 朝倉氏遺跡への雪景色を撮りに行きました。 太陽が射さないので 白黒の写真にむ゜なってしまいました 。 雪をかぶった 黄色いマンサク?の花が 色を添えてくれました。 福井新聞の締め切りが近づいているので 写真の広場用の写真を 直接持って行きました。雪が 降り続いていて 国道8号線も のろのろ運転でしたが 震災の事を 思えば ガソリンも満タンに入れて 楽々 走っている事を 申し訳なく思いました。 今日は、夕方7時から 三国でフロアークリーニングの仕事を 手伝ってと 言われているので 行きますが その前に 友人の お通夜に お参りを しなければ なりません。お焼香だけさせてもらって 帰らせていただいて 着替えないと 間に合いません。夜中の仕事を終え 明日の 葬儀には ゆっくり お別れを させて頂こうと 思っています。 2月に 誰もいない 雁ケ原のスキー場で お会いした方から 初めご本人が 描かれた水芭蕉の 絵葉書と ばかり 思っていましたが よく見ると戸隠高原、越水ケ原の水芭蕉の素描画集と 書いてありました。山が 好きでいろんな所へ 行っておられると 言われていましたが、今度 取立山の 水芭蕉を 見に行くのが 楽しみと 書いてありました。 お会い出来る日を 楽しみに しています。 勝山市長に 奥越地場産業振興センターには 勝山の地域興しで 大変活躍している グループが おられるから 一度訪ねてみなさい。いろいろ 教えてくれたり、協力してくれますよと 言われたので 行って 話しを 聞いていただいてありました。 その返事が 届きました。 きちっとまとめて 頂いてあるので 雪がとけたら 現地を 見ていただいて アドバイスをいただいて 改善すべき点など 取り組んで行きたいと 思っています。 今年は いろんな事が出来わいて 忙しくなりそうです。 しかし 第一は 東山いこいの森へ 来て頂いた方への 安心、安全です。
昨日桜の花の写真を撮って プリントをしようと ベルの中にある 店に寄った所 臨時休業の貼紙が して有りました。ご主人が 大分悪くなられたのかなと 思っていましたが 今朝の新聞の 死亡欄の所に 載っていました。日写連のクラブに入って、デジカメを するようになってから プリントを してもらっていた 店です。ご夫婦二人だけで ベルが出来た時から 入っている カメラ屋さんだった そうです。 ベルは 一年に 一日ぐらいしか休みが無く、毎日 出ておられました。 昨年の 7月ごろから 胃がおかしいと 言われ 日赤で診てもらうと癌との事、今は 腹を大きく切り開かなくても 内視鏡で 手術が出来ると 言っておられました。 私の時代と比べて 随分医学も進歩したもので それなら 安心と 思っていただけに こんなに早く 逝かれて 残念です。 店でも 冗談で 年金の話など していて 60才から もらったほうがいいか それとも 65歳からもらった方が徳かで、私は、80才までも 生きられないだろうから 60才から もらう事にすると 言うと それも そうだねと 言っておられました。 しかし 62才では 早すぎます。 おしどり夫婦で 仕事をして おられたので 写真以外にも いろいろ 話をしたりして 気心も 知れていて 東山で撮ったデーターを 休みの前の日に 家に帰るよりも先に ベルに行って プリントして もらうのが いつものパターンに なって いました。 息子さんは 後を継がないので 店は 3月一杯で 閉めてしまう事に なっていました。 そして 少しでも長く そばで ゆっくの看病したいと いうのが 奥さんの 願いでしたが それは 叶いませんでした。 自宅が 足羽川の近くで よく堤防を 散歩するとも 言っておられました。もう少しで 温かくなったら、堤防一杯に咲く 桜並木を 歩く事が 出来たでしょうに、私の ブログも 時々見てくれて いたのに、昨日 撮ってきた 桜は 彼が見たかったから 行って来てくれと テレパシーを 発信したのかも知れません。ご冥福を お祈り申しあげます。
雇用保険の件で ハローワークから 呼び出しがあったので 勝山に寄って 各印を借りて 大野へ向かいました。 用事を済ませて、各印を 返して、市役所に行って エコミュージアムの件で いろいろ 教えていただきました。 御所ケ原の歴史を まとめるに当たって 今年は、資料集めや 取材中心で 行った方というか 準備でかかってしまいそうです。 今 東北の震災や津波で ライフラインが 止まってしまって 大変だと 言っていますし 災害にあわれた方たちは 何もかも 失われて本当に お気の毒です。 私は、昭和22年生まれですが 生まれた家には、電気、ガス、水道は 有りませんでした。 煮炊きも、暖房も 大きな囲炉裏ひとつで まかなっていました。 ご飯も 釜戸で 炊くのではなく 囲炉裏に木の蓋の付いた 鉄鍋をかけて 炊きました。味噌汁も 大きな鉄鍋で 煮ました。お茶は 茶釜で、味噌や 豆腐も 自分の家で作りました。 精米も 自分の家で 水車の原始的なもので 庭に使う、獅子脅しの 大型の様なもので 水を汲む反対側に 杵が付いていて、水が 満杯になると、杵が 上がって、水が流れ出ると 今度は 杵が 落ちて 臼の中にある 玄米をかって 精米して行く、誠に スローライフな 風景でした。 それより もう少し前までは、 麻から 繊維を取って機を織り、サックリ〔作業着〕を作ったり。養蚕、葉タバコの栽培など 米、野菜以外にも 自給自足の 生活を していたと 言っています。 全てを 此処まで 逆戻りする事は 出来ませんが、こういう事を 今風に工夫して、地球温暖化対策や 災害時に 生き延びる てだてと 出来ないものかと 思います。 これは、災害の 恐ろしさを知らない 私の 無責任な 言い方でしかないかも知れませんが、 電気が止まる。水か゛出ないと 慌てふためく前に、こういう スローライフ的な 体験を しておく事は とても大切な事では ないかと 思いました。 今日、仙台の人から 私のむ携帯に 着信が 入っていました。 東山いこいの森へ 登っているときに入ったもので 圏外で 通じ無かったのですが 掛けなおしてみると、 全く 知らない人でした。 間違い電話でした。 困っておられて かけたのが 何処か 一箇所 押す所を 間違えても 違う所に かかって終う、これも なにか 物悲しい 感じがしました。 どうか 元気に 乗り切っていただきたいと 願うばかりです。
今日は、ホテルの客室のカーペットクリーニングの 手伝いに行って来ました。チェックアウトが 済んでからですから、10時過ぎからです。 毎日の 掃除も行き届いていて そんなに汚れや乱れは 有りませんが。普段は 動かさない、ベッドや机、椅子なども 移動して 隅々まで バキュームをかけ カーペットを クリーニングすると 見違える様に きれいになります。 掃除は きつい 汚い 仕事の部類に 入るのかも 知れませんが、やつただけの 結果が 見えるので 私は 好きです。 東山いこいの森でも 朝一番5時に トイレの掃除に 回りますが ウグイスや キツツキの音が 朝もやの中に 響いて それだけでも 今日一日 ハッピーな 気分になります。 トイレには 神様までいると 聞いて益々 気分良くしていますが、 地震に あわれた地域では、トイレも 大変な 問題だと 思います。 東山へかかってくる 電話では、クーラー、シャワー、部屋はいくつに分かれているか、ベットになっているかと 矢継ぎ早に 聞いて来る人もいます。 せめて キャンプで 非日常の生活。人間らしい生活を 体験して 頂きたいものです。 最後の写真は 名田庄の萱葺き屋根の民家の玄関の左側にある 馬小屋です。馬も人間も 同じ屋根の下に 住んでいました。囲炉裏に座って、馬小屋にいる 馬の様子が 分かる様になっています。屋根のつくりは 若狭と 奥越では 雪の事もあって ずいぶん違いますが、馬に対する愛情は 同じであつた事が 分かりました。
今朝、早くに 福井北インターから 北陸高速に乗り 若狭名田庄森林楽校 森んこ。京都府南丹市美山町のかやぶきの里北村。若狭神宮寺。奈良二月堂へのお水送りの寺参拝。に行って来ました。 東山いこいの森に いるだけでは 他の 施設の様子が 分からないので 勉強に行かせて 頂きました。森林楽校の校長先生は、Iターンの方だ そうですが 大変村に溶け込んで 一生懸命やって おられる様子を 話していただき、近くにある キャンプ場なども 利用して 自然体験を 村の若者や 大飯町の子供たちに、4つの楽力として 楽しみを見つける力、楽しみを作る力、楽しみに変える力、楽しみを分かち合う力。 を育てる 活動を されて いるとの事でした。これは、東山いこいの森へ来る子供たちにも 是非体験して もらいたい事なので 打ち出して 行かなければと 思いました。 それに 向かって 一番 必要なものは、雨の日でも 活動の出来る。 大きな屋根のある 施設が 欲しいのですが、そこに 行くまでには、とりあえず キャンプ場の中の 杉林の中を 活用して 行くしかないのではと 思いました。 京都の美山 かやぶきの里 北村は 38棟のかやぶき屋根があって 集落全体で 民宿やかやの里地元産品の製造 販売。お土産物、お食事処など やって おられました。小さな 集落の生き方としては 学ぶべき所が ありました。少し時間が 余ったと いう事で、帰り道 若狭神宮寺へ 参拝して来ました。ここは 奈良二月堂へ お水送りの寺として 有名な所です。 3月2日に お水送りをした お水が 今日3月13日、奈良まで たどり着いて、お水取りが 行われる日と 言うことで お目出度い日でした。参拝者は 私たちの団体だけで、御住職が お御堂の中へも 入れてくださり。いろいろ 説明をして 下さいました。 お御堂が 真東を 向いて建っていること、中に入って 柱のつなぎの所に飾りとして 普通は 龍などが 彫られているが ここでは 象と 夢を食うと 言われている バクが 彫られている。〔バクは 手振れでうまく撮れませんでした〕西暦714年43代元明天皇。続いて715年、44代元正天皇の時、勅旨寺となつて 神仏両道の 寺と なった。明治の廃仏毀釈の時にも 勅旨寺と いう事で 神仏両道が 許された珍しい寺との事。参拝には 2拍手を するとの事でした。その他にも いろいろ 神宮寺ならではの 秘蔵の話を 聞かせて頂くことが 出来ました。今日の 研修旅行は 私にとって、大変有意義なものと なりました。
地震の報道で テレビに釘付けの状態ですが、地殻の変動までは よく分からないので いろいろ言える 立場では有りません。 正に天災だと 思います。先日見た、夕方の太陽柱、そして 今日は、雪の中に咲く 桜を 見ました。 秋に咲く桜は 時々見かけますが、今朝も 福井は 雪が 降っていましたので そんな時に咲く 桜は 初めて 見ました。これら 異常気象現象は 地殻の変動にも つながっているのではと 思って しまいます。 災害が おこる前に 大自然は 何か サインを出して 知らせているのに 気づかない のは 人間なのかも 知れません。東山へ キャンプに来られた、仙台のご家族や、新潟の瀧澤さんの所は 大丈夫だったのでしょうか、東京の九段会館が 少し壊れたと ニュースで 言っていたので、荒川区の西尾久で そば屋を やっている 妹の所へ電話で聞くと、少しは揺れたが、鉢など 割れる事は なかったと 言っていたので 安心しました。 しかし 身内の無事を 喜ぶ以上に 災害にあわれた方々の 一日も早く 復興される事を お祈りします。
先日、勝山からの 帰りに 鮎街道を 車で走っていて 西の山かげに沈もうとしている まぶしい太陽が 太陽柱現象に なっていたので 車を 停めて 撮りました。 日の出の時の太陽柱は 何回か 見た事が ありますが 夕日の太陽柱は 初めて 見たので とても 珍しく 思いました。 朝に見る時は 曇り空の様な所に 昇って来るので そんなに まぶしく 有りませんが、この日は 天気も良く まぶしくて、マイナス2に 補正を してどうにか撮る事が出来ました。もともと 太陽を まともに撮るのですから 逆光は 当然ですが ファインダーを 覗いて 撮るものですから しばらく 目がクラクラしていました。 人間では つくりだす事が出来ない。大自然の出来事は 本当に 素晴らしいと 思います。
確定申告の再提出に大野の税務署まで 行って来ました。大野と勝山は 労働基準局、税務署、ハローワーク、その他にも いろいろな行政機関が 統合され 大野に 行かなければ ならなくなりました。 大野は 土地勘も 今ひとつなので たどり着くまでも 大変です。 税務署は 1時間ほどで 済みましたが ハローワークは 書類の記入などに 不備があると いう事で 勝山まで 行って 訂正してもらって もう一度 大野へ 戻ってくるとか いろいろ 有りました。雇用保険の件で 21年度にさかのぼって 申請をして、さらに 22年度も 申請をしても この2年間の分は すでに 期限が過ぎているので もらえないとの事でした。この4月から 働いて、11月まで の申請をして 許可が下りれば もらえる様ににるとの事でした。前の2年間の分は もらえなくても それだけの手続きをして おかないと 次につながっていかないとの事ですが 人間の世界の規則とは なんと不便なものかと 思いました。 そういう事を する事によって 役人の雇用が 確保され 汗水流して 実際に 働いている者には 厳しい 世の中の気がします。 そんな 規則の無い時代からある 山々の雪景色は とても きれいで 眺めていると 気が晴れます。越前兜、荒島岳、経が岳、加越国境の山々のどっしりと かまえた姿に 感謝。
葬儀は 無事終了しました。 昨晩は 焼香順を 決めるのに 苦労しました。源野家関係は スムーズに 決まって行くのですが、故人の実家関係、勤め先とか 喪主、子供の勤め先、友人関係など 香典帳を 参考に 決めて 行くのが なかなか 複雑でした。 これも 社会勉強としては いい経験になったと 思う事にしました。 火葬のあと お寺参りに 北谷までは 行けないので 勝山のお寺に いきました。福井では 大した事が無かったのですが 勝山に近づくにつれ 雪の降り方が きつくなって しばらく 楽をして いたので 余計に大変に感じました。 故人の母親は、94歳、私たちの母親は、86歳、ひとつ ひとつの 出来事が これで 納めと いう様な感じです。少しでも 健康で 長生きして もらいたいものです。
今日は、お通夜です。福井新聞のおくやみ欄の福井市の一番始めに 記載して頂いていて有りました。朝日新聞の福井欄にも 載せてもらってありました。源野家の兄弟は、東京、大阪からも 駆けつけてくれ 6人全員揃いました。私の息子たちも 長男は 東京から 昨日帰って来てくれましたし。次男も 今日、明日と 会社を 休んで 車の運転や 使い走りなど いろいろ手伝ってもらおうと 思っています。 兄弟が多くて いろいろ 助け合っていけるので、今は ありがたいと 思っています。今朝は、ユアーズホテルの 一階喫茶店の 大理石のフロアーの磨き掃除の手伝いをして 帰って来たのが 5時でした。 朝食を食べて 少し寝て、そろそろ 弟の家に行こうと 思っています。 写真を撮りにいく事が 出来ませんでした。 五所が原物語りの資料集めで 甥から 返してもらった 傷寒論国字解の本や 江戸時代の手紙の書き方の本、書状手習鏡。緩和辞典など写真に撮りました。 この分厚い 漢和辞典は 漢字の読みなど調べるのに 便利で 今でも 時々使っています。お通夜、葬儀など 終わったら とりかかって 行こうと 思っています。
同窓会の帰り道、弟から 電話が有りました。 嫁が 日赤に緊急入院をした。今のうちにに 家族を 呼び集めて欲しいと 医師に 言われたので 来て欲しい。との事でした。以前から 肝臓がわるかったのですが もう オシッコが出なくなって 体が腫れ上がっていました。息も苦しそうでしたが、意識は あり 見舞いに行った 私のことも 分かる状態でした。夕方は 帰って来て、ブログなども 書いたのですが 写真を 取り込む時、パソコンも同窓会に持って行っていて 結線を 仕直す時 ハードディスクに つなぐのを 忘れてしまい。取り込みが うまく出来ませんでした。自分では 動揺している つもりは なかったのですが やはり ハ゜ニクッテ しまって いた様です。 夜中の 2時に電話があり 駆けつけた時は 未だ うっすらと 分かる様でしたが、だんだん 脈拍がなくなっていきました。娘が 必死で呼びかけると 少し戻るのですが それも じょじょに 力弱くなっていきました。 お医者さんを 呼びにいっても 来てくれず、心電図は 3時で 停まって終いました。 お医者さんが 来られたのは、3時10分で その時刻が 死亡時刻だそうです。 テレビドラマなどでは お医者さんが 付いておられて ご臨終ですと 宣言していますが、実際夜中は 忙しいのか 分かりませんが 手当てをする事も無く 静かに家族に見守られていくのかなーと 思いました。 それでも 弟をはじめ、娘や 96歳の母親に みとられての 幸せな最後で 良かったと 思いました。 緊急入院して 23時間の 出来事でした。 以前にも 家族を集めて、復活した事があったので 今回もと いちずの望みは かけましたが 本人は 此処までよくがんばつたのだと 思います。 自分では、死ぬと いう 実感は なかなか 自覚できませんが アットいう間に 来てしまう事も分かりました。 安岡兼さんが 何時死ぬか 分からないから 集まれる時には 出来るだけ 都合をつけて 集まる様にと いつも言っていますが、あれも これももと いろいろ しなければ ならない事が 沢山あって 同窓会など 後回しに なってしまいますが、人生の 節目や 気分転換を するためにも 役立つのではと 思いました。 今日は、枕勤め、お髪ソリの儀式も 終わりました。夜中の12時近くから ユアーズホテルの フロアーの掃除の手伝いに 行って その後、明日は、お通夜になります。 喪主は 弟で、私は後のまとめを 手伝おうと 思っています。
今回は 男8名、女性8名の16名で 同窓会が 行われました。 急に病気になったり、両親や家族の誰かの具合が 悪くなつて 来れなかったりと いろいろ有りましたが。 参加してもらった人たちには 満足して もらえたのではと 思います。 写真の取り込みが 失敗して 全部取り組む事が出来ませんでした。 写真で お伝えする事が出来なくて 残念です。今回変わった事としては、亡くなった人たち 3人への 黙祷、北谷小中学校の 校歌を斉唱したり 西東幹事の 企画も人柄が出ていて 良かったと 思いました。来れなかった 人たちにも 写真など 送りますから 待っていて 下さい。五所が原の積雪は21時現在226センチです。