東山いこいの森の仙人

福井県勝山市にあるキャンプ場「勝山市東山いこいの森」の日々の暮らしを発信します。

朝倉氏遺跡にも色が付いて来ました。

2012年03月17日 16時54分57秒 | 日記
 今日は、写真のクラブシャドーの勉強会の後、越前海岸へ撮影に行く予定でしたが 
87歳の師匠が用事が出来たとの事で 行けなくなったので 急遽 朝倉氏遺跡の復元町並のところに
勤めていて 東山いこいの森にキャンプに来ていただいた方のところへ 写真を持って 行って来ました。
雨が降っていましたが、唐門の所も雪色から 緑の色が目立つ様になって来ました。
もう直ぐ春です。
国道157号線の御所ケ原の観測所での積雪は185センチにまで減っていました。
明日は勝山で「早春の集い」がありますので行ってきます。






エコ協新規チャレンジ部門報告書。

2012年03月16日 17時30分11秒 | 日記
 御所ケ原歴史探訪。の本を作成する資料集めをした 報告書の作成に 頭をいためています。
御所ケ原には、お寺も 神社もありませんし、村の歴史を書いた古文書的なものも有りません。
何も無いという事は、昔からの言い伝えられている事を まとめればいい様な ものですが
なかなかうまく行きません。


















 山の中で 炭焼きや焼畑などをしていた者は、文盲で文化的なものは 何もなかった様に思われていますが、
私の家に残っていたものだけでも、お経本だけでなく、和算の本や浄瑠璃のような物語の本もあります。















表紙が破れてしまうほど 繰り返し読んだのか、養蚕に使う用紙の余ったものを表紙に使っています。
明るいうちは、野良仕事で忙しかったでしょうに、昔の人は、偉かったなーと 思います。
 今エネルギー問題でも いろいろ大変な時代ですが、江戸時代それ以前の時代でも あの雪深い山のむ中で
生活できていた事は、今の時代昔そのままの生活に戻る事は 無理としても 歴史をふりかえり 応用していくべき事が沢山あるのではと 思います。
その為にも いろんな角度から 精査点検して行く必要があると 思われます。

朝倉氏遺跡復元町並。ツクシ。

2012年03月15日 16時10分40秒 | 日記
 





何年か振りに復元町並みに入ってみました。
町並みの中には、染物の体験場所や、鎧甲冑を付けて戦国武将気分になれるコースがあったり、
抹茶〔400円〕を頂きながら朝倉氏の歴史や文化などのビデオを見るコーナーがあったりといろいろ楽しみな
コーナーもあります。
町人の様な格好をしているのは、姪の婿さんですが、朝倉氏遺跡の宣伝用の写真にも大きく伸ばされて福井のアオッサにも貼って有りましたが、東京あたりにも ポスターが貼られているのではと 思います。
案内人として務めている婦人の方が 昨年家族で 東山いこいの森へキャンプに来られていて その時の写真を持って行こうと 出かけたのですが 車に積んで出るのを忘れて終いました。
この次行く時に忘れずに持って行こうと 思っています。
おなかが 大きくなっていたので 何時の予定ですかと お聞きしますと、4月8日との事でした。
今年の夏には、赤ちゃんも連れて キャンプに行きます。と言われたので 今から楽しみにしています。
抹茶も 朝倉氏遺跡の中で頂くと、静かな雰囲気で 美味しく感じました。
朝倉氏遺跡では 所々雪も残っていて ツクシは 出ていませんでした。
昨年写真に撮った、福井市美術館へ 様子を見に寄ると、ようやく芽が出た感じでした。







御所ガ原物語

2012年03月14日 16時46分52秒 | 日記
 御所ガ原物語の資料集めで 上杉喜寿先生のご著書白山を読み返していました。
そろそろこの一年の成果のまとめをしなければ いけない時なのですが なかなか出来上がっていません。
今日も 上杉先生の 白山のご著書を読み返していながら その文中にのめり込んでしまい前に進めません。
 この白山の本は、勝部先生から 頂いたもので、本書に定価は記されていません。
411ページにも及ぶ貴重な資料です。
御所ガ原のルーツを調べるには白山との係わりは 大変重要な事がらと 思いますのでまだ何回も読み返してみなければと 思っています。
白山を開いた泰澄大師が養老元年〔717〕に白山登拝。山頂に七社の神殿を創建したと記されています。
 しかしそれ以前、古代人の生活は狩猟本位で、獲物は山や川、あるいは海の神様から下されたものとして崇め
、農耕時代に入っても生産は灌漑につながるものとして、やはり山、川の神々崇拝するところはなんら変わるところは、無かった、白山山麓の゜谷々にも縄文の遺跡は多く、白峰、白川両村史にはそれらに関しての調査記録が載せられていて、石器類、縄文土器が出土し、縄文時代の祭祀遺構が発見されていて、仏教の伝来が西暦538年といわれているので、遺跡の数々は 神々の古代信仰につながると書かれています。
 又、日本紀略によれば、持統天皇六年〔692〕9月朝鮮から亡命してきた人たちによって、敦賀湾の東部
、東浦から今庄町の一帯で養蚕がなされ白蛾〔蚕〕を朝廷に献上したと記されていて、白山山麓にも朝鮮からの亡命者が入り込み、養蚕が営まれたととみられ。この蚕を〔おシラ様〕と崇め、白山神をも〔おシラ様〕とみなして、
養蚕製織する地方では、白山神を祭る神社があると言われています。
御所ガ原でも私の子供のころは、蚕の神様を祭る 繭玉を吊り下げて祭る行事が行われていました。
話が あちこち飛んで申し訳有りませんが、白山禅定道で丸岡の豊原寺八宿禅定道は、1宿目 竹田吉谷不動尊。2宿目 岩屋鈴巖。、3宿目 大日如来の宿。 4宿目 中ノ俣牛ケ首谷。 5宿目堂原〔堂の森〕。 6宿目太田の中山〔太田の栃の木の辺り〕。 7宿目明谷の上〔判官堂〕。 8宿目1の宿〔市ノ瀬〕。とあります。
ここで 注目したいのは、7宿目の明谷の上〔判官堂〕ですが、ここは源義経が一時期隠れ住んでいた所とも言われていて、サルバナ姫がお世話をしていたという言い伝えも御所ガ原では 言い伝えられています。
古代。中世。江戸時代。明治から終戦まで。終戦から昭和まで、平成と。分けてもう少し資料、写真など集めて行こうと思っています。






写真の整理。

2012年03月13日 17時17分03秒 | 日記
 今日は、写真の整理で一日が 済んで終いました。
先日の母の米寿祝いをそれぞれに配る分のCDを作ったり、東山いこいの森の写真の中から 絵葉書になりそうなものをCDにしたりしてみましたが、写真のクラブでは 絵葉書調の写真は作品では無いと 厳しく言われているので、見直してみても 絵葉書になりそうなものが見当たらないので 少し困っています。
絵葉書調で無い絵葉書と いう事で 買っていただければ 一番ありがたいのですが、、、、、、。
みつさんの娘さんからも コメントを頂きましたが、米寿の祝いをするのは本人がある程度健康であるだけでなく、そこに出席する人たちの都合もある事を思うと、難しい事がよく分かり、内は 仕合わせだったんだなーと 思いました。
出席出来なかったのは、一番下の妹の長男と、一番上の妹の娘の婿さんの二人だけでした。






 笑代には娘が一人います。結婚してもなかなか子供が出来ず、日赤へ5年通ってようやく 授かった娘ですが、
先日急に入籍を済ませ、3月の末から、婿さんの転勤で 北海道へ行ってしまうので、落ち着いてから 結婚式をすると言っていました。
従兄弟たちからは、お祝いのプレゼントをもらっていました。
米寿の祝いのケーキは、東京のそば屋の息子が 切り分けてくれました。















彼は、フランス料理が専門で初め銀座のきむらやパンのレストランにいたのですが、今は お台場にあるレストランまで、天気の良い時は 自転車で1時間かけて通っているとの事です。
電車で行っても、荒川の西尾久からだと 1時間かかるそうです。
集まったみんなは、健康そうで それが一番ありがたいと思いました。
私たち兄弟は、片道4キロ高低差300メートルの山道を歩いて 学校に通ったお陰で 丈夫な体に
と鍛えられた事に感謝しなければと 思っています。












米寿の祝い。

2012年03月12日 17時25分16秒 | 日記
 大正13年5月14日生まれの母は、今年誕生日が来ると88歳になります。





















元気な内に 米寿のお祝いをしようと いう事になり、10日に芦原の温泉に、子供6人その連れ合い5人、
孫11人の、曾孫4人、孫の連れ合いや、長女の姑 総勢30名が集まりました。
東京、大阪の妹たち家族も久し振りに来てくれ、母を囲んで 楽しいひと時を 過ごすことが出来ました。
本当は 桜が咲くくらいに 暖かくなってからの方がいいのですが、
4月からは、私は、仙人になって終い、土日の休みは 取れなくなるので、妹たちが 気を利かせてくれて
この時期に する事になりました。
母を中心に集まった人たちが 喜んでくれたので お祝いが出来てよかったと 思いました。
これからも 兄弟が色々助けあって 生きていかなければと あらためて 思いました。
一日でも、健康で長生きして欲しいものです。

東日本大震災一周忌追悼

2012年03月11日 15時28分13秒 | 日記
東日本大震災一周忌追悼式。
昨年の今日この時間 私はテレビを見ている時窓ガラスがビリビリ音をたてていたので 誰かが外から 叩いているのかと思っていました。
 今日は、風が強く、福井では震災の時よりも 家が揺れています。
今日のテレビでは、東日本大震災一周年追悼式典の模様が映し出されています。
テレビに合わせて 私も一分間の黙祷をさせて頂きました。
 被災に遭われた人たちのことを思うと 心が痛みます。
どうぞ 立ち直っていただきたいと 願うばかりです。

春一番。

2012年03月10日 11時47分39秒 | 日記
 春一番の風が吹いています。
先ほど 足羽川の堤防へ ツクシを探しに行って 車むを降りようと ドアーを開けると強風でドアーが いきおいよく開いてびっくりしました。





今日は昨日より下流の明里橋からサクラ通りの橋まで間を探したのですが 見つかりませんでした。
ここの堤防の間は、近くの町内の方々が手入れをされていていろいろ花も咲くのですか 今はようやく雪が消えたところで 突風にさらされながら スミレが揺れていました。






今日の朝日新聞の北陸文化。ミュージアムの風のところに 福井市自然史博物館館長の吉澤先生の書かれた記事が掲載されていました。〔写真参照〕
福井は45年の福井大空襲で丸焼けになって、その後48年に福井大震災に見舞われましたが、市民の懸命の努力によって復興を果たしたと 言われています。
 今の福井大学の第一会場と足羽山の博物館の第二会場と 当時4歳の 私も松本二丁目にあった 親戚の家に泊めてもらって、みんなと 歩いて見にいった事を覚えています。
今でも 忘れられない場面は、空襲で町が燃えている場面を再現したコーナーがあって 暗い照明の会場に 家屋が赤々と 炎を上げて燃え上がっているシーンです。
その場面だけは、子供心にとても 恐ろしく思えいまでも 覚えています。
今博物館が所蔵する標本類は創立直前の一年間で県内各地から 学校の先生方や生徒によって精力的に集められたもので全て 郷土の貴重な宝物であり、標本からは当時の福井の自然環境を知ると同時に、現在の自然をひもとくことが出来き
福井の動植物を長期保管している自然のタイムカプセルといえますとお書きになって おられます。
このブログのフォトチャンネルには、博物館の標本などの写真もありますので どうぞご覧になってください。

フィッシングポイント。

2012年03月09日 17時09分51秒 | 日記
 東山いこいの森の管理人になってからは、フィッシングポイント店へ行く事も 少なくなって来ました。
今日久し振りに行って来ました。







東山で 草刈をする時の日よけ用の帽子に、釣り用の帽子で首の後ろの方にメッシュの日よけが付いているのが
気に入っているので買いに行きました。
東山は気温は そんなに上がりませんが、首筋に太陽光線が当たると 疲れが早く出てくるので この帽子があると
助かります。
映画で 昔り日本兵が使っている日よけ付きが、現代バージョンにメッシュ状になったものです。
ついでに、偏光サングラスも買いました。
レンズの下の方に1.5の老眼鏡が付いたものです。
これも 草刈機の刃やカッターロープを取り替える時に便利そうなので少し高かったのですが 奮発しました。
二万円ちかくでしたが、溜まっていたポイントで 買う事が出来ました。
二万円分のポイントを溜めるには、200万円以上の買い物をしていた事になります。
元気な時代もあったのだと いろいろ思い出していました。
サクラマスも釣れていますし、新港では尺アジが回って来ているとの事でした。

福井市自然史博物館

2012年03月08日 15時45分40秒 | 日記











 一昨日、福井市自然博物館に 東山いこいの森の動物、植物の 名前を教えていただく為に
CDにとったものを お預けしてあったのを 頂に行って来ました。















専門のお仕事で お忙しい中、A4にプリントしていただいて、名前を 書き込んでくださって有りました。
ありがとうございました。





今年のシーズンから 東山いこいの森に来た子供たちに 色々説明してあげる時の資料にさせて頂きます。
今日も、勝山で お通夜が ありますので 今から 行って来ます。






博物館の壁に貼ってあるのが カクマ石です。

第12回前日本写真連盟福井支部展

2012年03月07日 19時20分43秒 | 日記
 3月4日から11日まで ギャラリー和〔福井市西谷町「ブランカの近く」〕朝日新聞後援で 開かれています。
今日は 受付の当番で 昼過ぎから6時まで いました。
一人が 3点づつ出していますので、一人ひとりの性格や特徴が 分かってもらえるのではと 思います。
どうぞ、お近くの人は 見に行ってください。
昼からは14人来られただけでしたので フォトコンの3月号や平泉博士の日本の悲劇と理想をゆっくり読ませて
頂く事が出来ました。
昨日のNHKのニュースで堤防に出て来た ツクシの映像が映っていたので 午前中に 見にいったのですが
場所が違っていたのか 見つける事が出来ませんでした。
近いうちに 写真に撮りたいと 思っています。
 

自動車保険の更新

2012年03月06日 17時17分50秒 | 日記
 今 乗っているレガシーは 平成7年に買ったので、17年になります。
この車は買って、1カ月もたたないで 信号待ちをしている時 後ろから ランクルに追突されて終いました。
バックミラーで 迫って来るランクルが分かったので 必死で ブレーキを踏んでいました。
もう少しで、横断歩道を歩いている人に接触するところでした。
 今 思い出しても ぞっとします。
そんな 車を いつまでも メンテしてくれるモータースさんのお陰で 今まで 使用できている事が 
感謝です。
燃費も悪くなって来たので 入れ替え時なのかも知れませんが、
エンジンが丈夫なので まだまだ この車を手放す気には なれません。
東山いこいの森へ登って行く時も4WDなので 安心です。
これからも 大事に使います。

大野にいる同級生と。

2012年03月05日 16時18分26秒 | 日記
 同窓会の出欠の返事の中で、病気のため出席出来ないと書いて来たのが有って、
元気を出すように励まそうか、という事になって、昨日夕方から 勝山に行って来ました。
病気だと言っている彼は、大野から 出て来てもらいました。






肺の癌だといわれ、昨年手術したとのこと、3カ月毎に検査をしなければいけないと 言っていましたが
一番の薬は 気持ちの持ち様だから ストレスをためない様に 気楽に好きな事をすればと、
ちょつと 無責任な励ましをして 4人で夕飯を食べながらいろいろ 話をしました。
会った時は、少し深刻な様子だった彼も、段々と心を開いて くれました。
おせっかいな様でしたが、逢ってみて 良かったなと、福井への帰りの車の中でも
安岡兼雄さんと話し合う事が 出来ました。
同窓会という 一つのイベントをして行く事で、いろんなドラマと 云うと 少し大げさですが、
物語が生まれて それが 人生の肥やしになって行くのでは と 感じる事が出来ます。


琵琶湖毎日マラソン

2012年03月04日 15時33分50秒 | 日記
 午前中 ある集会のカメラマンをしていて 帰ってくると、琵琶湖毎日マラソンが 始まる所でした。
琵琶湖毎日マラソンの初めの頃は、琵琶湖大橋を渡っていた様に記憶しているのですが 
昔の事なので 間違っているのかも知れません。
確か アベベ選手も 走っていた様に思います。
滋賀県時代、瀬田工の夜間に通っていた時は、冬に 校内駅伝大会があって、クラスの選手に選ばれて、
瀬田工から石山寺までの往復が 一人のコースだったので、大会前には、授業が終わった9時過ぎから 石山寺まで
走らさせられました。








































会社の寮に帰ると、12時を回ってしまっていて、大変辛かった事を 覚えていますが、あれも 今思うと、若かったから出来た事だと、大変懐かしく 思い出され、石山寺や 南郷など瀬田川沿いの沿道が出て来ると
思わず テレビを見いって 終いますがね今日は 疲れていて 途中で寝て終い、全部は 見れませんでした。
2時間10分を切る スピードは 本当に凄いと 思います。
 夕方 勝山で 火に会う約束があるので 安岡兼雄さんと これから勝山へ向井います。

弟の嫁の一周忌法要。

2012年03月03日 18時54分12秒 | 日記
今日は、弟の嫁の一周忌の法要が勝山のお寺でありました。
弟が初めに お寺さんと 約束したのは2月の24日でした。
その日は、お寺の前の道路に 上後地区の左義長櫓が建ってしまうので 車でお寺まで 入る事は出来ないし、
浮かれた 太鼓や三味線の音が聞こえる所で、お経さんを頂いても、ダメだから、一週間ずらしてもらう様に 
お寺さんに お願いする様に言って、今日になりました。
お陰で、天気も良く、雪も一週間前よりさらに 消えていて、越前海岸から来る嫁の親戚の人たちも、楽々来れたと喜んでいました。
1年経って 弟も少し元気を取り戻して来た様に思います。
何かあれば、源野家の兄弟で お互いに助けあって行こうと 思っています。
来週の土曜日には、母の米寿の祝いを 子供6人、その連れ合い、孫、曾孫合わせて 30名で しようと 思っています。
母は、一週間に3回、ディケァセンターにお世話になっているお陰で、元気にしていてくれます。
東山いこいの森へ行く様になると、なかなか会う事も出来ないので、今の内に 少しでも面倒をみさせて 頂こうと 思っています。