今日は、福井市内は20度を超える暑さで、
車の窓を開けて、走りましたが、
黄砂がひどくて、ガソリンスタンドには、洗車の順番待ちが
ずらりと 並んでいました。
ハイオク、48リッター入れて、狐川の堤防を通って
家に帰りました。
東下野、西下野の田圃は、麦の青い芽が大分伸びて来ました。
サクラ並木のサクラの小枝も色が分かる様になって来ました。
以前読んだ本の中に 今時のサクラの枝を煮詰めれば
サクラ色の染料が取れると、書いてあった様におもいます。
河川敷の細かく区切られた 畑では、それぞれに、
鍬打つ人、小型の耕運機で土起こしをしている人など
のどかな風景です。
河川敷ですから、柳なども生えていますが、その枝も
赤や黄土色に紅葉した様に見えます。
村の中の農家の庭先も 自家製の畑がきれいに
畝を作られ、野菜が植えられています。
昔は、農家の庭では、農作物の乾燥用にムシロを敷いたり、
脱穀などをするのに、広い場所が必要だったとの事でした。
今は、庭木を植えて庭園にしたり、余った所を畑にしている様です。
先日、北海道天塩豊富町の久保田さんの手紙の中にもち米の
代わりに「イナキビ」を使ったと書かれてありました。
炊飯に利用出来るのは、ヒエ、アワ、イナキビである。
単位面積当たりの収量では、ヒエが優れ、アワはヒエの約半分強。
イナキビは、「七倉建ったらキビ作れ」七つ倉が建つほどに裕福になったら
キビを作れという俚言のように、単位面積当たりの収量は極端に劣ってた、
作付けも敬遠されがちであるが、炊飯雑穀に対する、評価度や希求度は、
イナキビ、アワ、ヒエの順。
ハレの日の炊飯の順位にしても、イナキビを混ぜたヒエ飯は、
米を混ぜたヒエ飯と同じぐらいに評価され、次にアワを入れたヒエ飯、
ヒエだけのヒエ飯の順で格付けされていたとの事です。
北海道では、気候的にもイナキビが適していたのか
アイヌの食文化にもイナキビが登場する事を思うと、
広大な農地でも単収量の悪いイナキビを作って、
食していたものと思われます。北海道に渡った先人たちにとっては
イナキビは、ご馳走であったのではと思います。
それでも、子供たちには、少しでも米を食べさせようと努力していたので
子供たちにとっては、もち米の餅と、イナキビの餅では味が違ったのでしょう。
私は、今 小林先生からお借りした元は、「シコクヒエ」を勉強
する為の本でしたが、米作農耕文化以前の農耕文化、焼畑農耕の大変さから
自然の摂理に畏敬の念を持って、努力、工夫を重ねて生きて来た、
山の民の 素晴らしさに感動しています。
私は、民族学や植物、農耕文化の専門家では 有りませんので、
新しい、本との出合いの度に、自分が今まで思っていた事が
簡単にひっくり変えさせられてしまいます。
ですから、一週間前に書いた事と、全く反対の説になってしまって
いる事も多々あります。が 至らぬ、東山の仙人の戯言と
お聞き逃しいただければと 思います。