東山いこいの森の仙人

福井県勝山市にあるキャンプ場「勝山市東山いこいの森」の日々の暮らしを発信します。

庭の掃除

2013年03月15日 16時51分55秒 | 日記




























今朝は、放射冷却現象で 福井市内でもマイナス2度でした。
先生のお宅は、庭師が2.3日前に 雪吊りを外したので
庭の落ち葉の掃除に、8時前に家を出て
行きました。
10時お茶を 頂きに 座敷の縁側に腰掛けると、
遠くで ウグイスの鳴き声が 聞こえ始めました。
「負けてられん」私も、ウグイス語?で対応しました。
すると、庭の一番高い松のてっぺんに飛んで来て
なき始めました。
間隔をあけずに、ウグイスの鳴き声が 終わるか、終わらない内に
こちらが、なき始めると、少し低い木まで降りて来て、
音の出ている所を確かめています。
さらに、鳴き続けると、地面にまで 降りて、
こちらを見ました、正体が バレテしまつたのか、
縄張り争いの相手で無い事が分かったのか、
飛んで行ってしまいました。
写真を撮れるぐらいの近さでしたが、
庭掃除優先ですので、其の時点では、写真は
撮れませんでした。
東山では、ウグイスは、7月の初めぐらいまで
鳴いていますが、姿を見た事は有りません。
山茶花は散り始め、椿や紅梅のツボミは、随分大きくなっていました。

芦屋の野上様、メールありがとうございました。
 早速、縄文倶楽部さんの、ブログ拝見させて
戴きました。
鳥のきれいな写真や 名前がよく分かって
素晴らしいです。
これからは、時々 拝見させて頂き勉強させて頂きます。

山茶花

2013年03月14日 14時31分49秒 | 日記










若杉の周りは、公園も、生垣、家々の庭にも
山茶花が 咲き誇っています。
若杉公園は、一応子供の遊具も設置されていますが、
子供や母親は誰も居ません。















子供の遊具の施設よりも、
ゲートボール場の方が広くて
今日は風が吹いていて寒く感じるのですが
元気の良いお年寄りたちが、数人スティクを持って
集まっています。健康のためには、
お友達とうしで、ゲートボールでも
するのが、一番いいのかも知れません。
葵の紋所が付いたお寺は、
浄土真宗から、浄土宗に変わった
泉通寺さんです。
我家のシャクヤクの芽も伸びて来ました。

日写連福井支部展の受付当番二回目。

2013年03月13日 16時45分39秒 | 日記
11日に引き続き、日写連福井支部展の受付 当番に
行って来ました。
朝8時半に展示場に着いた時には曇りでたが
後期の人と交代した午後1時半には
天気予報のとおり 雨が降り出して来ました。
受付では、あまり来訪者もいなかったので、
小林先生にお借りした、
白山麓の焼畑農耕のご本を、じっくりと100ページ余り
読むことが出来ました。
晴耕雨読ではありませんが、久し振りのんびりとした
時間が持てて、嬉しく思いました。
家に帰ってからは、遅めの昼食を食べて、
北海道、留萌市の尾田さんあてへの手紙を書いて
先ほど、コンビニへ持って行き、メール便で
送らせて頂きました
B4の用紙20枚入りでも、80円で送れるので
助かります。
今NHK、BSプレミアムで巨大カボチャをくりぬいて、ボートにした
レースが 行われているのを見ていて
子供の頃、御所ガ原で 野菜などの種を入れる
容器に 「フクベ」と呼ばれている物がありました。
大きさは、バスケットボールよりももう少し大きいぐらいのもので、
中がくりぬかれていて、外側はひょうたんの様に硬いものでした。
中身を食べたのか、何に使ったのかは分かりませんが
湿気を防いで、保存する容器としては、大変重宝していたものの様
であった事を思い出しました。





























































白山。白山。白山。

2013年03月12日 18時56分32秒 | 日記
 今日は、平泉荘へ行って来ました。






3月24日で営業を止めるので、色々な備品を各施設に配分するという事で
担当の方に確認に行かせて頂きました。
他の施設の方たちも来ていました。
東山いこいの森には、布団のセットが20程分けて頂ける
との事でした。
平泉荘がなくなる事は、寂しい事です。
天気が良かったので、いろんな所から白山が眺められました。
勝山へ入るまでの堀名の田圃からの白山。
帰り道、小舟渡の橋からの白山。






福井に帰って、花月橋と、明里橋の間の堤防から、
沢山白山を眺める事が出来ました。
昨日風が吹いていて、黄砂が降って来なかったからだと思います。

谷にも行って来ましたが、谷は未だ沢山雪が残っています。
お寺の上にあった家を取り壊して、後片付けをしていました。
一軒一軒と家が無くなって行くのも 寂しいものです。






























東日本大震災二周年追悼式

2013年03月11日 16時24分48秒 | 日記

















































                    

















午後2時46分。NHKのテレビの中継に合わせて、
黙祷をさせて 戴きました。
勝山左義長では、浪江町の人たちが、B級グルメの「なみえやきそば」を
テントで作って、左義長見物に来られた皆さんに
販売しておられました。
ご自分の家のあった所は未だ
立ち入り禁止とか、
一日も早い 復興を お願いしたいものです。
テレビでは、今年も、天皇、皇后両陛下が、
おそろいで参列され、お言葉を述べられました。
東日本の人たちにとっては、
お姿から、大きな希望を戴けたこととおもいます。
福井は、冷たい風の吹く一日でした。

わがまち魅力醸成事業報告の資料作り。

2013年03月10日 17時23分26秒 | 日記
 平成24年度わがまち魅力醸成事業報告会の資料作りで
今一度、小林先生にお借りした、ご本を読み返しています。
シコクビエは、日本の四国では、栽培事例が少なく、
「シコクビエ」という呼称を使わず、穂の形から、ヤツマタビエ、マタビエ、ヤツマタ、
と呼ばれている。インターネット上では、「四石稗」と表記してあるものもあります。
橘氏が「白山麓の焼畑農耕」の本を書かれた時には、
未だそこまでは、確定していなかった様ですが、
橘氏は、本の中で、白山麓白峰では、豊年時には反当たり、
四石に達したと付記しておくと書かれていますので、
其の後の本には、四石稗と表記される様になったのかも知れません。
白山麓では、穂の形がカモの足に似ている事から
カモアシ、カマシ、と言われる事が多く、
北谷の御所ガ原では、天保14年(1833)越前藩士、高田保浄の紀行文、
「続白山紀行」に挿絵入りで「此辺より水田に見なれさる穀あり、







土人のいふ、又兵衛草とて種を取、団子に製し、食事とする由、
保浄云、又稗成るへし、この草自然生も有之、但たけ長からす、図下に出す。
と、あったそうです。
昨年の夏頃から、谷の村の人たちが、このマタベを再び栽培したのか
家にあった物を粉に挽いて、子供の頃に親にしてもらった様に
砂糖を混ぜて熱湯をかけて練って食べてみたら、美味しかったので
お面様祭りのオバの味として 食べてもらおうと考え
当日、紙コップに少量ですが、皆さんに試食して戴きました。
マタベは、稲、稗、粟の様に殻が有りません。
普通殻のある物は粉に挽くと量が減りますが
マタベは何故か、量が増える(一石が一石二升)になると書かれてあります。
他の穀物の粉と混ぜて使うと、粘り気やスベスベ感が出て美味しさが増し
色も赤みをおびて引き立つので 重宝がられたとも書いて有りました。
粉挽きには、手で回す石臼も使われましたが、小倉長良(おさなが)先生の書かれた、
「打波川流域の出作り制度とあゆみ」の中に御所ガ原では「ガッタリ」
と言っていたのは、「カラウス」で有った事も分かりました。
御所ガ原は、家々が離れていたり、近くても水口が違っていたので、
このカラウスは、殆んどの家に有りました。
打波川流域の出作りでは、カラウス小屋のある家は 
少なかった様で、粟など精白するには、 借りたり、家族労働で
夜なべ仕事か、雨の日にホガチ臼と杵で搗き、唐箕(とうみ)に
かけて精白したと書かれてあります。
焼畑農耕は エコそのものですから、
今の感覚で考えると 大変な労力です。
昔の人々の暮らしと知恵に敬意を表し、
私たちが忘れている生き方を考えて行ければと 思っています。

焼畑農耕から河川敷農耕?

2013年03月09日 16時13分54秒 | 日記
 今日は、福井市内は20度を超える暑さで、
車の窓を開けて、走りましたが、
黄砂がひどくて、ガソリンスタンドには、洗車の順番待ちが
ずらりと 並んでいました。
ハイオク、48リッター入れて、狐川の堤防を通って
家に帰りました。
東下野、西下野の田圃は、麦の青い芽が大分伸びて来ました。
サクラ並木のサクラの小枝も色が分かる様になって来ました。
以前読んだ本の中に 今時のサクラの枝を煮詰めれば
サクラ色の染料が取れると、書いてあった様におもいます。
河川敷の細かく区切られた 畑では、それぞれに、
鍬打つ人、小型の耕運機で土起こしをしている人など
のどかな風景です。




          





河川敷ですから、柳なども生えていますが、その枝も
赤や黄土色に紅葉した様に見えます。
村の中の農家の庭先も 自家製の畑がきれいに
畝を作られ、野菜が植えられています。
昔は、農家の庭では、農作物の乾燥用にムシロを敷いたり、
脱穀などをするのに、広い場所が必要だったとの事でした。
        







今は、庭木を植えて庭園にしたり、余った所を畑にしている様です。
先日、北海道天塩豊富町の久保田さんの手紙の中にもち米の
代わりに「イナキビ」を使ったと書かれてありました。
炊飯に利用出来るのは、ヒエ、アワ、イナキビである。
単位面積当たりの収量では、ヒエが優れ、アワはヒエの約半分強。
イナキビは、「七倉建ったらキビ作れ」七つ倉が建つほどに裕福になったら
キビを作れという俚言のように、単位面積当たりの収量は極端に劣ってた、
作付けも敬遠されがちであるが、炊飯雑穀に対する、評価度や希求度は、
イナキビ、アワ、ヒエの順。
ハレの日の炊飯の順位にしても、イナキビを混ぜたヒエ飯は、
米を混ぜたヒエ飯と同じぐらいに評価され、次にアワを入れたヒエ飯、
ヒエだけのヒエ飯の順で格付けされていたとの事です。
北海道では、気候的にもイナキビが適していたのか
アイヌの食文化にもイナキビが登場する事を思うと、
広大な農地でも単収量の悪いイナキビを作って、
食していたものと思われます。北海道に渡った先人たちにとっては
イナキビは、ご馳走であったのではと思います。
それでも、子供たちには、少しでも米を食べさせようと努力していたので
子供たちにとっては、もち米の餅と、イナキビの餅では味が違ったのでしょう。
私は、今 小林先生からお借りした元は、「シコクヒエ」を勉強
する為の本でしたが、米作農耕文化以前の農耕文化、焼畑農耕の大変さから
自然の摂理に畏敬の念を持って、努力、工夫を重ねて生きて来た、
山の民の 素晴らしさに感動しています。
私は、民族学や植物、農耕文化の専門家では 有りませんので、
新しい、本との出合いの度に、自分が今まで思っていた事が
簡単にひっくり変えさせられてしまいます。
ですから、一週間前に書いた事と、全く反対の説になってしまって
いる事も多々あります。が 至らぬ、東山の仙人の戯言と
お聞き逃しいただければと 思います。



日写連福井支部展展示作業其の後勝山へ。

2013年03月08日 23時19分54秒 | 日記
福井支部展の展示作業を終えて、勝山へ向かいました。
御所ガ原の思い出を書いていただいた。
小林よしゑさんの所。
北海道の久保田幸悦さんが
源野源三郎さんの奥さんは、小林家の人と
書いてあったので、小林岩松さんの所へ聞きに行けば
分かるのではと、行って見ましたが、残念むながら分かりませんでした。
皆さんに書いて戴いた資料などお見せして、
思い出の原稿をお願いして来ました。
















   



             






少し、遅くなりましたが、散髪にも行かせて戴きました。
下の子が立って歩ける様になっているのに
驚きました。
散髪屋さんは、親から子へと、技術を伝えて行く
仕事なので、継承者のお孫さんに、
おじいちゃんはニコニコです。
特に、散髪屋さんの、技能大会で数々の賞を
取っている、一家だけに、楽しみです。
新しく購入した、椅子が光っていました。

イナキビ。

2013年03月07日 14時19分53秒 | 日記
 昨日、北海道天塩郡豊富町の久保田さんから 届いた手紙で。
昔の思い出として、久保田家と同じ年に入植した、
源野家(久保田家手紙の主の祖母は、源野源三郎さんの姉、姉と弟)が、
隣と言っても、200メーター離れていたとの事ですが、
そこへは、よく遊びに行っていて、小さい頃正月に
行った時の事、草餅を出してくれた。
もち米に草を混ぜた。本物の草餅だったそうです。
当時は、もち米など買える農家は少なく、
自家生産のイナキビの粉に草を入れたのを
草餅と 言っていたそうで、
大変貴重な物で あったと 書かれて有りました。
今、白山麓の焼畑農耕を色々本で勉強していますが
五穀の中にも、イナキビの名は 見当たらない、
(未だ、勉強不足の事もありますが)ので、インターネットで
調べてみると、一番先に北海道やアイヌの事が出て来ました。
源野源三郎家は、昨日の手紙によりますと、叔母様は、始末の良い
方で、何時も家の内外は綺麗にしておりました。子供たちも
何時も綺麗な着物を着ており、土地も、水害の無い良い土地でありました。
暮らしもよく、働く事も一生懸命でであり、一番裕福であったと
思います。と書かれてありました。
入植された人たちは、みなそれぞれ一生懸命働いた事と思いますが、
子供の数や、働き手の健康の事など、色々条件が加わり、
何年か経過すれば、差が生じて来たものと思われます。
それでも、親戚同し、同郷同し、力を合わせて
開拓されて来られたご苦労は 大変だったろうと思います。









      






今日は、近くの「めんぼうつるつる」で、おろしそばが

半額デーと言う事で、昼妻と二人で食べに行って来ました。
皿に入ったソバが二枚。大根おろしは、別の壺に入っています。
辛味も効いていて丁度いい塩梅です。
ソバ湯も黙っていても付いてきます。
削りたてのカツオブシの匂いもいいです。
これが、300円では、申し訳がありません。
ソバ団子の黒蜜と、キナコかけが5個で
300円のを二つ、お持ち帰りでお願いしました。
今ね勉強している。シコクビエ、そしてソバ、イナキビも
粉に挽いて、団子状にして食するのが元ではと思います。
今は、砂糖を加えたりして、素材そのものの味が
分かりにくくなっていますし、
焼畑をして、何年か周期で土地を休ませる程の広大な土地も
効率の悪い労力のかかる、仕事の出来る人も、居ません。
現実に、そういう事をしていては暮らして行けませんが、
体験をして、先人の知恵や、ご苦労に学ぶべき事が
あると思います。
そして、今の時代にそれらを生かしていけたらと。







ツクシに会いに。

2013年03月06日 18時23分28秒 | 日記
 














カルチャーパークと言う名前では、
横文字に弱い 私には、捜すのに一苦労です。
道を挟んで、反対側の山手の方が、おさごえ民家園、でした。
昔、福井県立工業高校があった所だと思います。
ツクシは、横文字で何と言うのか 知りませんが
名前をなんと付けようと、そんなことには
一向にお構いなしに、雪で押し付けられた
地面や落ち葉を持ち上げてすくすく出て来る、
自然の生命力に 拍手です。
 御所ガ原の思い出を書いて下さった人の
原稿をワードで清書しました。
お一人、お一人のご苦労、思い出が
文字に詰まっていて、感動しながら、
時には、涙ぐみながら 書いています。
北海道、天塩郡豊富町から第2弾が届きました。
びっしり書いて来てくださいました。
889歳のお歳なのに、本当にお元気です。
団塊の世代。それも胃が全摘の私の
方が早く逝きそうです。
東山、ブログ、御所ガ原物語、写真が 薬代わりです。










感謝。






















   



   

歯医者さん、ツクシ探し。

2013年03月05日 13時53分32秒 | 日記
 東山へ登る前の準備として、歯医者さんへ行って
前歯のぐらぐらを治して頂きました。
城東の先生のお宅へ行って
雪かき用のママサンダンプを持って帰って来ました。
スコップ類は もう少し、置いておきます。
福井は雪が少なくて、助かりました。
庭木の雪吊りももう外してもいいと思うのですが
庭師の人の迷惑になると いけないので
そのままにしています。
今朝の福井新聞に、月見5丁目のふくいカルチャーパークで
ツクシが顔を出したと出ていたので、
福井市美術館にも出る所が在るので
見に行って来ましたが未だでした。
三寒四温未だ喜ぶには早いと思われます。



          








          

            

東山いこいの森、白峰、恐竜博物館、平泉寺。

2013年03月04日 21時40分25秒 | 日記
今朝も冷え込みました。
谷の山を愛する会の代表が、
東山いこいの森の25年度要望事項の確認に
谷まで 来る様にという事で 出かけました。
堀名の田んぼは氷が張っていました。
龍谷で、越前兜、荒島岳、加越国境越えの白山。










どれも くっきりと見る事が出来ました。
栃神谷の水車にも氷が張り付いていました。













北六呂師の気温表示版はマイナス4℃でした。
代表の別荘は、昔の土蔵なのですがさすがにマイナス5度
の世界は寒いです。
東山いこいの森の管理棟へ登る前に、
白峰に行って腹ごしらえをしようという事になり
ソバセットを注文しました。



堅トウフやイワナの甘露煮など白峰ならでわの料理でした。
 東山いこいの森へは、取立山登山の人たちのお陰で
いい道が付いています。









管理棟の中は0度でしたが、雪は3メートルには届かず、












何時もの年に比べれば少ないです。
恐竜博物館へ行って年間パスポートの更新をしました。





















水芭蕉温泉センターの割引特典は削除されていました。
ガチャピンは恐竜が進化したもの?のコーナーては、学術的に証明されていました。
常設展示場でも、恐竜の組み立て現場が見られますよ。












市役所の電算室で゜PCの取り扱いを御指導して頂き、
夕日にかすかに照らされた平泉で写真を撮って、
平泉先生にお会いをして 帰って来ました。
ハードな一日でした。






春がやって来ました。

2013年03月03日 16時06分35秒 | 日記
春がやって来ました。
御所ガ原の雪みちネットの積雪は248センチです。
今朝は午前9時までは、雪がチラついていましたが、
その後は、日も射し 良い天気になりました。
福井市内の小学校の校庭では、少年野球の練習試合が始まっています。
6年生が抜けた 新チームですので
全体に背は低いのですが、皆大きな声を出して、
はつらつと プレーしています。
















 内の子供たちが お世話になった
社北小学校のグランドでは、社北小チームと、三国の小学校のチームが
対戦をしていて、反対側では、
大野の小学校が練習をしていました。
3チームによる練習試合をやっている様子でした。
社北の部長は、学校の近くの新堀北の人で、
内の子供たちが お世話になっていた時も部長を
されて いましたので、30年近く部長をしておられるのではと思います。
最近の社北は強いそうで、応援のしがいがありそうですが
内の子供たちの時代は、戦うたび負けの連続の
チームでしたが、子供たちも父兄も仲が良くて
楽しかった思い出ばかりが残っています。
子供たちを連れて、東山にキャンプに来て下さいと
部長にお願いをしておきました。
運動公園のサブグランドでは 少年たちが、
公園内の道路では、親子連れがボールで
遊んでいました。
春うらら大変いい一日でした。












全日写連福井県本部写真教室

2013年03月02日 17時30分54秒 | 日記
朝少し早かったのですが、8時15分にユー・アイ福井へ。
駐車場に車を停めると、向こうの芝生の
所にスズメが餌を啄ばんでいましたが、
そこへカラスがやって来ると、スズメは
何処かへ逃げて行って終いました。






















カラスは、アジサイの枯れ枝を銜えて
松の枝で体制を整えて、
飛び去って行きました。
春に向けて、巣作りをする為でしょうか、
巣の材料を銜える姿を初めて見る事が出来ました。
肝心の写真教室は、机を並べ替えて、
写真の受付の役をしました。
26名で171枚ありました。
16名が入選まで 入るのですが
残念ながら私の写真は、1枚も入っていませんでした。
2次審通過が3点あったので まーいいかと
思う事にしました。
次ぎ頑張ります。