北海道の久保田家、源野家は明治43年ごろに御所ガ原を出て
天塩へと渡って、苦労されたとの事です。
久保田幸悦さんは89歳で、営林署の顧問をしておられる程
元気なご様子ですが、余りご無理なさらないで、少しでも
長生きして頂きたいものです。
母のアルバムの中に 北海道の源野源三郎ご一家の
写真がありました。
源三郎氏69歳と書いて有りますので
昭和29年ごろに撮った写真と思われます。
幸悦氏の手紙の中にも、源野家は何時もきれいにしてあったと
書いて有りましたが、失礼ですが、開拓の百姓一家とは
思えない家族写真です。一番右の女の子は8歳と
書いてあるので 同年ぐらいだと思います。
源三郎氏は、子供に学問をさせたので、旭川に出て
学校の先生になって、農場はやめたと幸悦氏は
言っておられました。
数が少ない、源野姓ですので、逢ってみたいものです。、
天塩へと渡って、苦労されたとの事です。
久保田幸悦さんは89歳で、営林署の顧問をしておられる程
元気なご様子ですが、余りご無理なさらないで、少しでも
長生きして頂きたいものです。
母のアルバムの中に 北海道の源野源三郎ご一家の
写真がありました。
源三郎氏69歳と書いて有りますので
昭和29年ごろに撮った写真と思われます。
幸悦氏の手紙の中にも、源野家は何時もきれいにしてあったと
書いて有りましたが、失礼ですが、開拓の百姓一家とは
思えない家族写真です。一番右の女の子は8歳と
書いてあるので 同年ぐらいだと思います。
源三郎氏は、子供に学問をさせたので、旭川に出て
学校の先生になって、農場はやめたと幸悦氏は
言っておられました。
数が少ない、源野姓ですので、逢ってみたいものです。、