ヒカラビ一家の花日記

山の上に住む花農家から 魚沼発のあれこれを

楢枯れ

2008年03月15日 | 観察
村の山際に在る、湧水池を見下ろして立つ楢の巨木が枯れてからもう何年も経つ。
2本の木が絡みついた巨木は町の銘木に指定されていたほどのものだったが。

数年前の暑い夏に山の楢の木がいっせいに葉を落とした。
そのせいではなく、楢枯れは虫が運ぶ病気だそうだ。
どんどん伝染してもう4本の大木が枯れた。
         
たいした山を背負っているわけでもないのに山の上のこの村には水が湧き、土器や石器が出てくるところから見ると、きっと太古の昔からここのは人が住んでいたのだろう。

この湧水池、昔は今の半分以下の大きさだったが昭和40年代の土地改良事業のときに拡張されている。
枯れることの無いこの池は昔から村中の田の用水でありまた防火用水でもあった。
池の上の雑木林は「水林」と呼ばれる誰も手を付けない共有林だ。

なぜこの山奥の、山の上の集落に「舟」の字がつくのか?
昔から謎の中の謎なのだ????

一説によると船底のような地形と言う人がいるが、決め手の説は無い。
航空写真を見れば確かにとんがった船の舳先のようにも見えるが、大昔の人が上空から見れるはずも無い。

このたびの畑地帯総合整備事業では我家の裏、水林ちかくで地質、水源調査のために100mほどの深さの試掘を行った。。

昭和61年の調査図を見ると、地下数十mの所には地表とは違う地形の波があり、大石から山ノ下を貫いてこの水林、湧水池の下を通り魚野地の上島に抜ける「鍛冶屋敷向斜」なる地下水位の高い帯があることがわかった。

田川入り沿いには逆に地中の山脈、水のあまり無い「田河川背斜」と言う帯がある。
252沿いでは消雪パイプの井戸掘りがいたちごっこになるわけだ。
対岸の田河平にも「下島向斜」と言う帯があって、水脈が高い。
どうりで、諏訪峠の近くには昔の水田跡もあるし、おり渡り沢にはダムもある。
山の上を掘ったほうが水脈に当たるとは、皮肉なものだ。

太古の昔からの水の道が集落を作り、人の暮らしを支えてきた。
だが、「舟」の字の謎にはたどり着かない。

太古の昔からあるような楢の巨木が次々枯れていく。
         
茸が木を分解し、森はまた再生するが、不安は膨らむばかりだ。
コメント (6)
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