ヒカラビ一家の花日記

山の上に住む花農家から 魚沼発のあれこれを

山に生きること

2009年11月08日 | 観察

山火事のような朝日の日曜日。
最後のカサブランカとベラドンナが盛りです。
花は奥方と愛ちゃんに任せて、明日からの掘り取り準備であちこちへ。

ウルイの畑に行く途中の広神ダム。
ほぼ完成したけど、えっこんだけ? と思うほどダムの底は小さい。

ここは少し前までは滝の又に行く交通の難所で、冬は凍ったガケ沿いの道を走らなければいけなかったところだ。

ここだけが沢が狭まった場所で、ここを抜けると外山集落、川を挟んで滝の又。
さらにその上流は山古志の種芋原地区。
福山川上流には福山地区と、抱えている流域面積は途方もなく広く、いったん大雨が降ればその水はすべてここに集まってくるわけだ。
実際、和田川が危なかったことは何度もある。

広神ダムの必要性は結構高いのではないだろうか。

標高260mの集落から、さらにガケを切り崩して道が山を登る。
ここは平成16年の中越地震で大きく崩れ、復旧工事で道も新しくなり、かなり上ったところに5~6枚の田んぼがあり、さらに標高400mのところに昔の田を地震の土砂で埋め立てた畑が1枚だけある。
この畑に植えてあるウルイを何とか物にしてくれないか、と声をかけられて春から管理しているのだ。


夏から来る機会がめっきり減り、あたりはやっぱり草ぼうぼうになったが、標高が高くて涼しいせいか、思ったよりも大きな株に育っていた。
先日は雪が20cmも降ったそうだがすっかり消え、葉は枯れてべちゃべちゃになっていた。

葉は切りづらそうだが根はしっかり張っている。
土はまるで砂。落ちは良さそうだが、地震にはさぞや崩れただろうなぁと思われる土だ。

ほかにもこの辺の山には無数の道路が切られており、初めて来た頃はなんて無駄遣いなんだろうかと思ったものだが、何度か通ううちに少し違うものに思えてきたのである。

さらに砂利道(実は剣道)を上ると、標高450mの頂上で道は二手に分かれ、遠くには山古志野の楢木地区が見える。

頂上にはなぜか植林の記念碑と小さな小屋が。

中にはもう削れてよくわからなくなっているが2体が寄り添っているような石仏が彫ってある。

縦横無尽に山々を走る道。一見無駄のようにも見えるが、耕地の少ないこの地では、わずかな土地でも耕し、少しでも水が湧けばそこに畦をつき、稲を育て、山に通い、山の恵みを戴き、そして山を祀って生きてきたのだろうなぁ。

地震で大きく崩れて、何とか失ったものを取り戻そうと必死に復旧してきた後がうかがえる。
道にも田にもここに生きる村人の思いみたいなものが感じられるのです。
植えては見たものの放棄されたウルイだが、何とかこれを物にすること、それも復旧かなと。

今日、滝の又集落ではみんなが集まって餅つきして鍋を囲んでました。
大勢いてびっくり。ユリ掘り終わったら掘りに行かねば。

コメント
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