雪の市民会議in魚沼、 行ってみてびっくり、魚沼市主催だった。
相変わらず人の言うこと聞いてねぇし、もらった資料は読んでねぇしで、、、、反省。
雪の市民会議は今回で6回目。雪を利用しての生活の工夫や商売に繋げている事例発表や今後の活用方法などのアイデアを発表する会議だ。
この会議には追っかけやリピーターが多いらしく全国から大勢の参加者。会場はほぼ満員だった。
地元からは、雪冷房の家の山良工務店。
ご存知大沢加工の杵渕社長。 大きな雪室倉庫で野菜と清酒緑川の「緑」を保存している事例を発表。
こちらは例の利雪型冷蔵庫の事例発表。雪の湿った冷風でユリに最適な芽伸ばし環境を作って、しかも節電するってアイデアだ。
その後3人の大学教授による震災復興に向けた新しい提案発表。中には聞いていて腹が立つような現実離れしたアイデアも、、、
その中で、長岡技術科学大学の上村准教授の話には、目からうろこ。
実は前からずっと不思議に思っていた謎があるのだ。 なぜ舟山のような山地に人は住んだのか?
舟山だけでなく日本中の山村には集落があって人が住んでいる。さもそこが一番住みよい土地であったかのように。
「 ぼい山 一年 一町歩 」 ぼい山とは、煮炊きに使うまきを採取する雑木林のことだ。
各家庭が一年に一町歩の山があればまかなえる、しかも林からは山菜や木の実、うまくすればケモノの肉などの食料も自給できるのだ。それが五町歩あれば毎年一町歩のサイクルで五年でほぼ再生する。
つまり昔の山郷の暮らしはエネルギーと食糧を自給できる無限のサイクルがあったのだ。だから人は山地に住んだ。町場よりも豊かな暮らしができたのだ。
もう元には戻れないものの、今回の震災で化学技術はある意味敗北を認めざるを得ない。日本型の政治も機能していないことが明らかになった。ここはもう少し自然の恵みを受け入れての自立できる暮らしを考えなくてはならないと、、、雪は貴重な資源だと。
囲炉裏でぼいを燃やしていた暮らしも、初めてプロパンガスが来た日のことも、テレビが来た日も、冷蔵庫が来た日のことも覚えているのに、なぜこのことに気が付かなかったのだろうか。
意見交換会(懇親会)、何のことはない、皆さん自家産品を持ち寄っての雪室自慢だ。
雪中貯蔵品のオンパレード。
おなじみ、玉風味の雪中貯蔵酒、これは甘い。社長の雪を消さない方法の話も勉強になった。
山形からやってきた雪室で貯蔵したそば粉の手打ちそば。
十日町の怪しげなおやじが雪室で作ったどぶろく(たぶん密造)。ちょっと酸味があったかな。
飲んでいる美人は北海道からやってきた、、、なんと、元ミス札幌だ。
相変わらず、、、、、目じり下がってるし鼻の下伸びてるし。
その後は名前の前に 長 の付く濃いメンバーだけで2次会へ。
そこでまた雪中貯蔵の緑など飲むものだから、すっかりモウゾウになって。
写っている彼女は誰だったっけ? えーい、美人はみんな載せちゃえ。