人間は、亡くなられた方と、生きている人の2通りだ。
14日の朝にご先祖様を迎えに行き、お盆中は一緒に過ごす。
村の中にいてもめったに会うことのない人もいるが、この日だけは一緒になって去年の工程を思い出しながら去年と同じ作業をする。
年々思い出すのに苦労して、組み上げる時間は長くなっているように感じる。自分のお頭も高齢化しているようだ。
年に一度、思いがけないほど大勢の人がここに集まる。
みんなそれがわかっているから、やはりうれしくてここに集まる。
青年団で出ているヒカラビ君が疑問に思った鎮守様の表札。
このローマ字表記は昔々その昔、終戦直後、、、「進駐軍がやってくる!!!」
神社仏閣などにローマ字表記で説明書きをつけたのだそうだ。 それが今も残っている。
お盆を終戦の日したことには大きな意味がある。
日本中が必ず祖先を思う日に戦争のことも同時に考えさせる。
戦争が終わって早くも67年、今年の終戦関係の報道はいつもと少し変わっていた。
なぜもっと早く降伏できなかったのか?
なぜ日本にだけ原爆が落とされたのか?
アジアだったからか? 人種差別ではなかったのか?
ドイツは5月8日に降伏している。あと2週間降伏が早ければ長岡空襲は無かったのだ。
もちろん原爆投下もなかったはず。
政治は機能していたのか?
政治家の判断がマヒしていたのでは?
今年の戦争関連番組は掘り下げたものが多かった。
昭和2年生まれの婆さんは、終戦間際までB29襲来に備えて竹やり訓練をしたそうだ。
国の機能がマヒしていたことは容易にうかがえる。
最近盆踊りには思いがけないほどの人が集まる。一昔前よりはるかに集まりは良くなっている。
まるでお互いの生存を確認するかのように。
竹島、尖閣諸島、まるで戦争前夜のようなニュースが伝わってくる。
日本の国としての尊厳は? 外交手腕は? 政府としてのまとまりは? はたして今の政治で戦えるのだろうか?
今年のミステリー。 盆踊りに小柄なおやじが一人混ざっていた。
その人がどこの家の親戚なのか?どこの誰なのか?
誰に聞いても知らないのだ???
そのうえで、相互に安全を保障すれば、日米は対等になる。
我が国は、虎の威を借る狐であってはならない。
自分の力を示せ。力は正義である。(Might is right).
力がなければ、正義もない。単なる歌詠みである。ひ弱な花である。
他人に仕事を任せておいて、いちいちあれこれ言うのは不謹慎である。いつまでも、未成年の姿勢をとるな。
消去法を得意とする論客ばかりでは、総理の寿命も短くなる。筋の通った政治もできない。
未来社会の建設には、建設的な意見が必要である。
未来構文がなくては、未来の内容は過不足なく構築できない。
未来構文があれば、理想が語れる。無ければ、筋の通らない空想・空論になる。
日本語の文章には、未来・現在・過去の区別はない。
現在の内容は過不足なく考えられても、過去と未来に関してはそれができない。
日本人は、未来の内容に辻褄を合わせて語るのは得意でない。
最悪のシナリオなど考えられない。悪夢は常に想定外になる。
だから、有事の際の危機管理も破たんする。